三つ年下の知人、ナミさんから久しぶりに連絡があった。
85才のお母さんが認知症になり、色々大変だという。
彼女はバツイチの独身で、子供はいない。
平日は広島市内に借りているアパートから仕事に通い
週末はこちらの実家に帰る生活。
あと先は実家で母親と暮らす独身の妹が、仕事をしながら面倒を見ている。
母親の衰えを目の当たりにするたび、情けないやら悲しいやらで
姉妹共々、疲弊する日々だそう。
「お忙しいのに、愚痴を聞いてもらってすみません」
ナミさんが何度も言うので
「わたしゃ暇なんだから、気を遣わないで」
なんて言ったのが運の尽き。
「お暇でしたら、時々、母に電話をしてやってもらえませんか?」
と言われる。
そうだった…
久しぶりなので忘れていたが、この子は丁重な話し方で人を持ち上げつつ
相手の言葉尻をとらえて図々しく甘える子だったわい…。
名前でわかった方も、いらっしゃるかもしれない。
私のウグイスの相棒、あのナミ様である。
選挙が近づいてきたので、また私ばっかり働かせて楽をしようと
ご機嫌うかがいの電話をしてきたのだ。
「友だちや知り合いの顔と名前はおろか、約束したことも忘れてしまって
トラブルになることが多いんですけど
みりこんさんのことはちゃんと覚えているんです。
声を聞いたら元気が出ると思うので、ぜひお願いします」
なんて言いなさるけど、どうだかね。
頭の怪しげな老女の相手は家と近所で十分だが、知らない人じゃないので了解した。
翌日の夜、さっそくナミママに電話をかけてみる。
この手のおかたに電話をする際は、時間を長めに確保。
老人だけでなく、一人暮らしをする人が相手の時もそうだが
普段、人と話すことが少ないため、会話に飢えている。
しゃべり出したら止まらなくなって、どうしても長話になってしまうからだ。
それをこっちから切り上げようものなら、急激に淋しくなって
嫌われたのではないか…迷惑だったのではないか…
などの不安にさいなまれるだろうから、相手の気が済むまでしゃべらせるしかない。
家事が終わって寝るまでの1時間を電話タイムに充て、ナミママの携帯に電話をしてみる。
しばらく会ってなかったが、以前と変わらぬ明るい声だ。
認知症の程度は中の上、つまり重度の一歩手前と聞いていたので
どうなることやらと案じていたが、そんな気配は全く感じられない。
選挙にまつわる込み入った話も遜色無く、我々は大いに盛り上がるのだった。
うちの義母や近所のおばちゃんなんて、自分がしゃべりたいばっかりで
誰かが話している最中に自分の話をかぶせるので、二カ国同時中継みたいになるが
この人はちゃんと聞いて、ちゃんと話す理性がある。
私の周りの老人たちは、認知症のテストを受けてないから認知症じゃないというだけで
テストをさせたら全員、中度認定は確実ではなかろうか。
20分後、向こうの携帯の充電が切れて会話は終了。
「お母さん、すごいじゃん!楽しく話させてもらったよ。
しっかりしてるから、まだまだ大丈夫」
と、さっそくナミさんに連絡。
「ありがとうございます。
あんまりしっかりしてるから、そばで聞いていた妹もびっくりしたそうです。
だけど、話した内容は全然覚えてないみたいで
こうして電話してもらっても忘れてしまうから申し訳なくて…」
残念そうな彼女。
「覚えてもらおうなんて思っとりゃせんよ。
どんどん忘れたらええが」
「姐さんはそう言ってくれますけど、ダメな時は本当にダメで
私や妹の前では妄想みたいなこと言ったり、おかしなことをやるんです」
これは認知症の親を持つ人がよく言うことなので、気にしない。
他人の前では普通を装うことができても
家族にダメとかおかしいとか否定的なことを言われると不可思議な言動に走る…
それが認知症の老人だ。
ナミさんの話を聞いていると、元通りの母親に戻って欲しいという願望が強い。
血のかかった親子であれば、当然のことだろう。
しかし、それは無いものねだりだ。
姉妹は自分たちの願望から外れるたびに母親を責め
当惑した母親はますますネジが飛ぶという
“認知症の家族あるある”を繰り返しているように感じた。
これは、介護士でもない他人の私にどうにかできることではない。
が、母親をどうにかするより、娘たちの意識を変える方が
お互い楽に生活できそうなのは私にもわかる。
姉妹の気持ちをほぐすことなら、自分にもできるかもしれないので
ナミさんとは頻繁に連絡を取り合うことにした。
な〜に、永遠ではない。
この子の性格は知り尽くしている。
