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殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

実家の修繕

2025年01月18日 10時38分48秒 | みりこんぐらし
今、実家通いが慌ただしい。

母サチコは入院中なので、彼女に手がかかっているわけではない。

介護用に、実家の玄関その他を修繕しているためだ。

自分の育った家ではあるものの、今やサチコの物件となった実家は

嫌いな人が住むよその家という感覚。

サチコが居ても居なくても、何だか不気味で居心地が悪い。


玄関の方は昨年9月末、サチコが3ヶ月の入院を経て退院した時に

これから始まる介護生活に向けて家を見に来た

小規模多機能型居宅介護施設のケアマネから、きつく言い渡されていた。

「玄関を普通のドアに変えてください」


ケアマネの主張は、もっともである。

なにせ実家の玄関は、元が自動ドアだった。

店舗兼住宅というわけではない。

「家に出入りする時は、たいていカバンや荷物を持っているから

自動で開く方が便利」

という祖父の考えで、大昔に新築した際、そうなった。


父の代になってから、いつしか自動ドアの電源は切られ

手動で開閉するようになった。

会社を閉じて夫婦二人暮らしになり、来客も減ったし

人が来ると勝手に開く自動ドアでは物騒だからだ。


ただし全面ガラス張りの大ぶりな自動ドアという構造上

普通の玄関にはならなかった。

鍵は内鍵しか取り付けられず、外からは鍵をかけられない。

そのため家を留守にする時は、まず玄関に内鍵をかけ

外から鍵のかかる台所の勝手口から裏庭に出たら

隣との境の狭い路地を抜けて表へ回る。

不便だけど、両親はじきにお迎えが来る予定で

この厄介な外出方法に甘んじていた。


父は思惑通り早めに旅立ったが

残ったサチコにはお迎えが来ないまま20年。

今じゃあの世でなく、デイサービスからお迎えが来ている。

介護施設の人はデイサービスの送迎や

1日2回の弁当配達のたびに裏口へ回らなければならず

サチコが一人で外出する際も、こんな長道中では危ないと言う。


ケアマネの話では、要介護の独居老人の家って

玄関が外から施錠できない家が多いという。

スムーズな介護のために

そういう所は直してもらうことになっているそうだ。


古い家に住む古い人が要介護になると

住環境を整える必要が生じるのはわかった。

しかしまた一方、場当たり的な改造を繰り返したあげく

家相が悪化して、要介護と孤独にさいなまれる晩年を過ごす

サチコみたいなケースもあるのかもしれない…

などとチラッと思ってしまった。


ともあれ私もまた、サチコに手がかかるようになった数年前から

食べ物や洗濯物、あるいは実家で出たゴミなどの大荷物を持って

狭い路地を行き来するのに辟易していた。

よって、玄関を普通のドアに替える指示を二つ返事で承諾した。


さっそく建築業をしている同級生、通称モトジメに相談。

彼はサッシの業者を呼んでくれたが、問題はサチコ。

手すりやスロープの設置と違って

こういう大掛かりなリフォームに介護保険は出ないので、自腹になる。

施設の指示に従わなければ面倒を見てもらえないため

言う通りにするしかないのだが、サチコにはそれが理解できない。

「継子が友だちの大工とグルになって、私から金を取るんじゃ!」

そう言って激しく抵抗し、モトジメが来る度に鬼の形相で暴言を吐いた。


友だち価格で工事費を安くしてくれた上に

よその婆さんに怒鳴り散らされるのだから、たまったもんじゃないが

認知症の母親を25年も世話したモトジメの気は長い。

その度に、サチコを優しくなだめてくれるのだった。


さて何処も同じらしく、サッシ業者は

介護が始まった老人宅の玄関をやり替える仕事に追われているそうだ。

そのため、工事は年明けということになった。


「え〜!そんなに先かよ?」

去年、聞いた時はそう思ったものだ。

私が1日おきに実家へ通い、デイサービスの送り出しをしているのは

サチコが行きたがらないのに加え、この不便な玄関のためでもある。

普通の玄関であれば鍵を1本、施設に預け
 
職員はそれで玄関を開閉してデイサービスの送迎をしたり

弁当を持って来て家に入り

弁当と一緒に薬を飲ませることになっているからだ。

「玄関が直るまで、娘様が送り出しに通ってください」 

そう言われたら、通うしかないじゃんか。


しかし今となってみれば

サチコの入院中に工事が済むのはラッキーだった。

アレが家に居る時に工事をしたら、暴れるはずである。


玄関の方は、先日終わった。

しかし、今まで酷使していた勝手口のドアにも無理がきていて

開かなくなるのは時間の問題。

今度はそっちを直すことにした。


1月6日の予定だったサチコの退院を延長してもらった私だが

ついでに彼女がいない間、家をあちこち直して

工事が終わったら退院させるつもりだ。

請求書が来たら怒り狂うのは決定事項だが、そしたらこう言ってやる。

「わかった、今後一切あんたとは縁を切る」

工事費を払いたくないと言ったら、手切れ金代わりに私が払ってもいい。

そして携帯は着信拒否、家の電話は消滅させる。

電話が命の義母ヨシコには、携帯を持たせよう。


老人、特に認知症の老人、さらに鬱病の老人は

“変化”という現象に対して強い抵抗感を持つ。

サチコが退院した時、激変した家を見てどんな反応を示すか

今から楽しみだ。
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モンちゃん去る・続報2

2025年01月16日 08時38分21秒 | みりこんぐらし
さて、モンちゃんは近所の人に勧められるまま

人権センターの門を叩いた。

確かに大声を出されるのは怖い…

仕事中に、自分が出るまで何十回となく携帯をかけられるのも怖い…

でも素直にセンターへ行ったのは怖かったからじゃなく

近所に迷惑をかけていると思い知らされたから…

モンちゃんはそう言うのだった。


私も夫の家で経験したが、抑圧される生活を続けていたら

とにかく我慢して、その日を終えることだけに必死になってしまい

何とかして環境を変えたいという考えや力が出なくなる。

捕虜みたいな心境だ。


それが何かのきっかけで、背中を押される。

こうなったら女は強い。

どんなことでもやってのけるパワーが出るものだ。

モンちゃんの場合、そのきっかけが隣人のアドバイスだったのだろう。


それにしても人権センターって

音楽や料理など市民サークルに建物の部屋を貸したり

差別を受けて人権を侵害された人の相談に乗る所だと思っていたけど

女性の人権と尊厳を保護する部署もあるなんて、初めて知った。

考えてみれば、慰謝料を取りたいなら弁護士だけど

取る慰謝料が無い相手ならば

無料で相談に乗ってくれる人権センターで事足りる。


とはいえ、センターはアドバイスをするだけで

実際に行動するのは、ほとんどモンちゃんだったという。

彼女のケースは、小さい子供がいないのと

さしあたって暴力を受けているわけではない…

つまり緊急性が無いと判断されたからである。


センターの相談員からは、まず転勤と転居によって

配偶者から離れることをアドバイスされた。

勤務先へは、転勤に協力するようセンターから口添えがあったそうだ。


センターは可能な限り遠くへの移動を求めたが

若者ならいざ知らず、65才の高齢嘱託職員を

右から左へおいそれと動かせるものではない。

モンちゃんの転勤先は、隣市にある畑違いの部署に落ち着いた。


今までのようにお金を扱う所ではないため、休日の方は不定期だが

新しい職場は心身に無理が無く、あまり人目につかない仕事。

私はそこに、勤務先の誠意を感じた。

モンちゃんが、地道に何十年も働いてきたからだと思う。


転勤先が決まると、次は転居。

キンテン君が捜索願いを出しても、警察は受理しない手続きを取る。

住民票も移したが、これもキンテン君には見せない手続きを取る。

警察や市役所にも、センターの口添えがあったそうだ。


そこからは、モンちゃんの自力。

転勤先の町でアパートを借りたり、引っ越しの準備だ。

並行して、通院中の病院の転院手続き。

今までかかっていた町内の病院だと

姿を見られたり待ち伏せされる恐れがあるので

持病の数だけ通院先のあるモンちゃんは

主治医に事情を話して紹介状を書いてもらい、病院を総替えした。

ちょっとだけヨ…という生半可な気持ちで元の町に近づいたら

何が起きるかわからないので、徹底したものである。


他に、センターのアドバイスで

キンテン君の名義で貯金していた通帳を置いて出た。

急に文無しになると、危険な行動に出る恐れがあるためだ。


小売店や飲食店では泥棒対策として

夜間はレジに5千円程度の現金を入れておくという。

