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殿は今夜もご乱心

不倫が趣味の夫と暮らす
みりこんでスリリングな毎日をどうぞ!

デンジャラ・ストリート 老女の会・1

2025年05月05日 08時36分00秒 | みりこんぐらし
ゴールデン・ウイークも終盤ですね。

皆様は、いかがお過ごしでしょうか?

私は普段と変わらない、地味な家暮らしです。

腰の悪い姑と、膝の悪い夫を気にかけながらどこかへ行くより

家に居る方がよっぽどマシってもんです。


それでも昨日は夫と二人、買い物に出たついでに足を伸ばして

市外にあるコメダ珈琲に行きました。

どこへ行っても人だらけだろうと思っていましたが

意外にも空いていたので、ゆったり過ごすことができ

何だか気分が晴れ晴れしました。

連休中は、これが唯一のレジャーになりそうです。

せめて皆様は、楽しく過ごせますように!



さて、私の住む川沿いの通りは、後期高齢者が大半をしめる。

老人ならではの事件がたびたび起こるため

私はこの通りをデンジャラ・ストリートと呼んでいる。


このデンジャラ・ストリートの集会所で

市の推奨する老人体操教室が始まって3年。

開始当初のメンバーは、80代を中心に20人ほどいた。

ストリートの高齢者はもっと多く生息しているが

中には集まりが苦手な人や、集会所まで行けない人もいるため

この人数になったというところ。


しかしこの3年の間にメンバーが次々に亡くなり、10人に減った。

去年、89才の女性Sさんが突然亡くなった以外は全員男性だ。


今じゃ老人体操は、生き残った女たちのサロン。

本来の女王体質と忍び寄る認知症が相まって

何かと和を乱していたSさんがいなくなったので

伸び伸びと楽しく活動するようになった。


しかし、ここでSさんの後を引き継ぐメンバーが浮上。

体操教室ではズバ抜けて若手のTさん、75才だ。

50代で脳梗塞になった彼女は身体が少し不自由で

優しいご主人が甲斐甲斐しく世話をしていた。


しかしTさんのご主人も去年、急病であっけなく他界。

伴侶の世話をしていた人が、疲れて先に亡くなるケースはよく聞くので

あんまり甲斐甲斐しく世話をすまい…私が密かにそう誓ったのはともかく

一人暮らしになったTさんは、それから間もなく再び脳梗塞で倒れた。


彼女はウインナーが大好物で、毎日食べないと気が済まないと公言している。

ウインナーを控えよう…私が密かにそう誓ったのはともかく

Tさんは、二度目の脳梗塞から見事に復活。

しかし、それ以降は認知症の症状が現れ始めた。



さて体操教室と同じメンバーは月に一度

集会所に先生を招いて、簡単な手芸作品を作ることになっている。

折り紙や、卵の殻で作った小さな人形

この地方では“おじゃみ”と呼ぶ、お手玉なんかだ。


手芸にかけては腕に覚えのあるTさんも毎月参加するが

認知症になってからは、うまく作れなくて癇癪を起こす。

つまりメンバーの中で、トラブルメーカーになりつつあった。


そんなある日、老人体操教室の面々は

町内にあるデイサービスセンターへ行くことになった。

彼女らに手芸を教える先生が、そのデイサービスに勤めていて

年に一度のイベントに誘ってくれたのだ。

模擬店が出たり、デイサービスを受ける人々と一緒に工作をしたり

建物の見学をするのだそうで

自分たちがデイサービスを受けても遜色無い老婆たちは

早くから張り切っていた。


このお出かけに、当たり前だがTさんも行きたがる。

しかし、そこに深刻な問題があった。

彼女は手押し車が無ければ歩けず

車の乗り降りや段差のある所では介助が必要なのだが

ここに立ちはだかるのが、彼女の体格。

身長が私とほぼ同じぐらいの165センチあり、しかも太めだ。


他のメンバーは全員、140センチ台の小柄揃いで

Tさんよりずっと年上。

大きなTさんを介助する力は無く、下手をしたら共倒れになってしまう。

彼女らは、それを恐れていた。


やがて当日の参加者は、「孫が来る」、「法事がある」

などの理由で4人減り、Tさんを入れて6人に決まった。

この中にはもちろん、うちの義母ヨシコも入っている。


メンバーの中で車の運転ができるのは

教室のリーダー格Yさんともう一人。

この2台に分乗して行く予定だったが、84才のYさんは悩んでいた。

世話好きで頼りになる人だが、心臓にペースメーカーが入っているので

Tさんの介助はできない。


去年までのTさんには、いつも長身のご主人が付き添っていたので

何の心配も無かった。

ご主人を失って一人暮らしになったTさんの生活は

ホームヘルパーがカバーするようになったが

お出かけまで面倒を見てくれない。

タクシーを使うことも考えたが、そっちも車を降りた後まで

面倒を見てはくれない。

しかし世話をされ慣れているTさんは、今までと同じくマイペースを貫き

無邪気に「行く」と言い続けるのだった。

《続く》
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あっちもこっちも・2

2025年04月28日 08時32分04秒 | みりこんぐらし
夫の姉カンジワ・ルイーゼの夫キクオは

病院の3ヶ月ルールに従い、途中で別の病院に転院。

通算半年の入院を経て先日退院した。


キクオが退院すると、ルイーゼはほとんどうちへ来なくなった。

パーキンソン病の進行により、自力での入浴が不可能になったキクオは

退院したら近くのデイサービスに通うことになっていたが

キクオが拒否したからだ。

まだ70才のキクオが、認知症の爺婆に混じるのは嫌だろうと私でも思う。


が、これによってルイーゼの自由は奪われることとなった。

デイサービスに行かなければ風呂に入れず、リハビリもできないため

市から派遣される訪問入浴に切り替え

別の日にはリハビリの介護士が出入りするので

ルイーゼは家を空けられないのだ。


しかしルイーゼが家を留守にできない最大の原因は

キクオが車を運転したがること。

入院前、車庫にぶつけて滅茶苦茶にした車は

病床からルイーゼにうるさく指示して修理させていた。

キクオはそれに乗り、一人でお菓子を買いに行ったり

外食に行くのが長年の楽しみだった。


パーキンソン病は判断や動作が緩慢になるので、車の運転は危ない。

それ以前に運転席に座り続けることからして、もはや無理。

しかしキクオは認めず、運転できると思っている。

医師も禁止する権限は無いので

「ご家族で話し合って」と言うばかりだそう。

目を離すと車に乗ろうとするため

ルイーゼはキーを隠し、一日中キクオを見張る必要があった。


一方、娘に会えなくて落ち着かないヨシコは

退院したキクオの見舞いに行くと言い出す。

そこで先週の午後、ヨシコと二人でルイーゼ宅へ行った。


キクオの現物を見るのは、去年の正月以来だ。

ドアの向こうからヌッと顔を出した彼は、挨拶する我々に無関心のまま

我々の佇む玄関にゆっくりと進み

設置したばかりの手すりにつかまって靴を履こうとした。

病気のせいで動作は相変わらずスローだけど

思っていたよりふっくらしていて元気そう。


そこへルイーゼがすかさず言う。

「外に出るんなら、杖を持たないと」

「うるさいっ!」

キクオは逆上。

至近距離の大声に、ビクッとする我々。


「今、靴を履きようるんじゃ!

ワシの順番があるんじゃけん、先に言うな!」

ものすごい剣幕だ。

“宿題やりなさいよ”と言われ、“今やろうと思ったのに!プンプン!”

みたいな感情だと思われる。
 

「ワシのすることにいちいち文句言うな!

