今さら還暦男を育てるも伸ばすもないようなモンだが
夫ヒロシを育て、伸ばすという新たな旅に踏み出した私。
そのきっかけは、年のせいに加え
義父アツシと夫ヒロシの父子愛を目の当たりにしたからだと話したが
実はもう一つある。
『アサガミさん(仮名』だ。
アサガミさんは人名ではない。
隣の市にある、小さな無人の祠(ほこら)の通称。
山奥のへんぴな場所で、パワースポットでも何でもない無名の祠だ。
昨年、義母ヨシコの長い思い出話を拝聴している時
彼女の口から「アサガミさん」という名前が出た。
子供の頃、祖母に連れられてよく行ったと言う。
ヨシコの住む島から船、汽車、バスを乗り継ぎ、とどめは徒歩で数キロ。
片道で半日がかりだったそうだ。
私も子供の頃、祖父に連れられて何度か行ったことがあった。
地続きのうちからでも、車で小一時間はかかった。
森を抜け、崖をつたう細道をたどった先にほら穴があり
その入り口にちょこんと置かれていた、犬小屋より少し大きい祠‥
子供の時も、大人になってからも、たびたび人にたずねたが
あの祠を知る人はいなかった‥
もしかすると、あれは夢だったのかもしれない‥
その場所を知っているのが我が姑だったとは‥
鳥肌が立った。
ヨシコの祖母は、一人娘を亡くした悲しみにくれつつ
母親を亡くした孫娘を案じて
誰かに霊剣あらたかと聞いた祠をたずねたそうだ。
祖母は孫娘の幸福を祈ったが
孫娘は遠い道のりがしんどいばっかりだったという。
私の祖父もまた、一人娘を亡くした悲しみにくれつつ
母親を亡くした孫娘を案じて
やはり誰かに霊剣あらたかと聞いた祠をたずねた。
祖父は孫娘の幸福を祈ったが
孫娘は帰りに繁華街へ寄って洋服を買ってもらうのが目当てだった。
ヨシコと私の生い立ちには、共通点が多かった。
母親を小学生の時に病気で亡くしたこと
優しい父親が婿養子だったこと
父親の再婚で、年の離れた異母妹が生まれたことなど
ヨシコと私は同じような体験をしてきた。
時代は違っても、母を失った子供の惨めさや
環境の激変に歯を食いしばって耐えねばならない苦しみは同じで
どんな気持ちだったかは手に取るように理解できる。
ヨシコと私は昔から、そこに浅からぬ縁を確信していたが
どうやら、アサガミさんの縁だったらしい。
お参りなんかより、帰りのショッピングに魅せられていた
罰当たりな孫娘に与えられたのはイバラ道。
科学の発達した現代、妄想と笑われるかもしれないが
この修羅の家に私を配属した“犯人”の目星がついて
さっぱりしたのは確かだ。
かくしてさっぱりサバサバした心持ちにて、夫育てを楽しむ日々。
簡単さ。
褒めればいいんだから。
「家のことは私に任せて、好きなことをしなさい」
この言葉も添える。
好きなことをしていいというお墨付きをもらい
夫は伸び伸びと勝手に育っている。
その過程で、面白い現象に出くわすことがある。
奇跡と呼ぶにはおこがましい、数々の偶然だ。
この人は本当にいい人で、強運なんだと感心する。
夫を悪人と決めつけ、伸びしろを潰していた自分を軽く反省しつつ
それら数々の偶然の中で、最近の出来事をお話ししたいと思う。
義父アツシが入院していた頃、夫は同じ病室の男性Aさんと親しくなった。
年齢は夫より一つ上、生まれつきの心臓病で寝たきりだ。
両親は亡くなり、たった一人の妹さんは転勤族の妻で遠い土地に暮らし
見舞う人とてない。
夫はカープが大好きな彼のために、毎日スポーツ新聞を届けていた。
アツシは4年余りの入院生活を送り、2年半前に他界した。
私はこの時、夫に言った。
「Aさんに新聞届けるのは、この機会に終わらせた方がいいんじゃない?」
さして常識的でもない私の、いたって常識的な意見だったと思う。
気まぐれで続け、気まぐれでやめたらAさんが傷つくと思ったからだ。