レジに少しでもお金があれば、泥棒はそれを盗んで帰るが

盗むお金が無い場合、腹いせに店を破壊することが多く

その被害は5千円では済まない。

それと同じ対策だと思われる。


通帳に入っているお金はわずかな額だとモンちゃんは言うが

それがあるうちは、キンテン君はおとなしいはず。

私は『牛方とやまんば』の昔話を思い出した。

やまんばに食べられそうになった牛方が

牛の背に積んだ塩サバを次々に投げ

やまんばがそれを拾って食べている隙に

できるだけ遠くへ逃げ切ろうとする話である。


そして、いよいよ家出。

センターからは、置き手紙をするかどうか聞かれたそうだ。

金ヅル…いや妻が夜になっても帰らないとなると

キンテン君がパニックになって

また大声を出すかもしれないと案じたモンちゃんは

置き手紙を書くことを選んだ。

センターからは、「では短く」とアドバイスがあったという。

「家を出ます、お元気で」の簡潔な置き手紙は

こうして作成されたのだった。


ともあれ、このように深刻な話を聞いたマミちゃんと私は

モンちゃんが家を出たことも、その行き先も

絶対に誰にも言わないと決めた。

同級生のテルちゃんにもだ。

なんならモンちゃんの安全が確保されるまで

もう他の人たちと会わなくてもかまわない。


その後は店を変えて、続きを話し合った。

モンちゃんは、一番の難関と思われる離婚手続きを

センターがやってくれると思っていたが、それも自力だそう。

無料相談なので、そこまで親切ではないらしい。

今はまだキンテン君に近づいたら危ないので、そのままになっている。


ここで、マミちゃんから珠玉のアドバイスが。

「◯ぬのを待ちんさい。

買った惣菜とお酒ばっかりで、すぐ身体を壊すよ」

マミちゃんは真面目に言っているのだが

彼女の優しい口調と内容がかけ離れているのが面白くて

モンちゃんと私は大笑い。

我々は再会を約束し、モンちゃんの住む町を後にした。

《完》
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モンちゃん去る・続報1

2025年01月14日 14時53分36秒 | みりこんぐらし
昨年末に働かないご主人を捨て、家を出たモンちゃんと先日会った。

前の晩、急きょ決まったのだ。


その前日、仲良し同級生マミちゃんは

経営する洋品店のお客さんから

突然モンちゃんの携帯番号をたずねられた。

そのお客さんは、地元に住むモンちゃんの親戚。

マミちゃんは携帯番号を教えてもいいかどうか

モンちゃんにLINEで聞いた。


しかしモンちゃんが言うには

「これまで何十年、その人とは没交渉で

今さら話をする用件は無いから教えないで」

だそう。

この時、私も発言した。

「何十年ぶりかで急に連絡先を知りたがる人の話は

ろくな内容じゃないけん無視した方がいい」。


私が懸念したのは、モンちゃんのご主人キンテン君。

彼がそれとなく人づてに、モンちゃんの行方を探しているのではないか…

たとえそうでなかったとしても

今はモンちゃんの連絡先を誰かに伝えるのは避けた方がいい…。


だからマミちゃんは

「携帯番号を変えたみたいで、私もわからないんです」

と返事をした。

お客さんは、残念そうだったという。


この一件からマミちゃんと私は

危険を水際で防ぐには、誰にどこまで秘密にしたらいいのかを

ちゃんと本人に確認しようという結論に達した。

モンちゃんは長年、農協の受付をしていたので

不特定多数の人に顔を知られている。

彼女が家を出た噂が広まると、その目撃情報から

キンテン君がおよその居場所を知ることだって無いとは言えない。

仕事嫌いが祟って年金の少ない彼は

モンちゃんの稼ぎが無ければたちまち生活に困窮する。

必死で居場所を探しているはずなので、しっかり話し合っておかなければ。


ということで、モンちゃんロスになっている我々は

彼女の顔を見たいのもあり、いっそ会いに行こうと決めた。

モンちゃんは、我々の提案を喜んだ。

彼女の住む町は、隣市の郊外。

スーパーの駐車場で待ち合わせた。


モンちゃんに会うのは昨年11月の末

横浜から帰省したけいちゃんを囲んで食事をして以来

実に1ヶ月半ぶりである。

この何十年、こんなに長く会わなかったことは無いので

懐かしかった。


彼女は相変わらず、痩せ細った世田谷姉妹みたいな外見だが

ストレスから解放されて綺麗になっとるじゃないか。

「この分じゃあ高血圧も甲状腺も、緑内障だって良くなるかもよ!」

輝くようなモンちゃんに安心した私は言った。


「まさか緑内障までは…」

「いいや!何もかもキンテンが悪いんじゃ!」

アハハ…アハハ…笑い転げる3人。

やっぱりこのトリオは楽しい。

それぞれが素でいられる友だちだ。


さっそくランチに繰り出す。


牛ホホ肉の赤ワイン煮のコース。

味は悪くなかったが、肉を盛ったスキレットを

あらかじめ温めておく配慮が無かったので、料理はすぐに冷め

「この次は無いね」と言い合ったのはさておき

いつも小食のモンちゃんが、この日は食欲旺盛でびっくりした。

嫌な旦那と離れたら、こうも変わるものなのか。

でもわかるよ…私も実家の母サチコが入院して以来

胃の調子が良くなって食欲が出たもんね。



食事をしながらモンちゃんが話すには

人権センターに相談したのは近所の人の勧めだったそう。

このところキンテン君は大声を出して、モンちゃんを罵るようになった。

この秋は暑かったので、どこの家も窓を開けており

彼の大声が近所にも筒抜けだったらしく

見かねたその人がモンちゃんに言った。

「このままじゃ、危ない。

市の人権センターに、女性を保護する機関がある。

悪いことは言わないから相談してみなさい」


その人は十年余り前、キンテン君の母親…

つまりモンちゃんの姑さんが生きていた頃

キンテン君がその母親に暴力を振るって

何度か警察沙汰になったことも、近所なので知っている。

認知症の母親が彼をイラつかせる…それが暴力の原因。

つまりその人は、キンテン君が危ない性質なのを知っているのだ。


その時は警察と病院と民生委員の連携によって

母親を施設へ入所させることでキンテン君と引き離した。

余談になるが当時、キンテン君の暴力を止めに入ったり

施設入所に奔走した民生委員こそ、義母ヨシコの友だち骨肉のおトミ。

家では嫁姑関係が骨肉でも、民生委員として良い仕事をしたらしい。

そんなおトミも、今は認知症で前後不覚である。

《続く》
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友だち市場

2025年01月10日 10時20分03秒 | みりこんぐらし
今月6日までのはずだった実家の母サチコの入院期間が

私の強い希望で延長されたことはお話しした。

「予定通り退院しますか?それとも延長しますか?」

病院の相談員に電話でたずねられ、一も二もなく延長を希望した私。

「今退院したら、“入院しとけばよかった”と言って必ず泣く」

そう言って頼み込んだ。


実際、そうなのだ。

置かれた境遇が常に不満で

前に戻りたがったり、別の新しい環境を執拗に望む…それがサチコ。


その時に決まったのは入院の延長だけで、日程は未定のままだったが

延長の措置はすぐに取られ、サチコは個室から大部屋へ移動。

「何で私が4人部屋へ行かんといけんの?!」

えらく憤慨してナースセンターの公衆電話から電話をかけてきたが

「さあね」

と答えておく。


対サチコ対策なのか、それとも方針を変えたのか

昨年夏の入院と違って今回は、電話が1分弱で切れるようになった。

電話をかけるために介護士からもらう10円玉の枚数を

制限されているらしい。

さらに1日3回までだった電話の回数が、2回に減少しているみたい。

よって、のらりくらりしていたら終わるのだ。


携帯電話の方は持って行かなかったので、今回は安心。

精神病院の性質上、入院当初は病院で預かり

医師の判断で患者に返還されるという携帯は

前回の入院で心配のタネだった。

自制心の無い電話魔サチコに返されたら最後

携帯に入っている人たちに電話をかけまくって

多大な迷惑をかけるのは決定的だからである。


結局は退院までの3ヶ月間、返されることは無かったが

私はいつ返されるのか、ずっとヒヤヒヤしていた。

あんな思いは二度とゴメンだ。


今回は入院の朝、迎えに行ったら例のごとくまだ寝ていたので

起こして身支度をさせるドサクサに紛れ

サチコの携帯を家に置いて出ることに成功。

病院へ持って行かなければ、彼女が携帯を手にする可能性はゼロだ。


そのまま入院したサチコ、やはり最初のうちは

「帰りたい」と電話がかかっていた。

が、大部屋に移動して話し相手ができたからか、日を追って落ち着き

「春まで入院したかったけど、今月の末までは置いてくれるらしい」

電話でそう言ってきた。

こいつぁ〜春から縁起がいいぜ!


