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きよラーときよゲー

2011年10月12日 10時29分14秒 | 前向き論
              「朝陽の目玉焼き」


古典なんぞよく知りもしない身の上で、こんな話を出して恐縮だが

源氏物語の原文の中に「清(きよ)ら」と「清(きよ)げ」

という言葉が出てくる。


主人公の源氏亡き後、物語の舞台は

源氏の孫と、源氏の戸籍上の息子の世代に移る。

孫は、源氏の娘が天皇に嫁いで生んだ皇子で

天真爛漫、派手なムードの女好き。

息子のほうは、表向きは源氏の子だが

実は源氏の妻が浮気して生まれたワケありで

中途半端に仏道をかじった真面目かつ少々陰のある男。


同年代の彼らは、ある時、同じ女の子を好きになった。

二人のイケメンは、互いにライバル心を燃やす。


孫は皇子という身分上、自由がきかないが

女の子に会いたい一心で、遠い道のりを無理して通う情熱系。

しかし彼の奧さんは、女の子の腹違いの姉だった。

姉の旦那の浮気相手になってしまったことを、女の子は恥じる。


息子は、女の子を奪われたくない気持ちは強いが、孫ほど熱心には通わない。

女の子は、彼から経済的援助を受けており、元はこっちのカノジョだった。

がんじがらめの複雑さに、女の子は苦しむ。


作者の紫式部は女の子の口を借り、孫のほうを“きよら”

息子のほうを“きよげ”と表現した。

今で言うと“きよら”が「イケてる」

“きよげ”が「イケてる感じ」というところであろうか。

どちらも誉め言葉だけど“きよら”のほうが、ワンランク上となる。

女の子は内心、わかりやすいシンプルを歓迎したというわけだ。


やがて、手放しで愛情を注いでくれるきよラー(孫)と

義理のあるきよゲー(息子)との板挟みに耐えられず

女の子はノイローゼ状態で自殺未遂。

女が軽く扱われる時代であり、乳母や侍女など扶養している人達もいて

自分の思いだけでは、どうにもならないのだった。

死にそこなった女の子は、二人の前から姿を消して尼になるという結末に終わる。


どちらかに決められずに、悩み苦しんだ女の子もまた

きよゲーだったのではあるまいか。

きよラーであれば、自分がズタズタになる前に片方に決めるか

「両方好きなの!」と開き直って手玉に取る手段もある。

きよげはパッと見美しいけれども

人の都合や機嫌を気にしてグズグズしていると、ろくなことは無い。

罪の意識が、義理が、恩がとつべこべ言ったって

結局は両方と寝ちゃってるんだから。



物事を正邪でなく、この“きよら”と“きよげ”で眺めると

なかなか味わい深い。

何年も前の話になるが、例えば私の知人、当時55才の初美さん。

初美さんは次男と結婚しており、姑は近所の本家で長男一家と暮らしていた。

お決まりではあるが、姑と兄嫁は犬猿の仲。


初美さんのご主人は、自分の母親に対する兄嫁のぞんざいな言動に

心を痛めていた。

加齢で母親への思慕が強まると同時に

暇ができて周りのことが気になり始めたとも言えよう。

初美さんもまた、夫を愛する優しい女性であるから

ご主人の心の痛みを自分の痛みとして受け止めていた。


ある時、本家に集まった親戚の前で

兄嫁さんは例のごとく、おばあちゃんを邪魔者のように扱う。

初美さん夫婦は腹に据えかね、兄夫婦に抗議した。

口喧嘩になったのは言うまでもない。


「そんなに粗末にするんなら、私達が引き取ります!」

「どうぞ、どうぞ!やれるものなら、やってみなさい!」

兄嫁に言われて憤慨した二人は、そのままおばあちゃんを連れ帰った。

が、見ると住むでは大違い…

おばあちゃんのわがままなこと、手のかかること。

数ヶ月後には参ってしまい、離婚や一家心中まで考えるようになってしまった。


そこで初美さん夫婦はどうしたか。

本家に詫びを入れ、おばあちゃんを返品したのである。

兄嫁の勝ち誇った顔もだが、返品されると知って

90才の老人とは思えない素早さで荷物をまとめ

いそいそと本家へ帰ったおばあちゃんの後ろ姿に打ちのめされた…

と初美さんは言う。

彼女は挫折を恥じて滅入っていたが

この話を聞いた私は「あっぱれ」と賞賛した。


おばあちゃんがかわいそう、かわいそう、と

夫婦でただ兄嫁を非難していた頃は、ありきたりな偽善者だった。

兄嫁の悪口が夫婦和合の媚薬になっているようないやらしさすら、私は感じていた。


理想に燃えて、引き取ったのはきよげ。

この時は、初美さんを見直した。

でも仏心というのは、仏じゃない者にしか湧かない。

仏じゃないので、美しい思いやりは継続しない。

一時の同情や親切ではどうにもならないことが、この世にはある。


謝って返品したのは、きよら。

印象からすれば、これはザンネンな行為なんだろうけど

建て前も格好もかなぐり捨て、魂で動いたのがきよら。

意地を捨てて頭を下げ、何ものにも代え難い自由と平和を取り戻した。


謝られ、返されたことで、自分は弟夫婦にできないことをやっていると

証明された兄嫁は、気持ちが良かったはずだ。

それが兄嫁を立てることになったのではないか。

だからこそ兄嫁は、帰って来たおばあちゃんをすんなり受け入れた。


そしておばあちゃんも、終(つい)のすみ家は本家と

はっきりわかったのではあるまいか。

初美さん夫婦のきよらが、嫁姑の迷いを消し

結果的により多くの人数に幸せをもたらしたといえよう。


私達の日常でも、応用してみると面白い。

深い悩みの中に暮らし、いつか幸せになりたい…

いつかすべてを許したい…と願う人は多い。

その志は崇高で、きよげ。

しかし過去の積み重ねが今日、今日の積み重ねが未来である。

過去の悲しみと、ばくぜんとした未来に思いを馳せるだけで

今日という日を忘れては、なかなか願う心境にはたどり着けない。


先で幸せになりたいなら、今日の幸せを噛みしめる…

すべてを許したいなら、今日の悲しみを許す…

それがきよら。

きよげときよら、どちらも美しいが

早くて確実、いわば合理的なのは、きよらである。
コメント (50)
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