選挙が終われば、私の存在など忘れる予定だ。
それまでは、できるだけのことをしようと思った。
とりあえずナミさんの目下最大の悩みは、母親がデイサービスに行かないことだと言う。
「週に何回かデイサービスに来てもらえれば、娘さんたちも楽になるのに」
介護士にそう言われたナミ姉妹は、デイサービスに行きさえすれば
何もかも解決すると思い込み、行きたがらない母親を責めているのだった。
嫌がるのを無理に行かせても、続かないと思う。
嫌がっていたのに、一回行ったら喜んで通うようになった人もいるにはいるが
レアケースだ。
「不登校って、地獄よ」
私は、自分の子供が学校へ行きたがらなかった時期のことを話す。
迎えが来ても支度をしない、家族は焦って怒る、本人は泣く…
そりゃもう、身を切られるようにつらいものだ…
自分で自分のことができるうちは、無理強いしない方がいい…
行き始めたけど、物足りなくて辞めた人もけっこういる…
などと言って聞かせた。
それに大きな声では言えないが、デイサービスは儲かるらしい。
私の勤めていた病院がデイケアを始めた時、そう聞いた。
補助金の関係で、入院よりも利幅が大きいそうだ。
「デイケアに来られる方々は、患者でなくお客様です。
お客様をもてなすのと同様、失礼の無いように心して料理を提供してください」
開始にあたって上からのお達しがあり、献立の方も入院患者より品数が多くて
デザートや3時のおやつまで付いた。
ちなみにデイケアとは病院が運営するデイサービスのことで
老人施設が運営するものをデイサービスと呼ぶそうである。
つまり老人施設から訪れる介護士がデイサービスを勧めるのは、営業活動の一環。
それを聞いた我々しろうとがデイサービスにこだわって
行かない親を責めるのはかわいそう…
語弊はあろうが、そんなことを話すとデイサービスの呪縛は解かれた様子だった。
《続く》
85才のお母さんが認知症になり、色々大変だという。
彼女はバツイチの独身で、子供はいない。
平日は広島市内に借りているアパートから仕事に通い
週末はこちらの実家に帰る生活。
あと先は実家で母親と暮らす独身の妹が、仕事をしながら面倒を見ている。
母親の衰えを目の当たりにするたび、情けないやら悲しいやらで
姉妹共々、疲弊する日々だそう。
「お忙しいのに、愚痴を聞いてもらってすみません」
ナミさんが何度も言うので
「わたしゃ暇なんだから、気を遣わないで」
なんて言ったのが運の尽き。
「お暇でしたら、時々、母に電話をしてやってもらえませんか?」
と言われる。
そうだった…
久しぶりなので忘れていたが、この子は丁重な話し方で人を持ち上げつつ
相手の言葉尻をとらえて図々しく甘える子だったわい…。
名前でわかった方も、いらっしゃるかもしれない。
私のウグイスの相棒、あのナミ様である。
選挙が近づいてきたので、また私ばっかり働かせて楽をしようと
ご機嫌うかがいの電話をしてきたのだ。
「友だちや知り合いの顔と名前はおろか、約束したことも忘れてしまって
トラブルになることが多いんですけど
みりこんさんのことはちゃんと覚えているんです。
声を聞いたら元気が出ると思うので、ぜひお願いします」
なんて言いなさるけど、どうだかね。
頭の怪しげな老女の相手は家と近所で十分だが、知らない人じゃないので了解した。
翌日の夜、さっそくナミママに電話をかけてみる。
この手のおかたに電話をする際は、時間を長めに確保。
老人だけでなく、一人暮らしをする人が相手の時もそうだが
普段、人と話すことが少ないため、会話に飢えている。
しゃべり出したら止まらなくなって、どうしても長話になってしまうからだ。
それをこっちから切り上げようものなら、急激に淋しくなって
嫌われたのではないか…迷惑だったのではないか…
などの不安にさいなまれるだろうから、相手の気が済むまでしゃべらせるしかない。
家事が終わって寝るまでの1時間を電話タイムに充て、ナミママの携帯に電話をしてみる。
しばらく会ってなかったが、以前と変わらぬ明るい声だ。
認知症の程度は中の上、つまり重度の一歩手前と聞いていたので
どうなることやらと案じていたが、そんな気配は全く感じられない。
選挙にまつわる込み入った話も遜色無く、我々は大いに盛り上がるのだった。
うちの義母や近所のおばちゃんなんて、自分がしゃべりたいばっかりで
誰かが話している最中に自分の話をかぶせるので、二カ国同時中継みたいになるが
この人はちゃんと聞いて、ちゃんと話す理性がある。