となると、この隙に羽を伸ばしたい私。

期限付きとはいえ、せっかく得た自由だ。

遊びの予定を入れないでどうする。


その前にまず、昨年11月から約束していたAさんとの

新年会が控えている。

私を介してAさんと親しくなった、同級生のマミちゃん

モンちゃん、テルちゃんと5人でランチだ。


けれどもAさんは大晦日に滞在先の東京で倒れ

今も東京の病院へ入院中のため、新年会どころではない。

70才の大台に乗ると、色々あるのよね。

救いは、彼女が東京とこちらの二拠点生活なので

世話をしてくれる仲間が周囲にいることだ。


それにAさんは、モンちゃんが町を出たことを知らない。

たとえ彼女が元気で新年会ができたとしても

モンちゃん不在の理由は伝えなければならない。

家出ホヤホヤの今は話を拡げたくないので

会わずに済んで良かったかも。


同じ理由により、テルちゃんに会うのもはばかられる。

新年会中止の知らせを残念がったテルちゃんは

マミちゃん、モンちゃん、私の4人で遊びたい様子だったが

モンちゃんが来ないのは明らか。

事情を説明する羽目になると、困るではないか。


テルちゃんは人の秘密をしゃべる子ではないが

ひとたび他の誰かに話したら、一人、また一人と話が拡がる可能性が出る。

モンちゃんの身の安全のため、この話を知っているのは

仲良し同級生で結成する5人会だけにとどめておきたい。


去年からユリちゃんに内緒で

我々とランチに行くようになったユリ寺の料理仲間

梶田さんも同じく。

彼女は12月、オーストラリアに住む娘さんの所へ行っていたので

モンちゃんの件は知らない。

「1月に帰ったら、マミちゃんとモンちゃんを誘って

ランチに行きましょう」

そう言って機上の人となったが、帰国はまだ。

モンちゃんの安全が確立するまでは、会わない方がいいように思う。


5人会のメンバーとしてモンちゃんの出奔を知るマミちゃんは

今もずっと心配している。

しかしモンちゃんが少しずつ話してくれて色々と知った私は

彼女からあれこれたずねられるのも話すのも、やっぱりはばかられる。


転勤から家を出るまでのプロセスは

相談した市の人権センターが主導してくれたことや

離婚手続きもそちらに任せていることなど

モンちゃんが命懸けで使った裏技とも言える手段を話したら

マミちゃんはおそらく安心する。

けれどもそれは、モンちゃんの口から話すことだと思う。


モンちゃんは人権センターが乗り出すほど苦しんでいたのであり

そこまでとは気がつかなかった私は、ひたすら辛い。

気がついたからといって何かしてやれるわけではないが

薄い餞別ぐらいは渡せたではないか。


そんなわけで、今は数少ない友だちと

会うわけにいかなくなっている。

その少ない友だちの一人、モンちゃんにも会えなくなったのだから

私の友だち市場は閑古鳥さ。

自由を得れば、羽ばたけず…

おとなしく家に居るしかないようだ。
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財布で初笑い

2025年01月07日 13時13分08秒 | みりこんぐらし
昨日の朝、今年初めてのヤクルトさんが来た。

ヤクルトの配達があるのを忘れていた私は

台所に置いていた財布をつかみ、玄関へダッシュ。

しかし、私が財布だと思っていたものはケチャップだった。

敗因は、財布がケチャップと同じ色だったこと。


義母ヨシコの笑うまいことか。

人の失敗が嬉しいお年頃よ。

私も笑うしかないじゃないの。

後で息子たちに告白したら

「終わっとるね」

と言われ、やっぱり笑われた。


ケチャップ色の財布は数年前

実家の母サチコを連れてデパートへ行った時に買った…

いや、買わされたもの。

商品券を持っていたので、せっかく街へ出たついでに

財布を買おうと思った。

ひと目で気に入ったのは、黄緑の財布。

それを持ってレジへ行こうとしたら、サチコが止める。

「ちょっと、あんた!そんな変な色はやめんさい!」


私のお金で、いや商品券で何色の財布を買おうと自由なはずだが

そうはさせないのがサチコ。

周囲の人間を自分色に染めたい性分の人はいるもので

その一人が彼女である。

「こっちの色にしんさい!」

黄緑財布の代替え品として、サチコが強く勧めたのが

黄緑と色違いのケチャップ財布だった。


え〜?嫌だ〜!こんな色!

年寄りが赤い物を持ちたくて、でも勇気が無くて

つい選んでしまう、お婆さん御用達の暗い赤…

ワインとか、レンガ色とか、嫌いよ。

私はクリアな色が好き。

特に黄緑、ターコイズ、オレンジ、紫がご贔屓なのさ。


もちろん抵抗したともさ。

しかし、サチコの剣幕は凄まじい。

押し問答が続いてラチがあかないので

「また今度にする」と言って財布を手放し

売り場を離れようとしたが、それでも目を釣り上げて食い下がる。

彼女が買ってくれるのであればまだしも

人のお金で自分の意地を通す、それがサチコ。


思えば昔から、こういうところが

彼女の回りから人が離れて行く原因の一つ。

91年という申し分ない年齢を重ね

その問題多き性質に耐えてくれた優しい人々はいなくなり

今になって孤独地獄に陥ったのも、うなづけるというものだ。

認知症と鬱病が進行しつつあったであろう当時

その勢いは、より激しさを増していたのかもしれない。


あんまりうるさいので、シブシブ婆色財布を買った。

買ったからには使うようになって数年

サチコは私が例の財布を使用しているかどうか

じっと観察を続けているので、別の物に替えることができない。

替えたら最後

「何で替えた!あれが気に入らないのか!」

そう激昂し、いつまでも執拗に文句を言い続けるのは

火を見るより明らかだ。


全ては、彼女の前で物を買おうとしたのが失敗。

服も靴も化粧品も、サチコの前で買おうとするたび

同じ結果になるのは経験で熟知しているはずだった。

都会へ出たんだから、田舎じゃ買えない物を…

そんな欲を出した私のミスなのである。


以後、財布はやっぱり好きになれないのでテンション低し。

特に人前で、この婆色財布を取り出すのは恥ずかしい。

もっとも財布を出してお金を払う時は、たいてい人前だ。

服やバッグの色とかけ離れた婆色財布を出すのを恥じて

私はお金を使う回数が、いささか減ったように思う。

キャッシュレスの現代、財布の出番は減ったが

田舎住まいの我々老人は、まだ財布を使う機会が断然多い。

出費をセーブしたければ、感じの悪い思い出を持つ

嫌いな色の財布を持つのがいいかもしれない(冗談です)。


とはいえ新しい財布は、すでに用意してある。

去年の秋、サチコの認知症が進んできたのを見計らって

マミちゃんの洋品店で買ってしまった。

実物はオレンジ色なんだけど、茶系に写ってしまうのが残念なところよ。

硬そうな見た目とは裏腹に

持ったら柔らかくてフワフワの触感がお気に入り。


新しい財布をおろすのに、秋は“空き財布”と言って

良くないと言われるため、財布業界は農閑期。

そのためおしゃれメイト・マミでは

あえてメーカー協賛のセールをやっていて、半額で買った。


私はいつも空き財布なんだから、気にしなくてよさそうなもんだけど

せっかく嫌な財布で何年も耐えたのだから

縁起ぐらい担ぎたくなるではないか。

新しい財布をおろすのは新春、春財布(張る財布)の時期に決めた。

日にちは1月下旬の従姉妹の誕生日、というのも決めてある。

それまで、新しい財布は引き出しで熟成中。


あ、3日連チャンの更新って、あんた余裕あるよねって?

ヘッヘッヘ…

年末に入院したサチコは1月6日、つまり昨日が退院予定だったけど

私の強い希望により、入院期間を延長してもらった。

退院予定日は今のところ未定で、明日になるのか

最長の3ヶ月になるのか、全然わからない。

病院のベッドが混んできたら、退院させられるんじゃないかしら。

その間はゆっくり休むつもり。
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手抜き料理・正月明け

2025年01月06日 10時34分53秒 | みりこんぐらし

今日から仕事始めのかたが多いのではないでしょうか?