うるさいんじゃ!おまえは!」

あの気位の高いルイーゼが“おまえ”と罵られるなんて…

わたしゃマジでぶったまげた。

ヨシコの驚きも、いかばかりであろう。


キクオは病気のせいで、靴を履くのも長い時間がかかる。

その間もキクオは時折、血走った目でルイーゼをにらみつつ

キーキーと大音響で叫び続けた。

と、靴を履くために下を向いた姿勢で怒鳴り続けるキクオの口から

大量のよだれが垂れ下がり

キクオと同じ手すりにもたれるヨシコの手の甲にダラ〜リ。

それまで呆然としていたヨシコは、ハッとしたように手を引っ込めた。


亡き義父の低い怒号には慣れている私だが

キクオのように高くてヒステリックな叫びは、初めてかも。

しかもえらそうに怒鳴りつけながら、よだれがセットだ。

彼の精神も尋常ではなかろうが、我々の衝撃も尋常ではなかった。


キクオは昔から、表向きは銀行員らしく常識人を装っていたが

実際はものすごい自己中。

義父アツシが亡くなった途端、怖いものがいなくなって

ルイーゼに対する言動が横柄になった時に確信した。

病気の進行と共に理性が薄れ、本当の姿が現れるようになったのだ。


キクオが外へ出たので、台所に行ってルイーゼとおしゃべりしていたら

やがて彼が戻って来て、さっきの言い訳のつもりか、言った。

「誰かに当たるしかないんですよ。

入院中も看護師を怒鳴りまくってましたよ。

だってストレスが大きいから、誰かに当たるのは当たり前でしょう」


それを聞いて、ゾッとした。

この主張、サチコと同じじゃないか。

「だって寂しいんじゃけん、誰かを責めとうなるのは当たり前じゃが」

思い通りにならないとキレて勝つ手法や、鬱病の病歴も同じだ。

あの二人には共通点が多いのかも。


その後、庭の花を見るために、ルイーゼとヨシコと私の3人は外へ出た。

「何なん?!あのおっさん!」

キクオと離れた私は、すぐさま言う。

「じゃろ?いつもあんなんよ」

ルイーゼはうなづく。


「認知症?」

ヨシコもたずねる。

「認知症のテストは27点だったんよ」

30点満点で15点以下だったら認知症だというテストで

サチコが15点だったやつだ。


「認知症じゃなかったら、なお悪いわっ!」

私の怒りはおさまらない。

「毎日あれじゃあ、コロされてしまうよ!」

「私もそんな気がして、せっせと家を片付けてるんよ」

「早う、どっかへぶち込んでおしまい!」

「そうできたら、どんなにいいか…」

弱々しく言うルイーゼ。


ルイーゼさえ来なければ…

結婚以来45年、何百回、何千回思ったかしれない。

が、亭主がサチコみたいだったら、逃げ込める実家があればの話だが

私でも実家へ入り浸るかもよ。

苦しかった私の45年は戻らないが

ルイーゼはルイーゼなりに苦労していたのだ。


3人でキクオの悪口を言っていたら夕方が近づいたので

帰ることにした。

「あのおっさんが手に負えんかったらすぐ行くけん

夜でもいつでも電話しんさいよ」

「うん、ありがとう」


ルイーゼはいつになく、ずっと手を振って見送ってくれた。

私はまた、何かを背負い込もうとしているのかもしれない。

が、今世はもう諦めている。

来世に期待だ。

《完》
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あっちもこっちも・1

2025年04月24日 14時56分34秒 | みりこんぐらし
先日まで、同級生テルちゃんの話をしていた。

お兄さんが亡くなったのを機に

母親の介護を任せていた兄嫁サエちゃんが介護の返上を宣言したため

娘のテルちゃんがお母さんの介護をすることになった悲劇である。


あれからも彼女とは電話やLINEで話したが、かなり落ち着いた様子。

そうなってみてわかったが、テルちゃんは

“自分たち母子はサエちゃんに見捨てられた”

という気持ちが強かったようだ。

いわばこれは彼女のプライドの問題で

“見捨てられた”という受動的な状況が、許せなかったのだと思う。

だから、面倒くさくなった私が破れかぶれで言った

“解放してあげんさい”の言葉が響いたのだ。


“解放してあげる”なら、球を投げたのはテルちゃんになる。

ついでに“亡きお兄さんもそれを望んでいる”と言われたら

テルちゃんの心は安まらざるを得ない、というところだろう。

たまたまとはいえ、ラッキーだった。


思えばテルちゃんは長男の嫁だけど

認知症で徘徊するようになった義父母の面倒は一切見ていない。

公務員の仕事が忙しかったのもあるが

義父母との折り合いが良くなかったのもあり

老人ホームに入っている彼らの面倒は、義母の姪が見ている。


その姪というのが、うちの数軒先の住人で、以前から色々聞いてはいた。

その人の言う「逃げ回ってばっかりで何もしない長男の嫁」が

まさかまさか、あのテルちゃんのことだったなんて

去年まで全然知らんかったもんね。


つまりテルちゃんは、義理親の介護からうまく逃亡していたのに

ここに来て母親の介護が回ってきたということである。

やはり悲劇には違いない。


が、一方でサエちゃんの動向も気になるところ。

テルちゃんが言うには、もう介護はしないと宣言しておきながら

サエちゃんは今も毎日、入院中のお母さんのお見舞いに訪れるのだそう。

退院後も引き続き通ってくれるのか、それとも退院したら終了なのか

テルちゃんはサエちゃんの心を計りかねている。


「退院後も通ってくれるようなら、今度はちゃんと

月々の礼金を渡してあげたら?」

そう言いはしたものの、これから始まるデイサービスの利用料金に加え

わずかでもサエちゃんに礼金を出すとなると

お母さんの年金では厳しそうなので、現実的ではなかった。


が、人のことばっかり気にしちゃいられないのよ。

実家の母サチコの認知症も、絶賛進行中。

デイサービスの送り出しが週3から週1に減って

ずいぶん楽になったけど、今の彼女のブームは腕時計。

「デイサービスに行ったら、時計をすり替えられた」

行くたびにそう言って騒ぐので、施設のスタッフが困っていると連絡が来た。


施設では、貴重品やお金の持ち込みは禁止だ。

しかし鬱病のサチコは

昔からの習慣を止めたら落ち着きが無くなるため

特別に腕時計の着用を黙認してもらっている。

ヤツは、それだけ厄介な利用者なのだ。


「紛れもなく、あんたの時計じゃ。

前のが壊れた言うけん、私が買いに連れて行ったが」

「違う!私のはこんな安物じゃない!

