殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
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同居・その傾向と対策・2

2019年12月23日 09時45分55秒 | 前向き論
前回は、義理親との同居によって


さまざまな自由を失うことをお話しした。


他にも家事のやり方の自由から、子供へのしつけの自由


時間の使い方の自由‥


同居することで手放す大小の自由は数え切れない。



こう言うと失うものばっかりのような気がするが


得るものも、一応だがある。


まず、料理がうまくなる。


亭主と子供だけの核家族であれば


「ちょっと失敗しちゃった〜!テヘペロ」


で済むことが、義理親に食べさせるとなると


焦げただの、少し遅れただのの些細なことが


失態として大きくなる。



嫁は知っているのだ。


話は家の中だけでは終わらない。


小舅、小姑、親戚、親の友人知人の誰かに必ず伝わる。



意地悪な気持ちからではない。


嫁の落ち度を近しい者へ伝えずにいられないのが


義理親の習性である。


「私たちはこんなにも我慢している、できた人間なんです」


それを周囲に知らしめたいだけの、無邪気な心だ。



同居の場合、嫁が我慢していると思われやすい。


義理親は常々、この一般論に抵抗を感じていて


「我慢しているのはこっちだ」


世間にそう知らしめたい願望を持つ。


嫁のミスは、それを発信する格好のネタなのだ。



何ヶ月も経って忘れた頃


回り回ってお節介なヤカラから


「料理がヘタなんだって?」なんて言われた日にゃ


口の中にいきなり砂をぶち込まれたような気分さ。



その気分が嫌なのと、人を恨みたくないのとで


嫁は奮闘する。


ただでさえ毎日が大変で面白くないのに


この上、何人もの人間を恨める余裕なんか無いからだ。


未然に防ぐには、時間までに品数を揃えて


何とか格好をつけるしかない。


毎食が真剣勝負なので上達もするし


手際も良くなるのは当たり前である。



次に、打たれ強くなる。


同居に比べたら、たいていのことはマシなので


少々のことで傷つく必要性を感じなくなるからだ。


他人に嫌なことを言われたって平気。


一緒に暮らす他人に言われる方が、よっぽどなさけない。



特に我が家は、嫁に行った小姑が毎日やって来て長居をする。


実家依存の娘はたいていの場合、社交的でない。


他人との接触が苦手だから


実家に依存するしかないのである。



この生まれっぱなしの野生児が


余計なことを言っては家庭を引っ掻き回す。


親も娘かわいさで、いとも簡単に扇動される。



さんざん引っ掻き回して野生児は山へ‥


いや、自分の家へ帰って行く。


逃げ帰れる家があるから、火をつけられるのだ。




これが本当に嫌で嫌で


夫と私は解決しようと苦しんだ時期もあったが


「少しは遠慮してくれ」と言っても来る‥


「来るな」と言っても来る‥


しまいには義姉の一人息子から


「早く出て行け」と言われる始末。



ろくに口も回らぬ子供を巻き込むのはいけないと思い


あきらめて以来30年余り。


こんなのを40年間も相手にしていたら


少々のことではへこたれない根性と


図太い神経だって入手できるというものだ。



他には、たくさんの教訓を得ることが挙げられる。


四面楚歌、孤立無援、背水の陣、血は水よりも濃い‥


など、言い伝えられているさまざまな言葉を


実体験することで理解できるようになる。


「それがどうした‥知りたくもない」


誰しもそう言うだろう。


私もそう思う。




このように一見、失うものばかりが多く


やはり一見、得るものがショボい義理親との同居。


できれば避けた方が賢明かもしれないが


それでも他に、何かゴージャスなものを手に入れてはいないか‥


私は考えるのだった。



で、思い当たった。


人によっては遺産‥


あるいは親の苦労を見て育った、賢く優しい子供‥


私にはそのどちらも無いが、〝同志〟を得ていた。


夫である。



額に青筋を立てながらも、母親の無茶や気ままに対応する姿は


気の毒を通り越して、もはや尊い。


私もつい、彼に負けないように頑張ろうと思ってしまう。


いや、私の頑張ろうは、怒りのあまり


姑に危害を加えないよう気をつけるという低レベル。



けれども夫の浮気と、私の嫁舅、姑、小姑問題で


夫婦が憎しみ合っていた若い頃とはうって変わり


お互いの苦しみをわかり合いながら


ごくろうさんと言い合える同志の存在は


得難いものに思える。



ゴージャスとはいかないものの


何につけ損な役回りの私に似合いのプレゼントは


『呉越同舟』。


〝仲の悪い者同士や敵味方が、同じ場所や境遇にいること。

本来は、仲の悪い者同士でも

同じ災難や利害が一致すれば協力したり助け合ったりするたとえ。

「呉」「越」はともに中国春秋時代の国名。

父祖以来の因縁の宿敵同士で、その攻防戦は三十八年に及んだという。〟


《完》
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