殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

行いと運命・10

2019年12月10日 09時59分07秒 | 前向き論
いつもお立ち寄りくださって、ありがとうございます。


連続ものを書かせていただいている最中に


しばらく中断するのは心苦しい限りですが


仕事の方が少し落ち着いたので再開させていただきます。





さて工場が撤退してほどなく、義父は最期の入院生活に入った。


霊園の夢が終わり、工場との縁が切れたら


今度は義父がこの世と別れる番が来る‥


この巡り合わせには感慨深いものがあった。



しかし感慨にふけってばかりはいられない。


入院した義父がシャバに残して行った現実的な問題‥


億単位の借金が待ち構えている。


かなり前から、銀行に支払う利息は会社の利益を超えており


元金を減らすどころか、銀行へ利息を支払うために


同じ銀行から高い利息で新たな借り入れをするという


悪循環が続いていた。



そんな中、義母が胃癌で


内視鏡手術を受けることになった。


我々一家が再び夫の実家に舞い戻り


義母と生活するようになったのはこの時からだ。



夫は何とかして親を救おうと、もがいていた。


子供というのは幾つになってもいじらしいもので


親のやらかしたことがブザマであればあるほど


本能的に隠したくなる。


親が死ぬかもしれないと思えば、なおさらだ。


夫もこの本能に支配されていた。


父親の恥を世間に知られるくらいなら


自分が身代わりになって倒産者の汚名を着るしかない‥


彼は思い詰めていた。



夫の気持ちを知った両親は、どうしたか。


大喜びで、すっかりその気。


「ヒロシが何とかしてくれる」


そう言って人柱になろうとする息子を


英雄のように賞賛するのだった。



経営が順調な時は、娘ばかりをもてはやし


傾いた途端、息子にすがりつく。


この変わり身の理由は、ただ一つ。


銀行は娘を認めないが


息子なら父親の借金の肩代わりができるからである。



この露骨を見るたび、私は腹を立てた。


わかってはいたけど、あんまりではないか。


同時に、彼ら家族の限界を知った。


善悪の問題ではない。


彼らの家族愛は、この程度で精一杯というだけだ。




私は当初、部外者になりきるつもりでいた。


会社に関することでは、私を疎外し続けた彼らである。


その方針を貫き、血を分けた肉親だけで苦しめばいいではないか。



しかし、全てを夫に押し付けておきながら


夫への謝罪も感謝も労いの言葉も無く


ひたすら部外者を装って倒産を待つ彼らを見ているうちに


考えが変わった。


誰にも頼まれていないが、参戦することにしたのだ。




それだけではない。


この家では、親が面倒から逃げるために


子供に押し付けるのが常識になっている。


いつぞや、私が商品券の包み変えに行かされたのも


同じノリだ。


当時は彼らを心の底から軽蔑したものだが


若い頃から慣れている夫は


これが親として最低の行為とは思っていない。



ということは、夫がこの問題を抱えきれなくなった時


個人連帯保証を欲しがる銀行に言われるまま


成人した我が子に向けて、同じ行いをする可能性が高い。


これを懸念して、息子たちには


死んでもハンコつくな、田舎芝居にだまされるな‥


そう教えてきた。


会社が危なくなってからは


息子たちの実印を肌身離さず持ち歩いてもいた。


が、その気になれば印鑑証明は変えられるし


何がいつ、どうなるかわからないじゃないか。


水際で予防するためにも、私の参戦は必要だった。



とはいえ浅学無知な主婦に、妙案が浮かぶわけがない。


できることといったら


「アレらの自業自得なんだから


あんたが身代わりになることはない。


死ぬのを待って相続放棄じゃ」


などと言って励ます程度。



ほどなく、よその会社から合併の話が持ち込まれ


肩代わりも倒産もあっけなく免れた。


本社には、義父が借金をしていた銀行より


かなり大きな銀行が付いていたため


銀行同士で調整が行われ、借金の額が大幅に減ったのが


免れた理由である。



本社と合併して新しい会社を作った4年後、義父は他界した。


「悪い人じゃないんだが


とにかくワンマンだから金儲けはヘタだった」


通夜葬儀では何人もの業界人が、苦笑しながら義父を偲んだ。


うるさい彼がいなくなったので、本音が言えたらしい。


複数の人間が、私と同じ感想を持っていたのは意外だった。


私以外は皆、本当の義父を知らないと思っていたが


ちゃんと知っている人がいたらしい。



失敗続きに見える義父の人生だが


今考えると、本当は幸せだったのではないかと思う。


晩年は借金に苦しんだものの、たまたま転がり込んだ合併話によって


最後は会社を倒産させた老社長ではなく


引退した元社長として死ねたことである。



これは一度でも社長と呼ばれた人にとって


ものすごく大事。


地域雇用を生み、いくばくかは多めに納税することで


社会貢献した者は、何よりも名誉を重んじる。


会社を潰して失意のうちに死ぬのと


次代に譲った格好を装って死ぬのとでは


名誉に雲泥の差があるのだ。



終わり良ければすべて良し‥


彼はやはり強運な男だと言える。


嫁一人いじめたぐらいでは


義父の強運は揺らがなかったようだ。



しかしまた、こうも考える。


彼は、自身の強運をコントロールできなかったのではないかと。


強運を持って生まれた人は


それにふさわしい理性を備えなければ


じきに制御しきれなくなる。


数々の失敗は、コントロールできなくなった運の


誤作動ではないかと思うのだ。




一方、死人に口無しとばかりに


いじめられた、ひどい目に遭ったと言う私だが


今もたいした進展は無いものの、昔はもっと馬鹿だった。


何も知らず、何もできず、いわば何の武器も持たない丸腰で


義父の魔手に近寄ったのだ。



他人の魔手から我が身を守るヨロイは、ひとえに品格であり


品格とは、すなわち知性と教養である。


今もそうだが、品格どころか人格も怪しく


ただ明るく賑やかなばかりだった私は


絶対服従の静寂を好む彼の性分を存分に刺激した。



この人品賤しい私が


彼の愛娘の里帰りに難色を示したのは自殺行為だった。


口では「幸せになりたい」とぬかしながら


私は彼に、罰するべきもっともな理由を


自ら与えてしまったのである。



私に品格というものがあったなら


嫁に行った娘を毎日帰らせるようなナメた真似は


発生しなかったかもしれない。


バカにされていたから、やられたのだ。



結局はどっちもどっちだった‥


義父が亡くなって、そう気がついた。


自分みたいな嫁が来たら、私なら嫌だ‥


よく我慢してくれたものだ‥


気づきはいつも、後からやってくる。



次に彼ともし出会うことがあったら、優しくしたい。


そして、いろんなことをたくさん話したいと思っている。


《完》
コメント (14)
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