うちもそうです。

日常が戻り、お正月のご馳走にも飽きて野菜が恋しくなった頃。

手軽にサッとできる野菜料理をご紹介したいと思います。


《春菊のおひたし》

①春菊ひと束を、塩少々を入れた熱湯でサッと茹でる

②流水で冷やして軽く絞り、食べやすい大きさに切る

②切った春菊に2倍希釈の麺つゆを原液のまま大さじ1と

すりゴマをたっぷりかけて、混ぜたら出来上がり


これ、私が今ハマっている春菊の食べ方。

ほうれん草や小松菜のおひたしより、断然好き。

今どきの春菊はあんまり匂わないので、美味しく食べられる。

これを食べると、なぜかよく眠れる気がするんだけど

気のせいかしらん。



《大根とカニカマのマヨネーズ和え》



①大根2分の1本をスライサーで千切りにし

塩をひとつまみか二つまみ振りかけて混ぜたら、10分程度放置

②少しの塩で幾分しんなりした大根を洗わずに絞る

※ここで大根を洗ってしまうと水っぽくなるので、洗わない

※塩はそのまま味付けの一部になるため、塩の分量は少なめに

③絞った大根をほぐし、そこへほぐしたカニカマ

マヨネーズ大さじ2、薄口しょうゆ少々、コショウ少々を混ぜて出来上がり



パセリやカイワレがあれば、刻んで一緒に混ぜると彩りが良くなる。

これは簡単で美味しいだけでなく、胃の調子を整えてくれる。

少ない塩をかけられた大根は

「しんなりしようか、それともパリパリのままでいようか」

の、どっちつかす状態になる。

このどっちつかずでギュッと絞られたら

柔らかい食べやすさと、サラダっぽい歯応えが生まれる。

そうよ、私は生野菜のサラダがあんまり好きじゃない。

だから野菜はつい、手を加える。

その方がたくさん食べられるし、何か作ったという満足感が得られる。



《大根葉のふりかけ》


①大根の葉ひと束の根元を輪ゴムでしばり

塩少々を入れた熱湯でサッと茹でる

②流水で冷やして軽く絞り、小口切りにしてから輪ゴムを外す

③熱したフライパンにゴマ油大さじ1を入れ

小口切りにした大根の葉っぱを入れて、強火で軽く炒める

④炒めながら、しょうゆ大さじ1、ミリン少々で味付けし

カツオ節と白ゴマをたっぷり振りかけて混ぜたら出来上がり



うちは田舎なので、畑や家庭菜園で作った大根を

人様からよくいただく。

たいてい大袈裟な葉っぱがくっついていて

この葉っぱを何とかするために不承不承

ふりかけめいた物体を作るわけだけど、これが次男の大好物ときた。

葉っぱ付きの大根をいただくと期待するので、作っている。


大根の葉っぱの根元を最初に輪ゴムでしばるのは

茹でる時や切る時にバラバラだと、揃えるのが面倒くさいから。

根元をしばると扱いやすくなり、手早く作れる。


葉っぱの先の方にも栄養があるらしいけど

苦味が強くて仕上がりがモサモサするので

嫌いなかたは茹でる前に先の方を切り落としておくといい。

私は切り落とす派。



野菜じゃないけど、簡単つながりでご紹介。

《鶏肉の塩麹(しおこうじ)揚げ》


①鶏もも、または鶏ムネ肉を2枚、食べやすい大きさにカットし

ボウルかビニール袋に入れる

②そこへ市販の塩麹をドバ〜ッと入れて混ぜ、10分〜20分ほど放置

※塩麹は200グラム入りの白いツブツブのある物を

3分の1程度入れる

※塩麹を混ぜてから長く置くと

塩麹の塩分で鶏肉の水分が抜けてパサパサになるので

浸け置きは10分〜20分ぐらいにとどめる

③そのまま片栗粉をまぶし、油で揚げたら出来上がり


男や子供って、鶏の唐揚げが好きじゃん。

でも作る方は、かったるいわよ。

これはニンニクもショウガも酒もしょうゆもいらず

塩麹だけで風味豊かな美味しい唐揚げができるので

騙されたと思ってやってみてもらいたい。


この塩麹揚げ、いつかのお寺料理の時にマミちゃんが作ってくれたもの。

お寺側のリクエストで、最初は普通の唐揚げを作る予定だったけど

マミちゃんはかったるくなった。

何を一生懸命作っても、それが当たり前になってしまった昨今

わざわざニンニクやショウガを買いに行って

せっせとすり下ろすのが嫌になったわけよ。


そこで家にあった塩麹を鶏肉に混ぜ混み

お寺のお供えだった片栗粉をぶち込んで、そのまま揚げちゃった。

私を含め、みんな何も知らないから「美味しい!」と絶賛。

味付けは塩麹だけだと、後から聞いて驚いたんだけど

一番驚いたのはマミちゃんだったみたい。
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ニュース大賞

2025年01月05日 15時55分32秒 | みりこんぐらし
明けましておめでとうございます。

旧年中は大変お世話になり、ありがとうございました。

本年も、どうぞよろしくお願い申し上げます。


さて昨年の大晦日。

息子たちと、我が家限定今年のニュース大賞の選考を行った。


少し前まで、栄えある大賞は

何かとやらかしてくれる実家の母サチコに贈られると

誰もが思っていた。

中でも大賞にエントリーされた大きな理由は、サチコの薬物問題。

12月、デイサービスの施設に泊まった夜のことである。

彼女が施設に精神安定剤を持ち込み

寝る前に飲んでいるところをスタッフに目撃されて

ひと騒ぎあったのだ。


サチコの飲み薬は、施設の管理下に置かれている。

認知症なので、自分では管理できないからだ。

今は精神病院の薬を飲んでいるため

以前、心療内科で処方されていた精神安定剤は捨てたはずだった。

しかしサチコは、その古い安定剤を隠し持っていて

最近は頻繁に飲むようになっていた。


ここが実の親子と他人の違いになるのだが

継子の私は、サチコが何を飲んでどうなろうと関心が薄い。

施設から捨てるように言われた薬は捨てるが

隠している薬を探してまで廃棄する情熱は無く

また、引き出しなんかを調べて泥棒扱いされるのもまっぴらなので

放置していたのである。


ともあれ、施設が把握してない薬を

個人的に持ち込んで勝手に飲むのは、施設に背く危険な行為らしい。

私はケアマネと看護師に厳しく注意された。


折りよく施設が休業する年末年始が近づいており

その間、サチコは精神病院へ入院という形で

預かってもらうことになっていた。

サチコはすんなり入院し、その後、実家の掃除や洗濯をした私は

彼女がこっそりビールを飲んでいることを知った。


ゴミは私が持ち帰っているが、ビールの空き缶は一度も無かった。

しかし、空のはずの冷蔵庫の野菜室から

ビールがゴロゴロ出てきたのである。

空き缶は私に見つからないよう

近所のコンビニへ行くたびに捨てていたのかもしれない。

精神安定剤と酒を組み合わせたら、そりゃあおかしくもなる。

デイサービスの朝、起きられないのはそのせいかもね。


「酒と薬物!とんでもない不良ババアじゃ!」

息子たちは驚き、ニュース大賞は大晦日を待つまでもなく

サチコに決定しかけた。

そこへ私の友だちモンちゃんから、衝撃のLINEが入る。

「家を出ました、電話番号も変えました」


以後の我が家はこのニュースで持ちきりとなり

ほどなく迎えた大晦日、ニュース大賞はモンちゃんに決まった。

特にポイントが高かったのは、モンちゃんが旦那に書いた置き手紙。

「家を出ます、お元気で」

清々しいまでの簡潔な文面に、我々審査員はハートを鷲掴みにされた。

「自分勝手なだけのサチコより

勇気を持って行動したモンちゃんの方がダントツに素晴らしい」

というのが受賞の理由である。



明けて正月の2日。

夫と私は町内の神社へ初詣に出かけた。

その神社はモンちゃんの家の近所にあるので

自然と彼ら夫婦の話になった。


「キンテンは、一人で家におるんかのぅ」

近くに車を停めて神社まで歩く道すがら

夫は彼らの家を遠目に見ながらつぶやく。

キンテンというのはモンちゃんの旦那のニックネームで

彼の名前の漢字を音読みにしたものである。


「捨てられたんじゃけん、一人でおるしかないが」

そんなことを話しながら、神社に到着。

石段を登っていると、夫が小さく叫んだ。

「あっ!キンテン!」


指さした方向に目をやると

キンテン君がおみくじを木に結びつけとるじゃないか。

「初詣に行く精神的余裕があるんじゃ…」

「のどかにおみくじを買う余裕も…」

彼の穏やかな表情に、ホッとした。


帰宅して、モンちゃんにLINEで報告。

知らせるべきか迷ったが、家出経験者の私から言うと

家を出た後のことは気になるものだ。


「初詣に行く余裕があるんですね。

家で大声出して暴れているかと思ってたけど

落ち着いているようなので安心しました。

また何かあったら教えて」

モンちゃんからは、そう返事が返ってきた。


了解…と返したものの

キンテン君はよっぽど手がつけられなかったのだと改めて知った。

モンちゃんは、身の危険を感じて家を出たのだ。


別の意味で手がつけられない、キンテン君と同い年の夫を持つ私には

モンちゃんの心境がよくわかる。

何でも“人が悪い”で押し通し

通らなければヤケになって、とんでもないことをやらかし

危なくなったら泣いて逃げ、喉元過ぎればケロヨンのパッパラパー。

それが、あの年回りの特徴だ。

やっぱり離れて良かったと思うと同時に

彼女がもう、この町へ戻ることはないと確信した。

キンテン君に姿を見られると、危ないからだ。


しばらくモンちゃんに会えないと思うと、胸に迫るものがある。

しかし一方で、彼女の行動力を誇らしくも思う。

いつかまた笑って話せる日まで、お互いに元気でいたいものである。
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手抜き料理・恒例の年末オードブル