相手は心臓病、止まったら終わりなのだ。
お互いの納得どきは、今しか無い。
それからしばらく経って知ったが
夫はスポーツ新聞を持って、やっぱりAさんの病室へ通っていた。
そして2年半が経過、やっぱり毎日通っている。
病院は近く、滞在時間は5分に満たないが
雨の日も風の日も休まない。
雪の日は歩いて行った。
新聞は毎日発行されるから毎日行く‥そんな淡々としたノリであった。
そして先日のこと。
見知らぬ男性が会社へたずねて来た。
「今度、こちらの地区の営業所長になりました」
その会社は一部上場の大企業。
昔から取引のあった所だが、6年前、アツシの会社が潰れそうになると
スキャンダルを恐れてあっさり切られた。
大口顧客を失った我々は、かえってあきらめがついたものだ。
「今回の着任を機に、取引を再開させてください」
その人は言う。
潰れそうになったら急いで逃げておきながら
本社と合併して安泰になると
手のひらを返して近づいてくる人や会社はたくさんあった。
我々は、あの時に変わらぬ態度だった人や会社を優先すると決めており
バックが付いた途端、そろりそろりと再び近づいて来る者は相手にしなかった。
この人もそのクチだと思っていたら
「私の妻はAの妹です。
この6年間、ありがとうございました」
と言うではないか。
夫と私がぶったまげたのは言うまでもない。
取引は再開された。
夫は相変わらずAさんの元へ通っている。
人はどうだか知らないが、私にはこのような出来事が面白くて仕方がない。
これから先、夫はどんなものを見せてくれるのか。
楽しみである。
ただし、夫が最後に行うであろうおイタは何となくわかる。
私よりずいぶん早く死ぬのだ。
先に死んで、年金を減らす。
これはもう、予測というより予定。
私は彼の亡骸にこう言うだろう。
「楽しい人生をありがとう。
でもこの先の貧乏暮らしはどうしてくれるのよっ!
クッソ〜!」
《完》
夫ヒロシを育て、伸ばすという新たな旅に踏み出した私。
そのきっかけは、年のせいに加え
義父アツシと夫ヒロシの父子愛を目の当たりにしたからだと話したが
実はもう一つある。
『アサガミさん(仮名』だ。
アサガミさんは人名ではない。
隣の市にある、小さな無人の祠(ほこら)の通称。
山奥のへんぴな場所で、パワースポットでも何でもない無名の祠だ。
昨年、義母ヨシコの長い思い出話を拝聴している時
彼女の口から「アサガミさん」という名前が出た。
子供の頃、祖母に連れられてよく行ったと言う。
ヨシコの住む島から船、汽車、バスを乗り継ぎ、とどめは徒歩で数キロ。
片道で半日がかりだったそうだ。
私も子供の頃、祖父に連れられて何度か行ったことがあった。
地続きのうちからでも、車で小一時間はかかった。
森を抜け、崖をつたう細道をたどった先にほら穴があり
その入り口にちょこんと置かれていた、犬小屋より少し大きい祠‥
子供の時も、大人になってからも、たびたび人にたずねたが
あの祠を知る人はいなかった‥
もしかすると、あれは夢だったのかもしれない‥
その場所を知っているのが我が姑だったとは‥
鳥肌が立った。
ヨシコの祖母は、一人娘を亡くした悲しみにくれつつ
母親を亡くした孫娘を案じて
誰かに霊剣あらたかと聞いた祠をたずねたそうだ。
祖母は孫娘の幸福を祈ったが
孫娘は遠い道のりがしんどいばっかりだったという。
私の祖父もまた、一人娘を亡くした悲しみにくれつつ
母親を亡くした孫娘を案じて
やはり誰かに霊剣あらたかと聞いた祠をたずねた。
祖父は孫娘の幸福を祈ったが
孫娘は帰りに繁華街へ寄って洋服を買ってもらうのが目当てだった。
ヨシコと私の生い立ちには、共通点が多かった。
母親を小学生の時に病気で亡くしたこと
優しい父親が婿養子だったこと
父親の再婚で、年の離れた異母妹が生まれたことなど