私の周りの老人たちは、認知症のテストを受けてないから認知症じゃないというだけで
テストをさせたら全員、中度認定は確実ではなかろうか。
20分後、向こうの携帯の充電が切れて会話は終了。
「お母さん、すごいじゃん!楽しく話させてもらったよ。
しっかりしてるから、まだまだ大丈夫」
と、さっそくナミさんに連絡。
「ありがとうございます。
あんまりしっかりしてるから、そばで聞いていた妹もびっくりしたそうです。
だけど、話した内容は全然覚えてないみたいで
こうして電話してもらっても忘れてしまうから申し訳なくて…」
残念そうな彼女。
「覚えてもらおうなんて思っとりゃせんよ。
どんどん忘れたらええが」
「姐さんはそう言ってくれますけど、ダメな時は本当にダメで
私や妹の前では妄想みたいなこと言ったり、おかしなことをやるんです」
これは認知症の親を持つ人がよく言うことなので、気にしない。
他人の前では普通を装うことができても
家族にダメとかおかしいとか否定的なことを言われると不可思議な言動に走る…
それが認知症の老人だ。
ナミさんの話を聞いていると、元通りの母親に戻って欲しいという願望が強い。
血のかかった親子であれば、当然のことだろう。
しかし、それは無いものねだりだ。
姉妹は自分たちの願望から外れるたびに母親を責め
当惑した母親はますますネジが飛ぶという
“認知症の家族あるある”を繰り返しているように感じた。
これは、介護士でもない他人の私にどうにかできることではない。
が、母親をどうにかするより、娘たちの意識を変える方が
お互い楽に生活できそうなのは私にもわかる。
姉妹の気持ちをほぐすことなら、自分にもできるかもしれないので
ナミさんとは頻繁に連絡を取り合うことにした。
な〜に、永遠ではない。
この子の性格は知り尽くしている。
選挙が終われば、私の存在など忘れる予定だ。
それまでは、できるだけのことをしようと思った。
とりあえずナミさんの目下最大の悩みは、母親がデイサービスに行かないことだと言う。
「週に何回かデイサービスに来てもらえれば、娘さんたちも楽になるのに」
介護士にそう言われたナミ姉妹は、デイサービスに行きさえすれば
何もかも解決すると思い込み、行きたがらない母親を責めているのだった。
嫌がるのを無理に行かせても、続かないと思う。
嫌がっていたのに、一回行ったら喜んで通うようになった人もいるにはいるが
レアケースだ。
「不登校って、地獄よ」
私は、自分の子供が学校へ行きたがらなかった時期のことを話す。
迎えが来ても支度をしない、家族は焦って怒る、本人は泣く…
そりゃもう、身を切られるようにつらいものだ…
自分で自分のことができるうちは、無理強いしない方がいい…
行き始めたけど、物足りなくて辞めた人もけっこういる…
などと言って聞かせた。
それに大きな声では言えないが、デイサービスは儲かるらしい。
私の勤めていた病院がデイケアを始めた時、そう聞いた。
補助金の関係で、入院よりも利幅が大きいそうだ。
「デイケアに来られる方々は、患者でなくお客様です。
お客様をもてなすのと同様、失礼の無いように心して料理を提供してください」
開始にあたって上からのお達しがあり、献立の方も入院患者より品数が多くて
デザートや3時のおやつまで付いた。
ちなみにデイケアとは病院が運営するデイサービスのことで
老人施設が運営するものをデイサービスと呼ぶそうである。
つまり老人施設から訪れる介護士がデイサービスを勧めるのは、営業活動の一環。
それを聞いた我々しろうとがデイサービスにこだわって
行かない親を責めるのはかわいそう…
語弊はあろうが、そんなことを話すとデイサービスの呪縛は解かれた様子だった。
《続く》
私も母が結構長く老人ホームや特別養護老人ホームに入っていたので、
身につまされるものがあります。
続きを楽しみにしています。
夫の祖母も20年以上、入所していました。
長いので、リーダーというかスケバンみたいになっていたそうです。
制度が厳しくなった今だと、入所できなかったかもしれません。
同居も考えもので、世話ができそうな家族と一緒に暮らしている場合
入所の順番待ちが長く、料金も高いそうです。
義母が入所を考える状態になったら、速攻で世帯分離の手続きを
しようと思っていますが、また制度が変わったりして。
あの業界は、ようわかりませんわ。
続きを楽しみにしてくださって、ありがとうございます。
良かったです!
続きも楽しんでいただけると嬉しいんですが。
優しいお言葉、ありがとうございます。