デイサービスは高い時計を安いのとすり替えて、儲けようるんじゃ!」

「あんたの時計も、たいがい安物ですけど?」

「違う!私の時計は文字盤が黄色で丸い!」

「それは去年壊れた、前の時計じゃ。

それも茶の子のカタログで交換した安物じゃ」

「ほうじゃったかいの?」

「ほうよ」

ここしばらくは、この繰り返しである。


が、うちよりもっと大変なおかたが…

それは夫の姉、カンジワ・ルイーゼ。

昨年9月から入院していたルイーゼの亭主キクオが、先日退院したのだ。


彼が入院した理由は、ちょっと複雑。

まず、自宅の車庫に車をぶつけたキクオがショックで倒れた。

救急車が事故の扱いで病院に搬送したら、コロナが判明。

隔離中に体力が衰え、持病のパーキンソン病が悪化。

食事が摂れなくなり、生死の境を彷徨ったというものだ。


当時は胃ろうを勧められるほど衰弱し、体重も激減したキクオだが

生真面目な性分なのでリハビリを頑張り、体重も戻って見事生還。

この度、晴れて退院となった。


昨年の入院当初、キクオは初めての介護認定を受け

要介護4と認定された。

4といえば、寝たきり一歩手前の高ランクである。


入院から半年を経て退院が決まると、自宅療養に備えて様々な工事や

ベッド、歩行器、おまるなど備品の借入れが進められた。

要介護4だと介護保険の限度額が大きいので

工事も備品も手厚い物になるようだ。


しかし今は本人がかなり回復したため

近々、介護認定をやり直す予定になっている。

今度は要介護度が下がるだろう。

それはめでたいことかもしれないが、困るのは備品。

特にベッドは要介護4ならではの高級品で

上下動や起き上がりが自動なのはもちろんのこと

マットレスも裏と表で固い面と柔らかい面を使い分けられる豪華版だ。


もしも要介護度が大きく下がったら、その立派なベッドは回収され

チープな物に取り替えられてしまうそうな。

残酷な借金取りの所業を“病人の布団を剥がすような”と言うけど

何だかそれを思い浮かべてしまった。


ルイーゼの話によれば、キクオの叔父さんは

「認定では頑張って、最低でも要介護2で止めんさいよ」

本気でそうアドバイスしたという。

頑張り方が変だけど、それが介護業界。

何とも世知辛い世の中である。

《続く》
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考えてもみなかった・3

2025年04月23日 14時27分18秒 | みりこんぐらし
偉そうにテルちゃんの甘いところを指摘した私だが

これ、ドケチな婆二人を抱える自分の気持ちを言ったに過ぎない。

何しろ、一人は年金を服や化粧品に費やして万年金欠…

もう一人はあるからこそ、取られてなるものかと守るのに必死…

この両極の婆たちにアゴで使われているのだ。


アレらは平気で財布を忘れるし

買い物を頼んで立て替えさせた料金の返却も忘れる。

ガソリンなんて、アレらにとっては空気じゃ。

その代わり、自分が出したお金は絶対に忘れない。

それらの怒りをテルちゃんにぶつけただけかもよ。


介護の苦労は、お金で解決するしか無い。

成果の無い、そしていつ終わるとも知れない不毛な作業だからだ。

愛するご主人を失いそうな不安の中

サエちゃんがどんな気持ちで頑張っていたかと思うと

胸が締めつけられる。


「私、本当にダメね…

兄が亡くなって、サエちゃんまでいなくなると思ったら

もう、どうしていいかわからなくなってしまって…」

鼻をすすりながら、テルちゃんはつぶやく。

そのわりには仏壇のことや、まだ生きているお母さんの喪主のことを

けっこう言ってらっしゃるけど、頭のいい人はそうなのかもね。


「でもサエちゃんは、母が認知症になった時

はっきり私に言ったのよ。

“お義母さんの面倒は私が見ます”って。

“自分の両親を十分、介護させてもらったから

恩返しのつもりで頑張る”って。

その約束はどうなるの?」

「その時はお兄さんが亡くなるなんて、誰も知らんかったじゃん。

状況が変わったんよ」

「そりゃあそうだけど…」

「10年も頑張ってくれたんじゃん。

もう、サエちゃんを解放してあげんさい」

「解放…」

テルちゃんは少しの間、沈黙してから言った。

「母の存在は、サエちゃんを縛ってたのかな?」

「縛る以外の何ものでもなかろう。

お兄さんは、サエちゃんを解放してあげたかったんじゃないかね。

だから早くに亡くなったんだと思う」

「兄は…そういう人よ」

「でしょ?私もわかってたよ。

お兄さんはそれを望んでると思う」

ごめんなさい…テルちゃん…

あんまり往生際が悪いんで、いい加減なこと言いました。

しかし解放の二文字が功を奏し、テルちゃんは楽になったようなので

後日会おうと約束して長い電話は終わった。


それから数日後に会ったテルちゃんの話では

お母さんが入院している病院で

退院後の介護計画が検討されているそう。

この冬まで要介護2だったお母さんだが

2月の認定で、「あれもできます、これも一人でやれます」

などと豪語したため、要支援2に下げられてしまった。

こういうのも、サエちゃんの胸をえぐったのではなかろうか。

食事も家事もサエちゃん任せなのに、一人でやってるなんて言われたら

立つ瀬が無いわな。


ともあれ、お兄さんが亡くなって体調を崩したお母さんは

脱水症状で入院、たちまち歩けなくなったので

現在はリハビリ中である。

こうなると要支援2ではカバーできないため

今月の末に介護認定をやり直してもらう予定だそう。


退院後にお世話になる施設も、決まったという。

うちのサチコが通っている、小規模多機能型居宅介護施設…

通称ショウタキ。

サチコと同じく、デイサービスと宿泊の組み合わせで

自宅介護を行うんだと。

あ〜あ、大変ですよ、これは。


テルちゃんは施設との面談の前に、私から色々聞きたいと言う。
 
で、私がまず教えたことといったら、施設までの道のり。

「絶対迷うけん、一回行っとこう」

私は真剣に言ったが、テルちゃんは不思議がる。

「ナビで行けるから大丈夫よ」

「それが、行けんかったんよ。

Googleで見ても、迷ったんじゃ」

「生まれ育った町内なのに、わかると思うけど」

「そんな生やさしい所じゃないんよ!迷ったら危ないけん!」


ようやく説得に応じたテルちゃんに運転させ

片側が崖になっている細い農道を案内。

「こんな所にあるなんて…私一人じゃあ無理だったわ」

「じゃろ?」

なぜか得意になる私であった。


道の次にテルちゃんに教えたのは

「ショウタキのケアマネの言うことを全部聞くな。

何もかも家族に押しつけられて、どんどん大変になる」

その次が

「面談にはお母さんの通帳と印鑑

それとテルちゃんの印鑑を持って行け。

忘れたら、またあの怖い道を通って届けることになる」

ロクなことは教えられそうにない。


テルちゃんは、お母さんがショウタキに宿泊しない日は

実家に泊まると言ってるけど、今までやってないのに急に無理だって。

真面目で繊細な彼女が心身を壊すのは、目に見えている。

だから要介護2で入れる市内のグループホームも教えたが

お母さんの年金では足りそうにないので現実的ではなかった。


自分がやってきたことを人がなぞるって

自分が大変だっただけに、見ていてつらいものね。

だけど、後に続く人をほんの少しでも安心させることができたら

味わった大変も喜びに変わる。

テルちゃんとは、今後の協力を約束して別れた。

《完》
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考えてもみなかった・2

2025年04月22日 17時36分44秒 | みりこんぐらし
主人が亡くなって、姑の介護をする気持ちが消えた…

遺族年金が少なくて生活できないので、子供のいる遠くへ引っ越す…

主人の供養は、実家と切り離して自分たちでやる…

お兄さんの四十九日の法要で

兄嫁のサエちゃんからそう言い渡され、ひどく驚いたテルちゃん。


しかし彼女もさるもの、なおも食い下がった。

「じゃあ、お母さんが亡くなったら喪主はどうなるの?