2024年12月31日 22時13分30秒 | みりこんぐらし
今年の大晦日も、例のごとくオードブルを作った。

作ってどうするのかというと、親戚と知人にあげる。

バカじゃなかろうか…自分でも思うが

年末にこれをやらないと、1年が終わった気がしないのだから

困ったものである。


とはいえ、今年のオードブル作りはきつかった。

昨日の30日に実家の母サチコが入院したので

ここ数日、その準備に時間を取られ

料理の支度が何もできなかったからだ。


入院の準備の何が忙しかろう…人はそう思うだろう。

が、敵は認知症である。

私の敗因は、実家で準備を進めたことだ。


衣類やスリッパ、タオルに歯磨きセット、マスク、シャンプー…

今回の入院は年末年始なので、病院の売店は休み。

足りない物を介護士に売店で買ってもらうことができないため

何もかも持って行く必要があった。

そこでここ何日か、家にある物や新しく買った物に名前を書いて

大きなバッグへ入れる作業を続けていた。


が、次の日に行ってみると、バッグはいつもカラ。

バッグすら見当たらないこともある。

サチコが中身を引っ張り出しては、どこかへしまい込むからだ。


どこへ片付けたか、本人は忘れているので

実家へ行くたびに、おびただしい品々を探索しては

一から詰め直す必要にかられる。

ちょっとした賽の河原(さいのかわら)状態。


何日目かで、鈍い私もさすがに考えた。

「準備は実家でなく、自分の家でやろう」

で、サチコの荷物を持って帰る。


しかし今度は「服が無い!パジャマも無くなっとる!」

サチコが騒ぎ出して、電話がジャンジャンかかってくる。

「入院まで、私が持って帰っとく言うたじゃん」

と言ったら

「ほうじゃったかいね?」

ずっと、この繰り返しだ。


昨日ようやく入院させたが、帰りが午後になり

他の用事に追われてやっぱり何もできないまま。

買い物だけは生協、次男の釣り仲間の食品問屋

高校の同級生、原君の移動スーパーを駆使して

バッチリ揃えていたので、その点だけは安心だ。


ええ、今朝からやりましたとも。

ほとんどかかりきりで、ようやく出来上がったのが午後4時。

このハード加減、まるでユリ寺だ。

作り終わったら耳鳴りがして、目がチカチカしたわさ。


巻き寿司、ポテトサラダ、スコッチエッグ、焼き豚

黒豆、焼肉、焼き芋、チーズの生ハム巻き。

ザッと作ったから、いつもにも増して荒々しいお料理だわ。



今年1年、本当にお世話になりました。

温かいコメントや応援ポチをありがとうございました。

来年もどうぞよろしくお願いいたします。

皆様のお幸せをお祈りしております。
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モンちゃん去る

2024年12月26日 16時09分57秒 | みりこんぐらし
「家を出ました。

携帯番号も変えました。

新しい電話番号は◯◯◯…です」

仲良し同級生で結成する5人会のメンバー、モンちゃんが

グループLINEでいきなり重大発表をしたのは昨日の昼のこと。

たまげた。


私がそのLINEを見たのは、モンちゃんの発信から1時間後。

他のメンバーはLINEの確認が早いので

おそらくみんな見ていると思われるが

突然のことにどう反応していいかわからず、沈黙を守っている様子。

ここは竹馬の友である私が何か言わないと…

そう思って返信。

「やるじゃんか!応援しています」


すぐに他のメンバーから、次々にLINEが。

「私も応援するから、話したいことがあったら何でも話してね」

「ずっと我慢して頑張ってたもんね」

「びっくりしたけど、後悔の無い人生を送るのが一番だよ」


モンちゃんは、ありがとうの言葉と共に

詳しいことはまた落ち着いてから…そうことわって

経緯をザッと話した。

転勤願いを出してOKが出たから、隣市にアパートを借りた…

旦那には「家を出ます、お元気で」

とだけ書いたメモを残して家を出た… 

旦那は今頃、探し回っていると思う…。


職場に転勤を願い出て、携帯番号まで変えるからには

よっぽどのことがあったのだと思う。

仕事が続かず暴力癖があり、大酒飲みの上にワガママ

しかも講釈たれの旦那だ。

モンちゃんは働き続けて、そのクズ旦那を養いながら

同居していた彼の母親を介護して看取り、一人娘を育て上げた。

置き去りにする価値は、十分にある。


仕事嫌いが災いして年金の少ない旦那は

モンちゃんに捨てられたら死活問題だ。

そりゃ必死で探すだろう。

もしも彼から問い合わせが来ても、知らないと言うつもり。


彼がうちの夫の同級生という条件だけを鑑みても

この先、一緒に暮らして幸せが待っているとは思えない。

あの年回りは、要注意なのだ。

うちの夫の場合は女だが、他の同級生も

酒、あるいはギャンブルで家庭を壊す男が多い。

家庭のみならず、自身の身体を壊す者も多く

あの学年の同窓会だけ

男子の物故会員が多いのも特徴である。


モンちゃんはこの秋、転んで足首を骨折した。

甲状腺の薬を飲んでいると骨がもろくなるそうで

何年前だったか、鎖骨を骨折したこともあった。

今回は右の足首なので、通勤の車を運転できない。

そこで家に居る旦那さんに送迎してもらっていたが

その度にブツブツ言われてウンザリだとこぼしていた。


モンちゃんの家から職場までは、ほんの1キロほど。

旦那は家でブラブラしているんだから送迎ぐらい当たり前だと思うが

行きは早起きがかったるいと文句を言い

帰りは迎えに行くまで酒が飲めないと文句を言う…

私はモンちゃんから直接聞いて、憤慨したものである。


人間、ピンチの時に相手の本心がわかる。

こんな男と一緒にいても仕方がない…

彼女はそう判断したのかもしれない。


今にして思えば11月の半ばから

モンちゃんが家を出る兆候は確かにあった。

県北へランチに出かける計画が持ち上がったが

モンちゃんは母親の法事が近いのを理由に、珍しく参加しなかった。


以後、働いているモンちゃんに合わせて

たいてい週末に計画される我々のランチやお茶には

やはり多忙を理由にして欠席。

11月末、横浜からけいちゃんが帰省した時には来たが

以後も欠席が続いている。


それきり、モンちゃんと会わない日々が続いた。 
 
5人会の発足以来、こんなに会わないのは初めてだ。

先日はマミちゃん、モンちゃん、私の3人のグループLINEで

マミちゃんが来年行くランチの計画を立て、日時を決めようとした。

しかしモンちゃんは、既読になって数日経っても返事が無い。

真面目な彼女には、考えられないことだ。


さすがに何か変だと思ったが、依然として忙しいのだろうと

そっとしておいた。

なるほど、家出の準備をしていたのだから忙しいはずである。

平日は普通に仕事をして、週末になるとアパートを探したり

転居先へ荷物を運んでいたのだろう。


旦那に見切りをつけたら最後

誰にも頼らず黙って行動する潔さに感服しつつ

いつも同じ町内にいると思っていたモンちゃんが

遠くへ行ってしまった寂しさは否めない。

行き先はついぞ隣の市といったって、もう以前のように会えないと思う。


ともあれ、ここは彼女の幸せを祈るところであるが

離れた方が幸せとわかっているので、とりあえず健康を祈る。

「今、一人でゆっくり晩ごはん食べたところです」

夜、モンちゃんからLINEがあった。
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フグの会

2024年12月24日 13時01分08秒 | みりこんぐらし
メリー・クリスマス!

