サツマイモの切り落としを、水耕栽培している話は以前に載せた。
これが、不思議と育っている。
品種は「鳴門金時」である。
皿に張った、水の中では、バランスが保てない。よく倒れ、根が乾燥してしまう。
思い切って、鉢に植えてみた。
さて、どうなるか?このまま、5月まで育てば、つるを切って、畑に植えられるでないか!
そうすりゃ、秋には「さつまいも」が食える。
どうなるだろう?楽しみでもある。
ところでさ、植えたところで、育ち・芋になるだろうか?(購入の苗からなら、やったことはあるがなあ?)
ぎんなん・の与太話も書いた。
早速、アナログストーブで焼いて、食べている。
お隣の「器」末娘の「誕生日プレゼント」である。
お年玉がかなり入ったらしく、おしゃれなお店で買ったらしい。
結構高かったらしい・・・ちょっと、うれしい・・・
館林も例に漏れず、「旧商店街」は活気が無い。まあ、郊外の「大型店舗」に押され、廃業したお店や、取り壊されて「駐車場」になった場所などが、実に目に付く。
地方の小都市は、おしなべて、この様な状況である。
高額な「テナント料金」を払って、郊外の大型の、複合店舗に入れた(その資本力がある)お店以外は、経営がかなり厳しいようである。
この旧市街に「藤島屋」という製造・販売している、煎餅屋さんがある。
僕の好みの、醤油系の煎餅である。
工場(決して大きくは無いが)は僕の育った地域にある。
ご近所であった。
がきのころはご近所の庭や物置は、近所の子供の遊び場であった。
他人の畑・他人の庭・他人の納屋、「そこは**があるから気をつけろ」などと言われたが、遊ぶことは「当然の如く」容認されていた。
地域・おらがのような思い・共同体が壊れていない時代だったと言える。
この工場はまだ無かったが、この家でも、僕らはよくあそんだものである。
おばあちゃんがやさしかった。
さて話はそれそれである。
煎餅・上は「豆煎餅(大豆が粒を残してねってある)」「羽衣という薄焼き」
下の左は、ザラメの付いた、あまいやつ。右は「小丸」という、一口サイズの醤油である。
旨いんだな・これが。