サエちゃんが長男の嫁として執り仕切るのが常識じゃない?」
 
これにも、サエちゃんは即答。

「その長男がいなくなったんだから、私が喪主をする義務は無いと思う。

そっちで考えて」

テルちゃんはもう、何も言えなくなった。


「みりこんちゃん、こんなことってある?あんまりじゃない?」

涙声で訴えるテルちゃんに、ここで

「ホンマよ〜、サエちゃんは相変わらずキツいね」

とでも言えば、テルちゃんの胸はすくかもしれない。

しかし同じ長男の嫁として

婚家の人々からいいように使われるサエちゃんの気持ちもわかるので

安易に同意できなかった。


嫁だからと、便利に扱われる日々はストレス以外の何ものでもない。

自分の犠牲によって明らかに楽をしている娘が近くにいて

チラチラと目に映ればなおさらだ。

投げ出したくなる気持ちを押さえ、それでも頑張る理由はただ一つ。

伴侶が安心するからだ。

サエちゃんのように仲睦まじいおしどり夫婦なら、特にそうだろう。

愛する人の母親だから、耐えられるのだ。


その愛する人を失ったら、姑なんてアカの他人じゃん…

介護なんて、やっとられんわ…

近くに娘がいるんだから、娘がやればいいじゃん…

それがサエちゃんの本音だと思う。

おしどり夫婦ではないけど、私も姑より先に夫を失ったら

間違いなくそう考える。


というより私は今まで、姑と夫の寿命を考えてもみなかった。

不死身の老人が席巻する現代、夫の方が先になる可能性はもはや五分五分。

夫亡き後も、義母ヨシコと暮らすことができるだろうか。

あと半年とか、およその期限がはっきりしていて

それが短期間なら我慢するだろうが、まだピンピンしていたら無理かも。

サエちゃんは、未来の私なのだ。


かといって、テルちゃんが悪いわけでもない。

私も小姑の立場だったら、兄嫁に突然そのようなことを言われたら

テルちゃんのように衝撃を受けると思う。

小姑は、自分が楽をしているとは微塵も思ってない。

「兄嫁を立てている」、「私だって気を使っている」

それらを免罪符にするテルちゃんのように

多くの小姑は、見守るだけの立場に回るしかないのだ。


実際、兄嫁のサエちゃんはしっかり者なので

下手に手や口を出すと、機嫌を損ねる恐れ濃厚。

しっかり者は、自身の守備範囲を少しでも侵犯されると

腹を立てるものだ。

自分がサエちゃんを怒らせてしまったら、母親にとばっちりが行く…

テルちゃんがそう案じ、手をこまねく気持ちもよくわかる。


しかも相手は親友。

何かあったら、その関係まで壊れてしまうとなると

余計なことをして災いを招くより

横着な小姑という称号に甘んじる方が平和で安全だろう。


よって嫁と小姑の、どっちの味方もできない。

「旦那さんが亡くなった女の人は、気が立っとるもんよ。

介護と旦那さんの病気が重なって、サエちゃんもつらかったと思う。

しばらく、そっとしてあげんさい」

と言うしかない。


「私が甘かったのよ」

泣きながら言うテルちゃん。

「そんなことはないよ、小姑って難しい立場じゃけんね」

「ううん、甘かったんだわ。

今は母が入院中だけど、ゴールデン・ウイークが明けたら退院よ。

私が介護しないといけないと思ったら、緊張して眠れないの。

ねえ、私はどうしたら良かったの?