クリスマスといえば思い出す。

幼い頃、父が山で木を切って、作ってくれたクリスマスツリー…

クリスマスの朝、目が覚めると枕元にあったプレゼント…

6年生の春に母が他界したので、その年からプレゼントは無くなった。

薄々わかってはいたけど、やっぱりサンタは母だった。


「この子たちが大きくなるのを見たい…

まだ生きていたい…」

死の床で絞り出すように言いながら、涙ぐんでいた37才の母。

それがどうよ。

「91年は長過ぎる…もう生きたくない…」

毎日そうボヤくサチコの面倒を見る日が、まさか来ようとは。

ここ、笑うところよ。



さて、先月のこと。

「来月の誕生日プレゼントに、カノジョとフグ料理を奢ってやる」

次男が言った。


この5月、結婚一周年の記念日に離婚した彼は

早くも新しい彼女と出会っていた。

家に連れて来たのは、10月の終わり頃だったと思う。

9月に愛犬パピを失い、未だ悲しみに沈む家族にハッパをかけようと

紹介を早めた様子が見て取れた。

しかし私にとっては、新しい心配が増えただけである。


今度のお嬢さんは、元嫁アリサと真逆。

次男より年上で、細く美しく上品…それでいて人懐こい娘さんだ。

私は野生児アリサの天真爛漫も好きだったが

これはこれで、どこへ出しても大丈夫という安定感がある。

次男のストライクゾーンの広さは、父親譲りらしい。


ともあれ次男カップルは、釣り仲間のやっている隣市の料理屋で

我々夫婦にフグを与えてくれるそうだ。

市内でフグを出す店は、すでに絶滅したため

フグ好きの私には願ってもないことである。


しかし、次男が予約していた今月21日の土曜日

夫はゴルフが決まっていたので行けない。

大事な取引先のコンペで、その後は打ち上げなので帰りが遅くなる。

しかも最大の問題は、夫がフグを好きでないことだ。


さらに問題は続く。

義母ヨシコをどうするか。

姑と生活していると、こういうことが厄介なのよ。

特にヨシコは、私よりもフグが大好物。

しかも“およばれ”に対して、異様に敏感だ。

およばれとは自分たち夫婦がされるもので

嫁の行くものではないという精神が、亭主亡き後も継続中。

家に置いて行ったら

眠り姫のパーティーに招かれなかった魔女状態は必至である。


「父さんの代わりに、ばあちゃんというわけには…?」

私は次男におずおずとたずねた。

招待される身として、メンバー変更は厚かましい行為だからだ。


「ええよ。

じゃあいっそ、アニキも誘おう」

次男の返事は気安かった。

この時点で、お金を出すのは次男たちでなく

こっちに移行したようだ。

ヤツの財布は傷まないのだから、何人になろうと寛大なものである。

長男も二つ返事で行くことになり

次男は予約日の前日、夫を除いた家族4人と彼女様で

合計5人と伝えた。


しかし、ここで彼女様が難色を示し始める。

「お父さんと、ご一緒したかった…」

幼児の時に父親を亡くしているため

夫と親しくなるのを楽しみにしているのは、以前から聞いていた。


それを知った夫は、フグの会へ参加する意向を表明。

取引先に、打ち上げを早退する連絡をした。

「親父も来るって」

次男は料理屋に一人増える旨を連絡し、彼女様にも知らせた。


すると喜ぶかと思いきや

今度はフグの会への参加そのものを渋り出した。

「人数が多過ぎて恥ずかしい」

というのが理由。

二人はしばらくの間、LINEでゴタゴタしていた。


「アラフォーにもなって、何が恥ずかしいだ。

もうええ、誘うな」

こういうところが、女の子を持たない私の短所と自覚している。

女子の複雑な胸中を思いやる、デリカシーが無いのよねん。


「家族で行くからいい」

次男は彼女様に言い、料理屋には

一人減って結局5人になったことを連絡した。

しかし彼女様、ここで危機感を覚えたのか

「電車で行って、ご挨拶だけして帰る」

と言い出す。

あ〜、嫌…こういう回りくどいの。

幹事とか、したことないんだろうな。


そこでまた、デリカシーの無い私が次男に耳打ち。

「無理せんでええ!また別件で仕切り直せ!」

そういうわけで、私への誕生日プレゼントだったはずのフグは

急きょ、家族の忘年会に変更された。




フグ刺しは一人前ずつ別盛り。

他の人に気を使わなくていいから、これは嬉しい。




鍋。

手前の黒いのは皮で、最初にしゃぶしゃぶで食べる。
 



雑炊はまあ、普通。

他にもフグの天ぷらなどがあり、一同大満足の夕べだった。

フグが苦手な夫は、肉中心の別メニュー。

飲み物も入れて、5人で3万4千円は安かった。


あれから数日経って思うに、ひょっとして彼女様…

最初は私ら夫婦に奢るつもりだったのが

人数が増えたため、大勢でタカられると思ったのではなかろうか。

「人数が多過ぎて恥ずかしい」の真意は、それかも。

そして「お父さんとご一緒したかった」の発言は

当初の予定通り、4人が良かったと言いたかったのかも。

わからないわ、デリカシーが無いから。


あれ以来、次男カップルは何げにギクシャクしているみたい。

知〜らんっと。
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年末が来た・4

2024年12月23日 08時30分00秒 | みりこんぐらし
今年、私はある特殊能力を身につけた。

それは、「見て見ぬふりができる」というもの。

窓ガラスは見える部分や手が届く範囲だけを磨き

部屋や庭も同じく部分的に掃除。

あとは見て見ぬふりだ。


以前は、だらしない性格なりに頑張っていた。

が、年寄りの世話に明け暮れた今年は、それどころじゃない。

自分の身体は自分で守らなければ。

見て見ぬふりって、案外できるもんだね。



さて私は相変わらず週に3回、デイサービスの送り出しに通い

合間で用事があれば実家へ行く日々である。

そんな先日、実家の母サチコが通うデイサービスから連絡があった。

彼女が色々とやらかしてくれるので

このところ、施設から電話やメールで頻繁に連絡が来る。

連絡を受けた私は指示に従うか、謝ってばっかりだ。


今回は、デイサービスに常駐する看護師からの電話。

「お母様のお尻に“褥瘡(じょくそう)”ができているのを

入浴の時に見つけました。

早めに皮膚科を受診してください」


それを聞いた私は、自然に緩む口元を押さえきれぬまま

看護師に確認した。

「褥瘡というのは…“床ずれ”のことですよね?」

「はい、床ずれです。

お尻の仙骨(せんこつ)の上に、小さいのができています。

広がると長引くので、軽いうちに皮膚科を受診して

塗り薬をもらってください」


床ずれ…今の私の耳には麗しい単語だ。

なぜなら、この生活が終わる兆しに聞こえるからである。


昔は老人や病人に床ずれができたら、◯期が近いと言われたものだ。

病院の厨房に勤めるようになると、それは昭和までの話で

現代は良い塗り薬があるため、一概に終わりとは言えないことを知った。

それでも、終わりに向かう道しるべのように感じてしまうじゃないか。

クックックッ…。


連絡を受けた翌日、足取りも軽く実家へ赴く。

「あんさん、床ずれができとるそうじゃないの」

サチコに言うと

「へ?知らんで?どっこも痛いも痒うもないで?」

「皮膚科へ行こうや」


で、私が勤めていた近所の病院に連行。

その日は週に一度、大学病院から皮膚科の先生が来る日だった。

床ずれの箇所の確認はしない。

私にお尻を見せるなんてサチコは嫌だろうし、私も見るのは嫌だ。


待合室で待つこと、2時間半。

ずっと座っていると、こっちが床ずれになりそうじゃ。

サチコは待つのに飽きて、通りかかる看護師を呼び止めては文句を言う。

「ちょっと!忘れとるんじゃないのっ?」

年寄り、特に認知症だと気が短くなるものだ。


ようやく順番が来て、診察室に入る。

看護師がサチコのズボンを下げ

医師が尻の肉をかき分けて患部を探した。

つまり彼女の床ずれは、探さなければ見つからないほど小さいらしい。


「これは…」

そして彼は絶句。

おお!いよいよ道しるべか!