ヨシコと私は同じような体験をしてきた。
時代は違っても、母を失った子供の惨めさや
環境の激変に歯を食いしばって耐えねばならない苦しみは同じで
どんな気持ちだったかは手に取るように理解できる。
ヨシコと私は昔から、そこに浅からぬ縁を確信していたが
どうやら、アサガミさんの縁だったらしい。
お参りなんかより、帰りのショッピングに魅せられていた
罰当たりな孫娘に与えられたのはイバラ道。
科学の発達した現代、妄想と笑われるかもしれないが
この修羅の家に私を配属した“犯人”の目星がついて
さっぱりしたのは確かだ。
かくしてさっぱりサバサバした心持ちにて、夫育てを楽しむ日々。
簡単さ。
褒めればいいんだから。
「家のことは私に任せて、好きなことをしなさい」
この言葉も添える。
好きなことをしていいというお墨付きをもらい
夫は伸び伸びと勝手に育っている。
その過程で、面白い現象に出くわすことがある。
奇跡と呼ぶにはおこがましい、数々の偶然だ。
この人は本当にいい人で、強運なんだと感心する。
夫を悪人と決めつけ、伸びしろを潰していた自分を軽く反省しつつ
それら数々の偶然の中で、最近の出来事をお話ししたいと思う。
義父アツシが入院していた頃、夫は同じ病室の男性Aさんと親しくなった。
年齢は夫より一つ上、生まれつきの心臓病で寝たきりだ。
両親は亡くなり、たった一人の妹さんは転勤族の妻で遠い土地に暮らし
見舞う人とてない。
夫はカープが大好きな彼のために、毎日スポーツ新聞を届けていた。
アツシは4年余りの入院生活を送り、2年半前に他界した。
私はこの時、夫に言った。
「Aさんに新聞届けるのは、この機会に終わらせた方がいいんじゃない?」
さして常識的でもない私の、いたって常識的な意見だったと思う。
気まぐれで続け、気まぐれでやめたらAさんが傷つくと思ったからだ。
相手は心臓病、止まったら終わりなのだ。
お互いの納得どきは、今しか無い。
それからしばらく経って知ったが
夫はスポーツ新聞を持って、やっぱりAさんの病室へ通っていた。
そして2年半が経過、やっぱり毎日通っている。
病院は近く、滞在時間は5分に満たないが
雨の日も風の日も休まない。
雪の日は歩いて行った。
新聞は毎日発行されるから毎日行く‥そんな淡々としたノリであった。
そして先日のこと。
見知らぬ男性が会社へたずねて来た。
「今度、こちらの地区の営業所長になりました」
その会社は一部上場の大企業。
昔から取引のあった所だが、6年前、アツシの会社が潰れそうになると
スキャンダルを恐れてあっさり切られた。
大口顧客を失った我々は、かえってあきらめがついたものだ。
「今回の着任を機に、取引を再開させてください」
その人は言う。
潰れそうになったら急いで逃げておきながら
本社と合併して安泰になると
手のひらを返して近づいてくる人や会社はたくさんあった。
我々は、あの時に変わらぬ態度だった人や会社を優先すると決めており
バックが付いた途端、そろりそろりと再び近づいて来る者は相手にしなかった。
この人もそのクチだと思っていたら
「私の妻はAの妹です。
この6年間、ありがとうございました」
と言うではないか。
夫と私がぶったまげたのは言うまでもない。
取引は再開された。
夫は相変わらずAさんの元へ通っている。
人はどうだか知らないが、私にはこのような出来事が面白くて仕方がない。
これから先、夫はどんなものを見せてくれるのか。
楽しみである。
ただし、夫が最後に行うであろうおイタは何となくわかる。
私よりずいぶん早く死ぬのだ。
先に死んで、年金を減らす。
これはもう、予測というより予定。
私は彼の亡骸にこう言うだろう。
「楽しい人生をありがとう。
でもこの先の貧乏暮らしはどうしてくれるのよっ!
クッソ〜!」
《完》