どうしたら、こんなことにならなかったと思う?」

「そんなこと、今さら考えたってしょうがないじゃん」

「サエちゃんとは、離れても友だちでいたいの。

今後のために知っておきたいから、教えて!」


質問されたらしょうがない。

甘かったところを言おうじゃないの。

「…お母さんは、サエちゃんにお礼のお金をあげとる?」

「あげてると思うよ」

はっきり確認してるんじゃなくて、“だと思う”…

これが甘さなんじゃよ。


「金額は?」

「よく知らないけど、母は昔から、そういうことには気を使う人だから

ちゃんとしてると思うけど…」

これもイメージだけ…甘いんじゃよ。


「で、その頻度は?」

「さあ…渡したとは時々言ってるけど、私も気にしたこと無いし」

「認知症は、一回渡しただけでも自慢げに何回も言うけんね。

テルちゃんがお母さんに聞いて、通帳も確認して

きちんとサエちゃんに渡ってるかどうかを把握した方が良かったと思う。

ほとんどタダ働きじゃあ、キレるの無理ないわ」

「私、そういうことは母とサエちゃんの問題だと思って

ノータッチだったから…」

自分だけが決めた勝手な線引き…やっぱり甘いでねぇの。


「サエちゃんから、くださいって言えるわけないじゃん。

そこをテルちゃんが調整してあげられたら良かったね。

お兄さんが病気になって、サエちゃんは先の生活がどれほど不安だったか。

あの子が今後のことを決心したのは、その頃だったと思うよ」

「そうなのね…私、何も考えてなかった…」

顔が美しいだけでなく、素直もテルちゃんの美点である。

《続く》
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考えてもみなかった・1

2025年04月21日 15時57分23秒 | みりこんぐらし
このブログの元締め?であるgoo blogが

今年の11月18日をもってサービスを終了するそうです。

考えてもみなかったことですが

YouTubeが盛んになってブログはオワコンと言われる昨今

利益も上がらないでしょうから、致し方ないことかもしれません。


そういうわけで、私が2008年10月から

17年間続けてきたこの泡沫ブログは、11月に消えて無くなります。

今までの記事をバックアップして

そのまま別のサイトに引っ越す方法もあるそうですが

私はこれまでの記事を保存せず、goo blogの終了と同時に

全て無に帰す所存です。

皆様のくださったコメントまで消えてしまうらしいですが

そちらも私の与太記事と運命を共にさせていただきます。


ブログの方は、また何らかの形で再開したいと思っておりますので

その時はまた、よろしくお願いいたします。

もし過去記事をご覧になりたい方がおられましたら

11月18日までにどうぞ。



考えてもみなかったことといえば、もう一つ。

先日、同級生のテルちゃんから電話があった。

彼女のことは、ここでも何度かお話ししたが

去年、何十年かぶりに再会して遊ぶようになった元公務員の美人。


美人といっても各種あるけど、彼女は若い頃の八千草薫に似た可憐系。

ああいった清楚なタイプは年を取っても

「昔は綺麗だったのに…」

という惨事にはなりにくいようで、年相応の美貌を保っている。


そのテルちゃんが2月の末

たった一人のお兄さんを病気で亡くしたこともお話しした。

去年、テルちゃんと我々が再会して遊ぶようになった時

元気だったお兄さんが不治の病で闘病中なのは聞いていたが

病気がわかって1年足らず、68才で亡くなってしまったのだ。


テルちゃんからの電話は、兄嫁さんのことだった。

その兄嫁というのはテルちゃんや私と同級生の、サエちゃんである。


サエちゃんとテルちゃんは家が近所で、幼い頃からの親友。

お兄さんとサエちゃんは、テルちゃんがキューピッドになって結ばれた。

つまりテルちゃんにとっては親友が兄嫁で

サエちゃんにとっては親友が小姑というわけ。


サエちゃんは、地味な服を着たフワちゃんみたいな女性。

しとやかで美しいテルちゃんと一緒にいると完全に引き立て役だが

厳格で陰気なテルちゃん一族とは真逆の

明るくサバサバしたサエちゃんを、亡きお兄さんは愛したのだと思う。

この夫婦は、とても仲が良かった。


電話でのテルちゃんの話は、こうだ。

先日、亡きお兄さんの四十九日の法要が営まれた。

その席でサエちゃんは、テルちゃんに言ったそう。

「主人が亡くなって、お義母さんのお世話をする気持ちが消えた。

今後、お義母さんの介護はテルちゃんにバトンタッチしたいの」


テルちゃんのお母さんは、92才の一人暮らし。

身体が不自由で、10年前から認知症が進行中だ。

公務員の仕事で忙しかったテルちゃんは

母親の介護と家事全般を兄嫁のサエちゃんに丸投げしていた。

定年退職した今もその習慣は続き

サエちゃんは隣町から毎日通って、甲斐甲斐しく世話をしている。

テルちゃんは、母親が亡くなるまでそれは続くと信じていた。


そんなサエちゃんの突然の申し出に、テルちゃんは驚愕するほか無い。

大好きなお兄さんは亡くなるし

頼りの息子に先立たれたお母さんは体調を崩し、現在は入院中。

こんな大変な時に、そんなことを言い出すなんて…

テルちゃんは深く傷ついたという。


一方、サエちゃんにしてみれば、認知症でも口うるさい姑は入院中で

四十九日の法要は欠席。

このチャンスに、言いたいことを言うと決めたのかもしれなかった。


「ちょっと待って…」

当惑するテルちゃんに、サエちゃんは続けた。

「遺族年金は、びっくりするほど少なかったわ。

主人が亡くなった以上、今住んでいる社宅は出ないといけないし

アパートの家賃を払ったら生活できないから

市外で働く息子か娘の所へ行くつもり」


この発言も、テルちゃんには大ショックだった。

サエちゃんは若い頃から、身体の弱い自分の両親をずっと介護してきた。

それが終わったと思ったら舅が要介護になり

何年後かに見送った途端、今度は姑が認知症だ。

介護三昧で就職しなかったため、年金が少ない。

お兄さんも民間の中小企業勤めで

遺族年金が多くないのもわかっていた。

だからサエちゃんは社宅を出たら、家賃がタダの実家へ引っ越し

お母さんと暮らして本格的に介護してくれると思っていたのだった。


サエちゃんが遠くへ行ってしまったら

テルちゃんがお母さんの介護をしないといけない。

退職して5年、時に孫のお守りなんぞしながら

気ままに暮らしてきた彼女にとっては大問題である。


「お兄ちゃんの供養はどうなるの?仏壇は実家にあるのよ?」

テルちゃんは、やっとの思いで言った。

しかし、テルちゃん一族の古風な思考回路を知り尽くしたサエちゃんに

抜かりは無い。 

「主人の仏壇は、もう新しいのを買ってあるの。

子供と同居する時に持って行って、後は私たちで供養します。

実家の方は、お義母さんを含めてテルちゃんにお願いします」

その用意周到に、さらなる衝撃を受けたテルちゃんだった。

《続く》
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勤続表彰

2025年04月15日 14時42分27秒 | みりこんぐらし
本社から夫に、勤続10年の表彰式に出席するよう通知が来た。

本社では全社員を対象に、10年ごとの節目で勤続表彰を行うのだ。


当日は本社で式典が行われ、毎年10人前後いるらしき表彰者には

社長から賞状と記念品、そして金一封が贈られる。

その後は、社長や取締役との昼食会がプログラム。


ちなみに記念品は、印鑑付きのちょっと高級なボールペン


そして気になる金一封の中身は

10年が3万円、20年が5万円、30年が10万円。

40年以上に贈られる金額は、知らない。

だって本社は中途入社の中高年がほとんどで

ごく少数の若者は、入ったかと思えばすぐ退職するため

勤続40年は前人未到である。


ところで夫の勤続が10年って、おかしくないか?