医師は、私の方を向いて言った。

「あると言えばありますけど…

小さいし、もうほとんど治っています」

彼が指差した先には数ミリの、点のようなカサブタが一つ。

私は密かに失望するのだった。


「お薬は必要無いと思いますが、一応、出しましょうか?」

お願いします…私は答えた。

施設から病院へ行けと言われたら、行かないといけないのだ。

塗り薬は家と施設用の2個もらって、受診した証拠を提示するのだ。


何度も言うけど、介護施設って

利用者の家族に徒労を強いるのが好き。

こないだも

「お母様の小指の先に、青いアザのようなものができています。

ドアか何かで詰められたのかもしれません。

必要であれば外科を受診してください」

と連絡があった。

翌日見たら、小指の爪の付け根が1ミリぐらい青くなっている。

本人は気づいておらず、痛くもないと言うので放置した。


細かい観察は老人のためというより、施設の保身のためだろう。

保身と言ったら語弊があるが、利用者やその家族の中には

ごく小さなことにイチャモンをつけるのが生き甲斐の

クレーマーがいると聞く。

責任回避のために、小さな事象も見逃さないのは

介護従事者にとって技術の一つかもしれない。

私の心に小さく灯った希望…床ずれは、空振りに終わった。

《完》
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年末が来た・3

2024年12月22日 09時51分55秒 | みりこんぐらし
入院が決まると、相談員は心配そうに言った。

「今回、一週間でも入院すると

次に入院できるのは4月になります。

それまで大丈夫ですか?」


そうなのだ。

近年の入院制度には、3ヶ月ルールという縛りが存在する。

退院が不可能な症状など特別な事情が無い限り、入院期間は3ヶ月で

一度退院したら次の3ヶ月間は入院できないというルールだ。

トランプのババをいつ使うか…みたいなもので

こっちは婆の身の振り方について、思案のしどころなのである。


が、かまうものか。

なんなら正月が明けた後も3ヶ月、入院しときゃいい。

この夏は暑い間、入院していた。

今度は寒い間、入院すればいいのだ。

サチコが望めば、そして病院が了承すれば、という注釈はつくものの

こっちはもう、当たって砕けろの気分じゃ。


もはや、私の覚悟は決まっていた。

入院のカードが使えないなら

県内のみならず、日本全国に範囲を拡げて施設を探す。

地元や街中の施設は空いてなくても、山奥の過疎地なら空きがあるはずだ。


そうまでして、サチコを施設に放り込みたいわけではない。

本人が入りたいと言うからだ。

自分の気まぐれな発言がどんな結果を生むか

あの人もそろそろ知った方がいい。


このところ、私は以前にも増してバンバン言ってやるのだ。

「デイサービスに行っても寂しい、家に帰っても寂しい…」

「あの世も寂しいらしいで!」


「こんなに寂しいのに、何で生きとらにゃならんの?」

「◯なれんのじゃけん、生きるしかないが!」

返事に困るようなことをわざと言って

相手を暗い気持ちにさせる数々の語録はもう許さない。


中でもたびたび口にする、どうしようもない発言については

対処法をマスター。

「私は一人ぼっち…誰も一緒に暮らしてくれん…」

嘆き悲しむ悲劇のヒロインに

「子供を3人ぐらい生んどきゃ、どれかは引っかかったんよ。

自己責任じゃ!」


「ええことが一つも無い」

「あんただけじゃない!うちだって無いわ!

年寄りの世話に明け暮れる人生の、どこにええことがあろうか!」



「面白うないけん、行きとうない」

一日おきに行くデイサービスの朝

苦虫を噛み潰したような顔で言うこれには

「婆さん集めてチイチイパッパが面白いわけないが!

ようわかっとるわいね!

何で行くかいうたら、家族を安心させるためよ!

それがあんたの仕事!」

これらを言ったら静かになり、そのうちあんまり言わなくなった。


さらに毎週金曜日、デイサービスに泊まるのは未だに抵抗があり

「用事があるから泊まれません」

などと勝手に電話をかけることも多くて、施設を困らせている。

「みんなが次々に帰って、私は取り残される。

泊まったって寂しさは変わらん」

というのがサチコの主張だ。


「泊まりをドタキャンしたら、信用無くすよ!

