第一条件の近距離を捨ててリストアップしたはいいけど
隣の市にある有料老人ホームは、どれもドングリの背比べ。
空き部屋有りと表示してある所は山奥だったり
第三条件の低階層の方はというと、4階建て以上の所ばっかりだ。
ショウタキやグループホームは少人数が対象だから
小ぶりな平屋が多いけど
有料老人ホームは収容人数が多いので、たいていビル。
その中で2階を希望したところで、部屋が空いていなければ
どうにもならんじゃないの。
やっぱり初めにパンフレットを送ってもらった所も含め
一から検討し直して、ピックアップした施設へ電話するしかなさそう。
とはいえ
「電話か〜…」
私の心は早くも萎える。
電話も、面談とほぼ同じことを一から十まで話すんだよ。
しかも面談と違って、顔も見たことない相手にだよ。
で、判で押したように見学に来いと言われ
のこのこ行ったらまた面談じゃ。
めんどくせ〜!
ゲンナリしていたら、次男が施設の名前を書いた紙に目を留めた。
彼は近年、サチコ関連の話をよく聞きたがる。
生まれてこのかた、父の通夜葬儀を含めて
数回しか会ったことのないサチコに興味を持っているのだ。
しかしその興味は、義理の祖母に対するものでは決して無い。
20年前、急死した父の葬儀が終わった時のこと。
「これで、私らとあんたらは関係無いけんね。
もう私ら親子には近づかんといてちょうだい」
サチコは私と一つ下の妹に、そう言い渡したものだ。
女優のように朗々と決意を述べるのは、昔から彼女の好みであり
述べた決意をいとも簡単にひっくり返すのは彼女の癖なので
我々姉妹はいつものように聞き流した。
しかしその瞬間、たまたまその場にいた次男は
細い目を見開いて、そりゃもう驚いていた。
「あそこまで言うておきながら、今になって頼りまくる神経はすごい」
私がサチコに翻弄されるのを見るにつけ、次男はしきりに感心する。
彼にとってサチコは、観察に値する珍しい生物らしいのだ。
それはさておき、台所のテーブルに置かれたリストを眺めながら
次男は言った。
「ウフ!いよいよ施設にぶち込むんじゃね!」
「そのつもりじゃけど、どこに電話したらええかわからんし
電話自体が面倒なけん、タラタラしとるところ」
すると彼は少し考えてから
「ティーチャーに電話して、聞いてみようか」
と言った。
ティーチャーとは、彼の釣り仲間のニックネーム。
この子は数年前の一時期、ヘラブナ釣りに凝って
県内各地の池に通っていた。
そのヘラブナ釣りで知り合った男性から
色々と極意を教えてもらっているうちに
その人をティーチャーと呼ぶようになった。
ティーチャーは、リストアップした施設と同じ市内に住む
食品卸問屋の社長。
70代半ばで愛車のポルシェを乗り回す、セレブなお爺ちゃんだ。
彼と知り合って以降、我が家は毎年、肉やエビなど正月用の食品を
彼の問屋で安く回してもらうようになった。
次男はそれを受け取りに行きがてら
猫の手も借りたい年の瀬の問屋を手伝う習慣が
ここ何年も続いている。
「同じ市内の住人に聞いてみるのが確実じゃん。
手広い商売しとるけん、何か情報を持っとるかもしれんし」
そう言いながら、次男はティーチャーに電話をかけた。
「もしもし、ティーチャー?
そっちにある老人ホームのこと聞きたいんですけど。
うん、オカンの継母をぶち込みたいんよ。
◯◯の里とか◯◯の園とか、知ってる?」
「はあ〜?◯◯の里〜?わしゃ知らんで〜?」
という野太い声が聞こえてくる。
それから少し話して、次男は電話を差し出し
直接話せと言って私に代わった。
「奥さん、ワシの母親が入っとる所へ入れんさい」
挨拶もそこそこにティーチャーは言った。
「社長さんのお母様が?」
70代半ばで、母親がまだ生存していることに驚く私。
「104才じゃが、要介護1のまんま、ずっと入っとるんよ」
「ひゃくよん…さい…」
「有料老人ホームじゃけん、看取りもしてくれるよ」
看取りを口にするあたり、さすが経験者。
いざ親を施設に入れるとなったら
この看取りが最重要条件になるのをちゃんと知っているのだ。
「街の中にあって行きやすいし、ええ所よ。
これから連絡してあげるけん、また後で電話しますぅ」
ティーチャーはそう言い、電話は一旦切られた。
やがて彼から、再び電話が。
「今、ひと部屋、空いとるんだって。
ワシの紹介じゃ言うて、すぐ電話してみんさい。
ほんまにええ所じゃけん」
毎年、正月の食品を注文するためにやり取りする時とは
熱心さが全然違う。
彼に教えてもらった施設の名前は、初めて聞くものだ。
穴が開くほど見つめたはずの“みんなの介護”には
チラリとも出てこなかった。
何だかキツネにつままれたみたいな気分。
さっそく電話すると、入居者の家族からの紹介だからか
あるいはティーチャーが、およそのことを伝えてくれたからか
プライバシーをあれこれ聞かれることもなく、短い電話で済んだ。
その電話で決まったのは、翌々日の19日の見学。
急転直下とは、このことだ。
《続く》