明けましておめでとうございます。
旧年中は楽しいコメント、温かいコメントをたくさんいただき
ありがとうございました。
いつも感謝しております。
本年も真実と笑いを信条に
下世話で口うるさいおばさんブログを続けたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。
正月二日、隣の市のホテルで3年に一度の同窓会があった。
同窓会は小学校のもので、女子が前厄を迎える30才で発足し
60才の還暦で解散するのがならわし。
還暦まであと2年あるが
我々の学年は3年に一度しかやらないので
同窓会という名のパーティーは、今回で終わりとなる。
前回の同窓会が終わった後、私は地元の同級生に
「先生を送迎したい」と提案した。
5年生と6年生の時に持ち上がりで担任だった先生たちが
2人ないし3人、毎回来てくれる。
とっくに80才を過ぎた先生たちに自力で来させるのは
酷だと思ったからだ。
それに先生たちはいつも御祝いの金一封に加え
二次会用のお小遣いまでくださる。
それらで充分、お車代になるではないか。
会計を引き受けて以来、初めて迎えた前回の同窓会で
私はこれらの細かい事実を知った。
先生たちの優しい心配りと、同級生たちの甘えっぷりに
愕然としたものだ。
もっと早く気がつけばよかった。
そこで送迎を言い出したわけ。
いつもつまらぬことを重要がり、しかめっ面をして
ああでもない、こうでもないと検討を重ねる役員の男どもだが
「それは名案だ!」ということで、すんなり通過。
タクシーをチャーターしようが、有志で送迎しようが
金は自由に使ってかまわんと許可がおりる。
ただし先生への連絡も準備も、お前が仕切れと言う。
要するに丸投げよ。
だから私はこの3年、どの先生をどんな方法で送迎しようかと
そればかりを考えてきた。
3人の先生たちは、それぞれ全く方角の違う市外に在住なので
タクシーをチャーターしたら何万もかかる。
なんぼ自由に使っていいと言われても、会計報告が全員に回ったら
文句を言う者が出てくるのは過去の前例で明らか。
不本意な暮らしをしながら細かいことに目を光らせて
糾弾の機会をうかがう面倒臭いヤツは
どんな集団にもいるものだ。
先生たちの近くに住む者や
あるいは通り道の者を送迎係に抜擢することも考えたが
皆、飲みたくて電車で来るんだから無理。
さりとて自分で送迎するのも不可能。
会計なので早めに会場入りして受付をやるし
帰りはホテルと二次会の支払いがある。
酔っ払いどもにゼニは預けられないし
たまっている年会費を一度に払う者もいて収支が複雑になるため
人任せにできない。
今回の同窓会が近づき、いよいよ決断の時がやってきた私は
近くにちょうどいいのが3人いることに気がついた。
夫と息子たちである。
だってタダじゃん。
しかも運転するのが重機やダンプとはいえ
一応はプロのドライバーじゃん。
そこで彼らに話してみると二つ返事で了解され
私が3年に渡って抱え続けた難題は一瞬で解決された。
さんざん考えたのに、いざ出欠のフタを開けてみると
先生は1人しか来ない。
あとの2人は高齢による体調不安で、残念ながら欠席の返事。
力が抜けた。
唯一出席する先生は、息子に送迎させることにした。
「あんたが思っているような、ただのお爺さんじゃないんだよ。
すごくダンディで、優しくて、かっこいいんだから」
などと事前の打ち合わせを行い、当日を迎える。
最後の同窓会は盛大に行われた。
恒例の『近況コーナー』では、一人ずつ順番に前へ出て
短いスピーチをする。
まずは今年から会長になったA君。
「去年、夢だったオープンカーを買いました。
天気のいい休日には嫁さんを乗せて走ってます。
見かけたら手を振ってください」
推定体重100キロ、鬼瓦にそっくりの奥様が
オープンカーの助手席で髪をなびかせるさまを思い浮かべ
一同はおし黙るのだった。
一番笑ったのは、若いうちからスキンヘッドのB君。
開口一番
「去年の流行語大賞を取りそこねました」
間髪入れず、誰かが解説を兼ねて叫ぶ。
「このハゲーッ!」
B君は続ける。
「髪は長い友達と申しますが、僕と髪との付き合いは
わずか30年という短いものでした」
そこで私が叫ぶ。
「顔がいいから許す!」
「ありがとう!
