身内や他人の不幸、出来れば避けて通りたい。
しかし、そうも言ってられない。
こうなりゃ、少しでも楽しみを見つけるのが得策というもんだ。
一同が同じ色の服を着て集結する場。
いきおい美醜や貧富の差が白日のもとにさらされる。
喪服の質=その人の生活そのものと思って、まず間違いない。
日頃から、急な事態に備える余裕があるか無いかの違いである。
自分のことは棚に上げ、これを眺めるのは、はなはだ興味深い。
普段は目立たないのに、こういう時にパリっとしていると
おぉっ!と感心してしまう。
逆にいつもは流行最先端のオシャレなのに、喪服が悲惨なのを見ると
私の心は躍る。
しかし近年では、こんな絵に描いたような喜ばしい現象は減った。
代わりに「家庭内喪服格差」が席巻。
よそでは知らないが、我が町では
葬式一件につき、必ず数組は発見できる。
特に、奥さんと娘はピカピカで、旦那さんズタズタのケースが多い。
喪服という非日常的衣服は、家族の優先順位が如実に表われるのだ。
成長した娘にあれこれ揃えてやる。
母親も娘に負けじと頑張る。
かくして旦那さんまで手が回らなくなった…という悲劇。
母親は娘の方向だけ向いて、ヒソヒソと何やら話したり
奮発したパールのネックレスの位置を直してやったり。
隣にいる亭主は徹底無視。
ひとり話相手もなく、所在なさげなお父さん。
薄汚れたワイシャツの第一ボタンははまらず
手あかで輝くワカメのようなネクタイ。
結婚以来慶弔着っぱなしのテカったダブルに
メタボの体を押し込み
靴はすでにハンバーグと化して久しい。
やがて「焼香」。
ここでは数珠に注目。
妻…水晶、娘…真珠。
お父さんのは…シッポがちぎれてるナンカのタマ。
これで靴下に穴でも開いていれば満点だっ。
ブラボー!お父さん!あんたはエライっ!!
すばらしい光景に、心のうちで拍手を送る私。
冷え切った夫婦関係、重くのしかかるローン
近寄ってくれるのは飼い犬だけ
温かいのは便座だけ…。
そんな空想に浸り、一人ほくそ笑む。
だから、お葬式はすぐ終わる。
不謹慎で、スイマセン。