合併して本社の社員になったのは、14年前だぞ。

もっとおかしいのは、息子たちの勤続表彰が去年だったことだ。

正確に言えば14年前、夫と次男が同時に入社して

翌年、新しいダンプの納車を待ってから長男が入社した。

多分、忘れられていたのだと思う。


お金をもらうんだから、細かいことは気にしないが

表彰者の名簿を見たら、あの昼あんどん藤村も夫と一緒に10年表彰だ。

夫に先駆けて、息子たちの表彰を去年にしたのは

藤村のためだと思われる。


藤村が頼んだのか、本社のイベント係が気を回したのかは不明だが

この不自然な表彰は、息子たちと藤村を会わせないためだろう。

藤村が今年、表彰されるのは決まっていたため

忘れていた息子たちの表彰を去年にしたのだ。

なぜって、藤村の身が危険だから。

特に長男は危ない。

コロナ後に初めて開催された、この正月の新年会も藤村は欠席した。

逃げたと思う。


じゃあ夫と一緒はいいのか、ナメられたもんだ…

ということになるが、よく言えば過去を気にしない

悪く言えばチキンの夫なら安全と踏んだらしい。

どこまでも直属が可愛い本社である。


さて、当日は夫と私と次男の3人で出かけた。

夫一人でいいのに大袈裟な…と思われるだろうが

彼は運転が苦手な上に、今は変形性膝関節症で歩行困難の身の上。

公共の交通機関だと、どうしてもどこかで歩くことになる。

まず無理だろう。


そこで次男が休みを取り、本社まで送迎してくれることになった。

親切心ではない。

1万円の日当で、彼を雇った。

じゃあ2人で行けばいいようなもんだけど、そこは男同士。

2人では気まずいため、夫の希望で私も同行することになったのだ。


本社の駐車場で夫を降ろし、私と次男は近くのショッピングモールへ。

夫を待つ間、そこで食事をする予定だ。

何年かぶりの広島…我々の生息する田舎と違って

飲食店がよりどりみどりで興奮しちゃうわ。


都会は服のサイズが豊富なので、次男の服を何着か買ってから

食事の店を物色した。

だけど男の子って、面白くないわね。 

私はこのチャンスに都会的でお洒落な物を食べたいのに

この子は変わった物を食べたがらない。


長い話し合いの末、2人の折衷案で回転寿司に決定。

回転寿司も一応、憧れなのよ。

我が町から回転寿司が無くなって、はや数年。

わざわざよその町へ行くほどでもなし

されどたまには、寿司が流れてくるワクワク感が懐かしい…
 
ということで決まった。


でも、さすが昼どきの都会、30分待ちだとよ。

我々田舎の母子は待った…待ちましたとも。

昨年の表彰式に出た次男の経験上

解散は午後1時半のはずなので、時間はたっぷりある。


そしていよいよ次の番という時、夫から電話が。

「終わったけん、迎えに来て」

「ええ〜っ!」

我ら母子の失望といったら。


しかし、終わったんだから仕方がない。

「まだ順番が来てなくて良かった」

「食べとる最中だったら泣く」

そう言いながら寿司をキャンセルして、夫を迎えに行くことにした。


それでも地下の駐車場から店に入る時に発見した

あの物体は見過ごせない。



これこれ。

いつぞやテレビで見た、生絞りのオレンジジュースじゃ。

生のオレンジを機械が絞る、自動販売機じゃ。

都会ではすでにポピュラーなのか、誰も見向きもしてないようだけど

うちらにとっては都会の象徴なのじゃ。

「これを飲まねばのう」

ということで、母子は憧れのジュースを買うた。

一杯500円也。




写す前に、ちょっと飲んじまった。

コップはデカいが、中身は控えめ。

甘くて美味しかった。


そして本社で夫を拾い、帰途につく。

我々母子は空腹なので何か食べたかったが

昼食会を終えたばかりの夫は満腹だ。

彼のお腹を空かせるために家の近くまで帰り、3人でラーメンを食べた。

楽しかったような、残念なような一日だった。


後日、“表彰者の写真を社内報に載せるので

100字以内のコメントを送るように”と本社から連絡があった。

もちろん、コメントを考えるのは筆先女の私。

「この度は誠にありがとうございました。

残り少ない◯◯(本社の名前)人生を今一層

実直懸命に過ごして参ります」

そうメールした。
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静寂

2025年03月18日 13時39分05秒 | みりこんぐらし
実家の母サチコが、このところおとなしい。

「このまま頭がダメになるのを待つより、少しでも遅らせる努力をする」

今までとは正反対の前向きな発言が増え、電話も無い。


この半年間、続けてきたデイサービスの送り出しも

「一人で大丈夫」

と言うので、週に3回から1回に減少。

日帰りの月曜と水曜は荷物が少ないので行かず

ショウタキに泊まる金曜日だけ行くことにした。

お泊まりの日は着替えや洗面用具などの荷物が増えるので

サチコ一人では準備できないからだ。


ともあれ、サチコのめざましい変化には四つの原因がある。

一つ目は、入院中に複数の保険の満期が来て

彼女の普通預金に大金が振り込まれたこと。

残高を見た途端にシャキッとして

「一人で生活できるから、もう来なくていいよ」

とまで私に言った。


それが本当なら、どんなに嬉しいだろう。

が、ぬか喜びしても、困ったらまたジャンジャン電話をしてきて

強制的に復帰させられるのはわかっている。

残高を知る私から、お金を守りたい一心なのだ。

ここが一般の親子と違う部分なのはさておき

お金というのは元気の素だと、つくづく思った次第である。


二つ目は、実子のマーヤに対する期待がひとまず消えて

諦めがついたこと。

期待とは、仕事を辞めて旦那や3人の子供たちと別居し

実家へ帰って自分と暮らしてくれるという願望だ。


子供の家庭を壊してまで自分のそばに置きたい野望を

世間では身勝手と呼ぶが、それが認知症である。

この現象は、前に記事にした隣のおばさんと同じ。

近くに居る者をアゴで使って困らせ

一緒に暮らしたい子供にクレームを伝えてもらう…

衰えた脳でそんな馬鹿げた作戦を練り

しかも成功すると思っているのが認知症なのだ。


「もう面倒見切れん!知らん!」

子供にそう言ってくれれば、優しい我が子は慌てて帰って来るはず。

悪いのはキレた私で、本人と我が子は被害者ということになり

親子の仲がギクシャクすることもなく、同居に持ち込めるという計算だ。

私もたいがい卑怯な人間だが、長く生きた老婆の卑怯は

そのはるか上を行くものなのである。


それがどうよ。

実子のマーヤに無視されたまま月日は経ち

退院したその足で老人ホームの見学に連れて行かれた。

サチコとしては、大きな誤算だ。


「何で私があんな所へ入らんといけんの?」

帰り道、彼女は憤慨して私に問うた。

「あんたが入りたい言うたんじゃん」

「そりゃ言うたかもしれんけど、あんな所とは思わんかった」

「どこも同じよ」

「私を厄介払いしよう思うたんじゃね」

「老人ホームはマーヤの希望じゃ。

その方が安心なんじゃと」

…そうさ、マーヤは以前から

サチコの老人ホーム入りを強く望んでいる。

今回の見学もたいそう喜び、ぜひにと大乗り気だった。

以後は連絡を取ってないが

サチコの反応を伝えたら、さぞや落胆することだろう。


「嘘!」

「マーヤに電話して聞いてみんさい」

が、今もって電話はかけてない。

本当のことを知るのが怖いらしい。


三つ目は、その老人ホーム。

見学は、紹介してくれる人があってたまたま行ったが

サチコはそこで、今通っているショウタキとの違いを思い知らされたのだ。


デイサービスが主体のショウタキは、例えるならカフェ。

数時間の滞在をリピートしてもらわないと商売にならないので

職員は礼儀正しくて愛想が良く、施設は自由で明るい雰囲気だ。


一方、老人ホームは寮。

ひとたび入ったら「また来てね」が無いので

年齢層高めの職員たちは

ショウタキほどチヤホヤしてくれそうにない。

節約のために消された電灯や、寝たきり老人のうめき声もさることながら

自力で洗濯する入居者が干したモモヒキやデカパンのぶら下がる廊下…

新聞雑誌が無造作に積み上げられ

たたみかけの洗濯物が散らばって雑然とした共有スペース…

生活臭あふれるたたずまいに、几帳面なサチコはビビっていた。

彼女が抱いていた老人ホームへの憧れは

これら物理的な事柄によって、かき消えたのである。


現実を見たサチコは、嫌っていたショウタキが好きになった。

「施設が綺麗で、スタッフが温かい」

急にそう言い出し、今や一日おきのデイサービスを心待ちにする変わりよう。


そして四つ目は、入院していた精神病院から処方された鬱病の薬が

バッチリ効いていること。

精神の薬は病状に合わせるのが難しいそうで

強すぎるとボンヤリしたり、弱すぎると改善しなかったりするらしいが

今のところ、よく合っているようだ。


これら四つの原因により、とても静かになったサチコ。

サチコが静か=私が楽。

老人ホームの入居は断ったので残念だが

見学に連れて行くという行動を起こしたことで

先はわからないけど、しばらくは楽ができる。

何事も行動してみるもんだ…

いつも口だけで行動力の無い私は思っている。
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健康マットてんまつ