ますます誰からも相手にされんわ!」

信用のフレーズはよく効いて、それからはおとなしく泊まるようになった。


が、施設の人たちが最も困っているのは

デイサービスにおけるサチコの不用意な発言だそう。

入浴のために洋服や下着の着替えを一式、施設に預けているのだが

このシステムが理解できないサチコは

「ここへ来たら服が無くなるから、気をつけた方がいい」

「私は他人のズボンを履かされて、帰らされた」

などと、他の利用者にしゃべるという。

他の利用者もバリバリの認知症なので

こういうことを言われたら不安になるというわけ。


そしてもっと困るのは、デイサービスに集まった利用者を数え

「今日は、いらん子が6人」

毎回、皆の前で言うそう。

いかにもサチコらしい。


この爆弾発言に、もちろん施設は揉める。

施設の人々はサチコの扱いに困惑し、完全に浮いてしまったサチコは

ますます寂しさがつのるという悪循環の図。

「うちではお世話できません」

今の施設から、そう宣告される日は近いかもしれない。


「色んな方がいらっしゃいますのでね、慣れていますから大丈夫ですよ」

病院でも施設でも、スタッフは心配する私にそう言った。

ただし私の心配は、サチコに向けられたものではない。

こっちはひたすら、サチコに接するスタッフの心配をしていたのだ。

《続く》
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年末が来た・2

2024年12月21日 14時46分25秒 | みりこんぐらし
主治医の厚意により、年末年始を病院で過ごせそうなサチコ。

すっかり入院する気になって、喜んでいる。


カンの鋭い彼女は、娘が帰省に積極的でないことを感じ取っていた。

電話はいつもサチコの一方通行、帰省の話が出始めても

マーヤからの連絡は全く無いのだから

カンが鈍くてもわかるというものだ。


日が経つに連れ、「娘に見捨てられた」という気持ちは強まって

サチコの精神は不安定になっていった。

認知症とはいえ、高いプライドをそのまま維持するサチコにとって

見捨てられた惨めさを実感するのは非常につらいことだった。


やがて彼女は、プライドを守る唯一の方法を考えつく。

「老人ホームに入るから、帰省の必要は無い」

自分から先に、そう告げるのだ。

彼女自身はこのシナリオに満足したようで

「もう一人暮らしは無理だから、老人ホームに入りたい」

と私に訴えるようになった。


しかし、サチコの言うがままに施設を見つけ

めでたく入居させたところで、何になる。

帰る帰ると無理を言って困らせるのは、目に見えているではないか。

サチコが求めているのは、本当に終の住処なのか。

それとも自身の体裁をつくろうために、ほんの一週間を過ごす宿なのか。

これをはっきりと見極めるまで

私はサチコの再三にわたる訴えに放置を決め込んでいた。


ところで、ここしばらくは

要介護2でも入れるグループホームを考え続けていた私。

けれども前回、精神病院の健診で相談員にたずねてみたところ

「認知症だけなら入れるんですが、鬱病という病名が付いていると

グループホームは受け入れが難しくなるんです。

あれでも探せば、受け入れてくれる所があるかもしれませんが…」

という返事だった。

“症”と“病”の違いを通感したものである。


介護保険を利用するようになり、施設のお世話になって3ヶ月…

介護関係者の独特な言い回しは理解したつもりだ。

「探せば」、「あるかもしれません」

二重の仮定は、つまるところ「ほとんど無理」ということである。

私はこの時点で、グループホームというカードを捨てた。


ともあれグループホームに諦めがつくと

不思議なことにサチコが本当に求めているのは

老人ホームへの入所でなく

デイサービスが休みの間に泊まる仮の宿だとわかった。

「だったら入院という手があるじゃないか…」

そう気がついたのも同じ頃で

ほどなく精神病院の受診日が訪れ、主治医に相談した次第である。


さて、主治医と我々の間で入院が決まり

日程の調整のために相談員と面談することになったが

その相談員から「待った」がかかる。

「入院は制限が多くて楽しくないし、テレビも見られないから

どこかショートステイのできる施設を探された方がいいと思うんです。

この施設の中から、どこか選んで連絡を取ってみられてはどうですか?」

そう言って、市内の老人施設のパンフレットを何枚か渡された。


ケアマネや相談員と接するようになって、いつも思うけど

あの人たちは、さりげなく家族に徒労を強いる。

裏で色々と、我々シロウトにわからない都合があるんだろうけど

上辺や口先の親身がうまいわ。


が、それらのパンフレットを見て

私より先に難色を示したのはサチコだった。

「市内では、ここが受け入れてもらえる可能性が高いんですが…」

相談員お勧めの施設は、一つ下の妹の元旦那シュンが勤めていた所であり

私の夫の姉カンジワ・ルイーゼが給食調理員として働いていた

いわくつきの老人ホーム。


「シュンがおった所へなんか、行くものか」

サチコは吐き捨てるように言う。

何かの拍子に身内だと知られる可能性が無いとは言えないので

サチコはそれを嫌っているのだった。


そうでなくてもここは、とても不便な場所。

クネクネの細い道を延々と登った先にある、崖の上だ。

私の大嫌いな、車が離合できない道である。

サチコでなくても、行くものか。


絶対に行きたくない施設が登場したことで

元々反抗的なサチコは、ますます入院したくなった。

その情熱に押された形で、入院は決まった。


これでホッとした私は、シクシクと痛んでいた胃が

たちどころにスッキリし、年賀状を書く余裕も出た。



今回は、郵便局のカタログで決めた年賀状。

私の好きな、ホールマーク製。

華やかな花柄が好きなのよ。

《続く》
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年末が来た・1

2024年12月20日 13時53分36秒 | みりこんぐらし
年の瀬になって、火事や物騒な事件が起こっている。

電話も変なのがかかってきて、何だか世知辛さを痛感。


「いらないお洋服や靴はありませんか?」

本当は貴金属の買い取りをしたい業者が

とりあえずそう言って家の電話にかけてくるのは

ポピュラーになったけど

近頃は強盗が、そんな電話で入る家を探すことが知られてきて

飛びつく人が減ってきたみたい。


そのためかどうか、最近は買い取り業者の戦略が変わってきた。

こっちが出たら、最初は何も言わずに黙っていて

10秒ぐらい沈黙してから名乗る。


若い人は無言電話だと思ってサッサと切るけど、年寄りは違う。

「もしもし?もしもし?」

と深追いする。

寂しいから、無意識に話し相手を求めるのだ。


これをやったら、向こうの思うツボ。

ちょっと機嫌を取れば

一人暮らしだの、昼間は自分だけだの、家族構成だの

個人情報を何でもしゃべってしまう。


人間って、話したいことを話したら

次は相手の言うことを聞いてしまうものだ。

買い取りの営業は、成立する可能性が高くなる寸法である。


最初は無言の、この電話…

うちにも何度かあったし実家にもかかってきたので

おそらく間違いないと思う。

お年寄りのいらっしゃるおうちは、気をつけていただきたい。


あと、携帯にかかるんだけど

向こうの電話番号の最初に➕(プラス)が付いているやつ。

私にかかったのは、➕806965…の番号。


これが、なかなか鳴り止まない。

怪しいので着信拒否したけど

あのしつこさじゃあ、うっかり出ちゃう人もいると思う。

もし出たら、よその国に繋がる詐欺…という話だけど

ロクなことはないから、こちらの方も気をつけていただきたい。



さて、実家の母サチコが通うデイサービスが

年末年始の6日間、完全休業することはお話しした。

デイサービスも、昼と夕の弁当も無い6日間をどう乗り越えるか。

私は頭を悩ませた。


一人ぼっちで正月を迎えさせるのは可哀想だと

冷酷な私でも思う。

実の親子なら、一晩ぐらい泊まりに行けば済むだろう。

しかし、あかの他人のサチコと私では無理。

私も嫌だけど、肝心のサチコの方が受け付けられないのだ。


そこで、今回ばかりはサチコの実子マーヤに

関西から帰省してもらおうと考えた私。

「おせち料理その他、食料は届けるから

大晦日から元旦の年越しだけでも一緒に過ごしてもらいたい」

マーヤにそう頼んだら、すんなりイエスと言ってくれたのでホッとした。


けれども今度は、サチコが異議を唱えた。

「一家5人で来られたらしんどいけん、マーヤだけにして欲しい」

気持ちはわかる。

料理や寝床の世話など、何をしてやるわけでもないが 

ただゾロゾロと来られるだけで、年寄りはストレスになるものだ。

何もしてやれなくなったからこそ、辛さは何倍にもなる。

そのため、マーヤに一人で帰省するように言ったら

「家族と一緒じゃないと、一人では怖い」


マーヤ一人の帰省を望むサチコと

複数人での帰省を望むマーヤの調整はつかなかった。

親の顔を見に帰るのに、一人じゃ怖いなんて…

人はそう思うだろうが、サチコの病的な恐ろしさは

私が一番よくわかっている。

実の親子の方が、逃げ場が無くて怖いと思う。


そこで夏に入院して以降、毎月受診している精神病院に相談。

主治医は、いとも簡単に言った。

「じゃあ年末年始、うちへ来る?

ご馳走は出ないけど、みんながいるから安心だよ?」


地獄に仏とは、このことだ。

美男子の先生に誘われて、サチコもまんざらではない様子。

入院は、すぐに決まりそうだった。

《続く》
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よそも大変らしい・3

2024年12月16日 11時10分01秒 | みりこんぐらし
Sさんからもらったシワ取りクリームのブツブツが消え

季節は秋から冬に変わった。

そして先日、最初にお話しした

“奥さんの軽自動車を誰かに30万で売りたい”

Sさんは、この要望を次男に伝えた。

つまり彼はディーラーでの査定をせず

言い値で買ってくれるお人好しの知り合いを紹介しろと言いたいのだ。


ここに、我々母子は違和感を持った。

車の売買に関してシロウトの次男に

そんな話を持ちかけるなんて、バカにしているではないか。

次男の知り合いなら、似たようなのがいると踏んだのか。


それにSさんの奥さんは、仕事に行っている。

仕事を辞めたとしても、不便な田舎なので車が無ければ困る。

よって車を買い替えたい場合は業者へ下取りに出し

その買取金額を元手に新しいのを買うのが

世間の常識というものだろう。


しかしSさんは、奥さんの車をただ売りたいだけ。

中古車販売業者だと値を叩かれるので、個人に売りたいのが人情だろうが

だったら奥さんはもう、車を必要としない状況にあると考えられる。

おかしいではないか。


次男は続けた。

「店の2階から、例の女の子が降りて来たのを見たんよ」

Sさんの店の2階は、居住スペースだ。

「トイレなら1階の店の奥にあるし、慣れた感じで

トントン…って降りて来た。

その音を聞いて、車を売る話は忘れたフリするって決めた」


賢明である…私は言い、次男に素朴な疑問をぶつけた。

「その子、専門学校へ行ったんじゃないん?」

「辞めて帰って来て、町内の居酒屋でバイトしようる」

「はあ?」


確認はしてないが、奥さんはおそらく家を出て

二人の息子さんのどちらかの所へ行ったと思われる。

息子さんたちは都会で生活しているため、車は必要無いので置いて行った。

それでSさんは、乗り手のいなくなった車をお金に変えたいのだ。


奥さんの要求で慰謝料の一部になるのか

店の運転資金か、それとも単に遊ぶ金欲しさかは不明だが

旦那の浮気相手が10代のガキ…

奥さんの衝撃は、いかばかりであろう。

茶髪のすれっからし、しかも子供に家庭を壊されたのだとしたら

腹が立つどころの騒ぎではないだろう。


こうも年が離れると、相手の若さはすでに問題ではない。

自分の旦那が犯罪スレスレのことをしでかした怒りや

ガキに鼻の下を伸ばす異常性に、鳥肌の立つ思いが先に来るだろう。

呆れてモノが言えないとは、このことだ。

奥さんがいなくなったSさんの家で

女の子はすでに女房気取りかもしれない。


年の離れた若い相手には

同年代の相手とはまた違った残酷がある。

人目を忍ぶわきまえを知らず、本人がいたって無邪気だからこそ

やることがえげつない…

若さゆえ、無知ゆえの残酷だ。


覆水を盆に返す気が無いのであれば、私は奥さんに教えてさしあげたい。

暴力でも訴訟でも、女を無傷で済まさない決意を旦那に示すこと。

それにビビッて旦那が謝った時は

「あんたの謝罪はいらない、私が欲しいのは女の謝罪」

そう言い切ること。


妻は、女に危害を加えたり謝罪をしてもらいたいわけではない。

むしろ対面どころか、すれ違うのも嫌なので関わりたくない。

妻の願いは、時間を浮気前に戻して欲しいことだけである。


けれどもタイムマシンなんて無いんだから、無理なことはわかっている。

そこで不実な亭主に向け、恨み言の羅列になるわけだが

ダラダラと何を言ったって、のぼせた男にはこたえない。

しかしこの二つを言えば

気の小さい浮気亭主は一発、いや二発で凹む。


そうさ…浮気する男は概ね、気が小さいものだ。

そして男の気の小ささは、経済力に比例する。

経済力が乏しい庶民だから、安く遊べる異性によろめき

その乏しい経済力を妻と愛人が取り合うから、ゴタゴタするのだ。


ただし、この二つを言ったら、多くの場合は離婚しか無くなる。

男はこれから先、妻の機嫌をうかがいながら

結婚生活を続けて行く実力が無いため

尻をからげて逃げ出すからである。


これを言って、離婚に至らなかったのが我々夫婦だが

さして特殊な現象ではない。

これを言うと、二人が駆け落ちして姿を消すので

そのまま、ついなあなあになってしまっていただけである。


ともあれ、Sさんのお宅に勃発したらしき事件。

我々母子が想像する通りなのか、または杞憂に終わるのか

現在のところは不明である。


Sさんが主催する忘年会は、毎年決まった店で開かれていたが

今年は問題の女の子がバイトしている居酒屋に変更された。

次男は誘われたが、断ったという。

「君子危うきに近寄らず…偉いが」

そう褒めると

「あの居酒屋、料理がショボいもん」

だってよ。

《完》
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