皆さん、髪を大切に!」
B君はそう言って、爆笑と拍手の中を悠々と席に戻った。
女子は人前で話す時、いい子ぶるのであんまり面白くない。
お稽古ごとを頑張っていますとか、孫が生まれました‥
あとは病歴をくどくど話す者が多いが
学年で一、二を争う秀才だったシズちゃんは違う。
「去年の衝撃は痔の手術をしたことと
シルバーシートを譲られたことです」
子供の頃と同じ、ひょうひょうとした口ぶりに
やんやの喝采であった。
終始、和やかで楽しい同窓会だった。
最後ということで、先生たちに記念品の置き時計を用意し
贈呈式もした。
裏のプレートに同窓会の名前を入れた特別製である。
欠席した先生には後日、私が記念品を届けることになった。
先生、先生と言うわりには、いざとなると恥ずかしがって
誰も行きたがらないからだ。
ともあれ役員の一人として、一応は奔走したつもりだったので
終わってホッとした。
今回出席してくれた先生は87才。
「これで終わり‥淋しいねえ」
帰り道で、息子にそう漏らしていたという。
それを聞くと大変だったことも忘れ
小規模でいいから次もやろうよと、提案するつもりになっている。
旧年中は楽しいコメント、温かいコメントをたくさんいただき
ありがとうございました。
いつも感謝しております。
本年も真実と笑いを信条に
下世話で口うるさいおばさんブログを続けたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。
正月二日、隣の市のホテルで3年に一度の同窓会があった。
同窓会は小学校のもので、女子が前厄を迎える30才で発足し
60才の還暦で解散するのがならわし。
還暦まであと2年あるが
我々の学年は3年に一度しかやらないので
同窓会という名のパーティーは、今回で終わりとなる。
前回の同窓会が終わった後、私は地元の同級生に
「先生を送迎したい」と提案した。
5年生と6年生の時に持ち上がりで担任だった先生たちが
2人ないし3人、毎回来てくれる。
とっくに80才を過ぎた先生たちに自力で来させるのは
酷だと思ったからだ。
それに先生たちはいつも御祝いの金一封に加え
二次会用のお小遣いまでくださる。
それらで充分、お車代になるではないか。
会計を引き受けて以来、初めて迎えた前回の同窓会で
私はこれらの細かい事実を知った。
先生たちの優しい心配りと、同級生たちの甘えっぷりに
愕然としたものだ。
もっと早く気がつけばよかった。
そこで送迎を言い出したわけ。
いつもつまらぬことを重要がり、しかめっ面をして
ああでもない、こうでもないと検討を重ねる役員の男どもだが
「それは名案だ!」ということで、すんなり通過。
タクシーをチャーターしようが、有志で送迎しようが
金は自由に使ってかまわんと許可がおりる。
ただし先生への連絡も準備も、お前が仕切れと言う。
要するに丸投げよ。
だから私はこの3年、どの先生をどんな方法で送迎しようかと
そればかりを考えてきた。
3人の先生たちは、それぞれ全く方角の違う市外に在住なので
タクシーをチャーターしたら何万もかかる。
なんぼ自由に使っていいと言われても、会計報告が全員に回ったら
文句を言う者が出てくるのは過去の前例で明らか。
不本意な暮らしをしながら細かいことに目を光らせて
糾弾の機会をうかがう面倒臭いヤツは
どんな集団にもいるものだ。
先生たちの近くに住む者や
あるいは通り道の者を送迎係に抜擢することも考えたが
皆、飲みたくて電車で来るんだから無理。
さりとて自分で送迎するのも不可能。
会計なので早めに会場入りして受付をやるし
帰りはホテルと二次会の支払いがある。
酔っ払いどもにゼニは預けられないし
たまっている年会費を一度に払う者もいて収支が複雑になるため
人任せにできない。
今回の同窓会が近づき、いよいよ決断の時がやってきた私は
近くにちょうどいいのが3人いることに気がついた。
夫と息子たちである。
だってタダじゃん。
しかも運転するのが重機やダンプとはいえ
一応はプロのドライバーじゃん。
そこで彼らに話してみると二つ返事で了解され
私が3年に渡って抱え続けた難題は一瞬で解決された。
さんざん考えたのに、いざ出欠のフタを開けてみると
先生は1人しか来ない。
あとの2人は高齢による体調不安で、残念ながら欠席の返事。
力が抜けた。
唯一出席する先生は、息子に送迎させることにした。
「あんたが思っているような、ただのお爺さんじゃないんだよ。
すごくダンディで、優しくて、かっこいいんだから」
などと事前の打ち合わせを行い、当日を迎える。
最後の同窓会は盛大に行われた。
恒例の『近況コーナー』では、一人ずつ順番に前へ出て
短いスピーチをする。
まずは今年から会長になったA君。
「去年、夢だったオープンカーを買いました。
天気のいい休日には嫁さんを乗せて走ってます。
見かけたら手を振ってください」
推定体重100キロ、鬼瓦にそっくりの奥様が
オープンカーの助手席で髪をなびかせるさまを思い浮かべ
一同はおし黙るのだった。
一番笑ったのは、若いうちからスキンヘッドのB君。
開口一番
「去年の流行語大賞を取りそこねました」
間髪入れず、誰かが解説を兼ねて叫ぶ。
「このハゲーッ!」
B君は続ける。
「髪は長い友達と申しますが、僕と髪との付き合いは
わずか30年という短いものでした」
そこで私が叫ぶ。
「顔がいいから許す!」
「ありがとう!
皆さん、髪を大切に!」
B君はそう言って、爆笑と拍手の中を悠々と席に戻った。
女子は人前で話す時、いい子ぶるのであんまり面白くない。
お稽古ごとを頑張っていますとか、孫が生まれました‥
あとは病歴をくどくど話す者が多いが
学年で一、二を争う秀才だったシズちゃんは違う。
「去年の衝撃は痔の手術をしたことと
シルバーシートを譲られたことです」
子供の頃と同じ、ひょうひょうとした口ぶりに
やんやの喝采であった。
終始、和やかで楽しい同窓会だった。
最後ということで、先生たちに記念品の置き時計を用意し
贈呈式もした。
裏のプレートに同窓会の名前を入れた特別製である。
欠席した先生には後日、私が記念品を届けることになった。
先生、先生と言うわりには、いざとなると恥ずかしがって
誰も行きたがらないからだ。
ともあれ役員の一人として、一応は奔走したつもりだったので
終わってホッとした。
今回出席してくれた先生は87才。
「これで終わり‥淋しいねえ」
帰り道で、息子にそう漏らしていたという。
それを聞くと大変だったことも忘れ
小規模でいいから次もやろうよと、提案するつもりになっている。