2025年03月14日 13時54分07秒 | みりこんぐらし
前回お話しした、万病に良いという45万円のマットを売り始めた 

カフェのオーナー、Mちゃん。

先日、用があってその辺りを通ったら

とあるお家にMちゃんの車が駐車してあるのを見た。

特徴的な外車、かつ特徴的なナンバーなので間違いない。


停めてあったのは、カフェの常連Tさんのお宅。

彼女は、ご主人が代々続く商売をしている旧家の嫁である。

その家は例のユリ寺の檀家なので、私も知らない人ではない。


Tさんは、私やMちゃんと同年代。

そしてMちゃんと同じ系統…

つまり美人で垢抜けしていて、何不自由なく優雅に暮らしているお方。

彼女とMちゃんはカフェで知り合って以降

意気投合して親しくなったのだ。


その日、カフェは定休日。

すぐにピンときた。

Mちゃんは休みを利用して、例のマット販売に勤しんでいるらしい。

誰が誰に何を売ろうと自由なんだから

それについてとやかく言うつもりはない。

お金持ちのTさんは、喜んで買うだろう。


が、心配なのはMちゃんだ。

そりゃあね、苦しんでいた坐骨神経痛が楽になったのだから

その喜びを誰かに伝えたい気持ちはわかる。

優しいMちゃんのことだから

一人でも多くの人を助けてあげたいと思うのも、わかる。


しかし高給取りでイケメンなご主人と、今だにラブラブのMちゃんが…

両親の介護が終わり、夢だったカフェをオープンしたMちゃんが…

上品で素敵なファッションと同じく

上品で素敵なランチやスイーツを提供して

楽しそうに働いていたMちゃんが…

本人や料理だけでなく、自宅も素敵で

都会の物好きがマイクロバスを仕立てて家と庭を見学に来たり

時には家庭雑誌に取材されるほどセンスの良いMちゃんが…

何で健康マットなんか売らにゃならんのだ。


Mちゃんはこのまま進めば、田舎には珍しいハイセンスな老婦人として

様々な分野で活躍できただろうに、どうしてマルチ商売なんかで

これまでの美しい半生を台無しにしまうのだ。

そうよ、台無しよ。

彼女の温かい笑顔も優しい言葉も

こんにちは〜〜と語尾を伸ばす柔らかい声も抜きん出たセンスの良さも

本当は彼女の個性というだけなのに

全部が高いマットを売りつけるための営業と思われてしまうではないか。


老々介護に追われる私は、美しく年を重ねて行くMちゃんを

目を細めて見守ってきただけに

「もったいない!」

そう思わずにはいられない。



ところでMちゃんの売るマットは

知り合いのAさんが使っているのと同じ物だった。

来週、ランチをご一緒するので、その打ち合わせで連絡を取った時に

たずねてみたらビンゴ。


一昨年、茶会席の料理教室を主催して

私とマミちゃんをこき使った東京の先生が

去年からこのマットの販売を始めたことや

その料理教室をセッティングした70才のAさんに売りつけたことは 

以前の記事でお話しした。

勧められて断れなかったAさんは

果敢にもクレジットの分割払いでマットを購入したのだ。


Aさんは東京と広島の二拠点生活をしつつ

頻繁に海外へ飛ぶ日々を送っている。

それだけ聞くと元気モリモリみたいだけど、実は癌経験者で

数年を経た今でも抗癌剤の後遺症に苦しんでいる。

健康に良いと聞いたら、買ってしまうのは当然だ。

「悔しいけど、疲れが取れて本当に調子がいいのよ」

Aさんはそう言って苦笑していた。


しかし、それも束の間のこと。

昨年の大晦日、Aさんは東京で倒れた。


先生は茶懐石の店よりマット売りの方がずっと儲かるため

本業そっちのけで頑張っているそうだが、店の方も細々と続けている。

マットの効果ですっかり元気になったつもりのAさんは

昨年末、先生に誘われて東京にある店へ泊まり込んで

仕出しのおせち料理を作るお手伝いをした。

その時、呼吸困難に陥ったのだ。


抗癌剤の後遺症の一つ、免疫異常に苦しんでいる彼女だが

今回はその免疫が肺を攻撃したため、肺機能が急激に低下したという。

こんなにひどいのは初めてだそうで

つまり、くだんのマットに

Aさんの病気を改善する力は無かったことが証明された。

倒れたAさんを見て、先生は肝を冷やしたと思うぞ。


Aさんは、2ヶ月の入院を余儀なくされた。

来週のランチは、やっと日常生活に戻ったAさんの快気祝いなのである。


効果の有無に関わらず、買った方には

「高いんだから良くなるはず」という過信が生じ

Aさんのように無理をしてしまうことだってある。

買った人の具合が悪くなると

「あれを使っていたから、この程度で済んだのよ」

商品を勧めた人は、こう言って逃げるのが常套手段だけど

息ができなくなって生死の境を彷徨ったんだから

「この程度で済んだ」とは、さすがに言えまい。

健康になるだの病気が治るだのという類いの物には

手を出さない方がいいと、改めて思った。
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寝具系

2025年03月09日 11時02分46秒 | みりこんぐらし
うちからそう遠くない町に、一つ年下の友だちが営むカフェがある。

オーナーのMちゃんはたまたま私の友だちだが

料理を作る女性はたまたま夫の同級生だ。


日頃は無口な夫も、ここでは楽しくおしゃべりに興じる。

そこで時折、夫婦で行っては食事をするのが

この十年来の習慣だった。

長年に渡ってよそのおネエちゃんばかり追いかけ

家庭を顧みなかった夫の非行が元で

共通の友だちや立ち寄り場所が無い我々夫婦にとって

唯一の癒やし空間というところだろうか。


先日も、夫が行きたいと言うので行った。

珍しくお客は我々だけだったので、料理ができるまで

いつものようにペチャクチャとおしゃべり。


…と、夫が珍しくトイレに立った。

バドミントンが原因で足が悪くなった夫は

例のごとく、片足を引きずりながらトイレに向かう。

この日は寒かったので、いつもより痛むらしい。


「パパさんの足、どしたん?」

「変形性膝関節症よ」

「すごく悪そう」

「悪いよ、じきに車椅子は決定。

バドミントンなんかやるけんよ」

バドミントンに点の辛い私は 

トイレに向かう夫の背を眺めつつ冷ややかに言う。


バドミントンが悪いのではない。

始めた動機と、終わりの締めくくりが悪いのだ。

浮気相手だった生命保険のセールスレディに誘われて始めたのが

20年余り前のこと。

運動神経だけは良いので上達も早く

所属するクラブではスターだったらしいが

元がバドミントンに向かない大柄とO脚だったため

足に無理が行って、順調に悪くなった。


治療をしながらしぶとく続けていたものの

トドメがうちの女事務員ノゾミだ。

クラブに新しく入ってきた彼女に誘惑され、ホイホイと入社させたが

入れてから判明したノゾミの正体は

会社の隣にある商売敵の愛人だった。


産業スパイと知って夫の恋は終わり

ほぼ同時に彼の足も終わってバドミントンも引退。

ノゾミは正社員に昇格し、今も勤めている。


このようなことがあったバドミントン界隈を

私が喜ばしく思うはずがなく、同情する気も起きない。

夫は足がひどく痛む時、父親の形見の杖まで使っている。

杖のお世話になっても、まだ女がなびいてくれれば

それはそれで男女共に勇者だと褒め称えるつもりだが

今のところ、その兆候は無い。

せいぜいダメになった足を引きずって、うごめいていればいいのだ。


話がそれたが、足の悪い夫を見てMちゃんは言った。

「車椅子になったら、困るじゃん」

「自業自得じゃ」

「でも実際問題、介護するのはみりこんちゃんになるじゃろ?」

「その時になったら考えるわ」

「…車椅子になる前に止めたいと思わん?」

「へ?」


いいものがあるんよ…

Mちゃんは店の目立たない場所に置いてある

小ぶりなデジタル時計みたいな機械を指差した。

「時計で足が治るん?」

「寝るだけで悪い所が治るマットよ。

この機械にマットの電源を差し込んで使うんよ」

マットの上に寝たら機械から電流が出て

身体の中にある水分のプラスとマイナスの

マイナスだけを振動させたら、どんな怪我も病気も改善する…

というのがMちゃんの主張。


「私、ずっと坐骨神経痛で苦しんでたじゃん。

それが治ったんよ」

「ほぉ〜」

「他の色んな病気も良くなるけん、パパさんの足も絶対良くなるよ」


「私も買ったんよ!」

調理担当の夫の同級生Sさんも

トイレから戻ってきた夫にアピール。

「清水の舞台から飛び降りたつもりで買ったけど

ほんと元気になれて、良かったんよ」


「清水の舞台と言うからには、高いんじゃね」

「うん、まあ安くないよ。

坐骨神経痛の痛みが消えるほどの物じゃもん」

「いくら?」

「大小のマットと座布団サイズの3枚がセットで45万円」

「たかっ!」

「でも車椅子になることを思ったら、安いと思わない?」

「値段がどうこうより、それってマルチじゃろ?」

「会社はマルチじゃないと言うけど、娘にもマルチじゃ言われた。

でも私は儲ける気は無くて、販売したらもらえるマージンは

買ってくれた人に全額バックしようるんよ」


食事の間中、ずっとこの話。

こんな時に限って、お客は誰も来ない。

どうしてそんなモンを知ったのか…

いつからやり始めたのか…

去年の暮れ、私と共通の知り合いに会いたいから

その人に連絡を取って欲しいと言い出したのは、このためなのか…

疑問は浮かぶが、聞く気も起こらなかった。


「…考えとくわ」

「考えみて!」

へいへい…生返事で支払いを済ませ、そそくさと店を出た我々は

帰りの車中で話し合う。

「そんなに安くてすごいマットを発明したんなら

何でノーベル賞もらわんのじゃろ?」

「寝るだけで病気が治ったら、世界中の医者が失業じゃの」


1万円ぐらいなら付き合いで買うかもしれないが

45万の大金となると、売る側の罪が深い。

一方、万病が45万で改善されると言うなら安過ぎる。

いずれにしても胡散臭いのは確か。

Mちゃんたちがマルチに走るタイプと思ってなかった我々は

衝撃を受けていた。


近頃、こういう寝具関係のマルチが増えているのかしら。

いつぞやの茶懐石料理の先生が

本業より儲かると言って始めた商売も寝具系だった。

サプリやサポーターと違って、寝具系は客単価が高いからだろう。


「もう、あの店へ行くことは無いのぅ」

「楽しかったけど、終わったんじゃね」

誠実!な我々は、Mちゃんたちの店へ再び行って

マットの勧誘をかわしながら食事だけする自信が無い。

Mちゃんたちも、買わない我々と今まで通りに付き合う気は

起きないだろう。

友だちを失って、そこはかとなく寂しい夫婦である。
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縁切り話

2025年03月06日 13時40分21秒 | みりこんぐらし
先月末、同級生テルちゃんのお兄さんの訃報を聞いた。

彼女とは同じ町に住みながら、今まで何十年も会ったことは無かった。

しかし昨年、偶然会った時に思い出した。

「そうよ、テルちゃんとは仲良しだったわ」

以来、マミちゃんやモンちゃんと一緒に

時々会うようになった。


そのテルちゃんのお兄さんが、68才の若さで亡くなったのだ。

3年前から急に血液の難病になり、闘病しておられたという。

会ったことは無いが、身内にも他人にも優しいお兄さんだそうで

テルちゃんは兄が大好きだと公言していたものだ。


同級生のマミちゃんと二人、お通夜と葬儀に参列した。

同級生関係の弔問には皆勤のモンちゃんも行きたがったが

通夜葬儀は私の住む町の葬儀場で行われる。

万が一、捨てた旦那キンテン君に遭遇したり

モンちゃんの姿を見た人から噂が届くと危ないので、今回はパス。


亡くなったお兄さんの評判にふさわしく

家族葬だというのに仕事関係や友人の弔問客が多い。

そして参列する誰もが、儀礼的でなく心から彼の死を悲しんでいた。

以前にもお話ししたが、亡くなったお兄さんの奥さん

サエちゃんも、うちらと同級生。

昔からしっかり者と評判の子なので、喪主として気丈に振る舞っていた。


それはさておき、故人のお母さんも当然、参列する。

92才、要支援2だけど、お元気そうだ。

息子が亡くなったのをわかっていないのか、涙は無い。

嫁のサエちゃんに手を添えられ、ぼんやりと焼香していた。


近年、悲しみの席でつくづく思うけど、逆縁の何と多いことか。

逆縁というより、不死身のお婆さんの子供が先に亡くなっちゃう現象。

そして誰も、子供に先立たれた母親に同情する様子は無い。

本人が認知症なので、悲しんでないからだ。

怖い世の中になったものである。

生き残り合戦に負けるものか…誓いを新たにする私であった。


その合戦相手の一人、実家の母サチコは

先月末の退院以降、元気バリバリ。

鬱病には、時としてハイテンションの状態が訪れることがある。

今はそんな時期みたい。


認知症の方は、2ヶ月の入院で着実に進行している。

退院した日、買い物に連れて行ったら

買った物を一つずつ、透明のビニール袋に入れ続けるだけで

それらをまとめて買い物袋に入れるという

次の作業に進むことができなくなっていた。

あっ!あの時の買い物で立て替えたお金をもらってない。

私も認知症かも。


デイサービスが再開したので、私は再び実家へ送り出しに通っているが

老人ホームの見学が効いたのか

「一人でないならどこでもいい、施設に入れてちょうだい!」

と泣きながらせがむのをやめた。

現実を見たことで、施設への憧れが消えたらしい。


昨日も送り出しに行ったら

サチコは一昨日、美容院へパーマをかけに行ったという。

なんとまあ、お元気なこと。

サチコと長年の付き合いの美容師は、80才。

一人暮らしをしながら、一人で営業している。

サチコは自分と似た環境の人を好むので、その店がごひいきなのだ。


「そしたら、美容院の先生がおかしいんじゃ」

あんたにおかしい言われたら、おしまいじゃ…

そう思いつつ、話を聞く。


「行ってシャンプーしたら、先生は気分が悪うなった言うて

2階へ上がったきり降りて来んけん

上がってみたらベッドで横になっとるんじゃ。

起こしても起きんけん、わたしゃ別の美容院へ行って

パーマかけて帰ったんじゃ。

違う美容院もええもんじゃね!顔のマッサージまでしてくれた」

「いやあんた、最初の美容院の先生は…?

ベッドで寝とったのをそのままにしたんかい?」

「ほったらかされて寝られたら、よそへ行くしかなかろう」

「それ、寝ようるんじゃなくて、倒れとったんじゃないん?」

「知らんわ」

私は彼女の身を案じたが、葬式の看板は見なかったし

この辺りは噂が早いのに、2日経っても何も聞こえないのだから

大丈夫ということにした。


そんなサチコは先日来、しきりに縁切りを匂わせるような発言をする。

「もう、ここへ来んでええよ。

私は一人でやって行くから」


実際にサチコは、朝行ってみるとちゃんと起きていて

朝食と身支度も済ませている。

何年もやってないゴミ出しや掃除の方はわからないが

デイサービスに行く準備だけは完璧。

だから、その発言が本当ならどんなに嬉しいか!


が、その真意は別のところにある。

ゼニじゃ。


サチコの通帳は入院費の振り込みや、引き落としでない支払いのため

入院中は私が管理していた。

サチコが退院したら記帳した通帳と領収書を見せ

残高を確認させるのが慣わしだ。


しかし今回はサチコの入院中に

実子のマーヤと孫たちに掛けていた積み立て保険が満期になり

彼女の通帳にドカンと振り込まれていた。

そこへどういうタイミングか、老人ホーム入居の話が持ち上がった。


サチコは、こう思ったはずだ。

「継子が自分を老人ホームに入れて、このお金を奪おうとしている」

思ったはずもなにも、そう考えるのがサチコである。


問題の通帳は、病院から最後の請求書が来る今週末まで

私が預かる話になっていた。

しかし退院した翌日から、通帳の行方を確かめる電話が

何度もかかるようになり、面倒くさいので持って行って渡した。


そこから始まった、縁切り話。

私にお金を盗られまいと、必死なのだ。

この継子への猜疑心とお金への執着心を有効活用して

ぜひとも絶縁したいところだが

うまく行くかどうかは今のところ未定である。
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施設ジプシー・11

2025年03月01日 10時34分35秒 | みりこんぐらし
昨日、実家の母サチコは退院した。

入院の荷物を車に積み込むと、そのまま隣市の施設へ直行。

紹介された介護付き有料老人ホームへ見学に行くのだ。


ちなみに有料老人ホームには、介護付き有料老人ホームと

住宅型有料老人ホームの二種類がある。

介護付き有料老人ホームとは、施設が介護サービスもまとめて行う形態の所。

住宅型有料老人ホームとは、施設が利用者に建物を貸して家賃を受け取り

介護サービスの方は、別の介護業者が行う形態の所。

別の介護業者といっても、たいていは施設が運営する会社なので

そう大きな違いは無いと思われる。


「見学で気に入って、入ると言ってくれたらいいけど…」

そこまでの期待は持ってない。

自宅から遠いことを理由に、必ず嫌がるはずだ。

説得?そんなことができる人間なら、実子に逃げられたりしない。


ともあれ、今空いている2階の個室を見送ったら

次はいつになるかわからない。

早く退院させて見学させなければ…

その一心で賭けに出たが、結論から申し上げると、私は賭けに負けた。


施設に向かう道中でも、サチコは遠い遠いを連発。

到着してケアマネの案内の元、ひと通り見学したが

「家から遠過ぎる…地元の施設なら入ってもいいけど」

その後の面談で、やはり予想通りのことを言った。

地元の施設が無理だとわかっていて、逃げるために言うのだ。


「地元の施設に入れるまで、こちらでお待ちいただけますよ」

ケアマネは言ったが、遠過ぎる、遠過ぎると繰り返すばかりで

ラチはあかない。

「何日か考えて、また改めてお電話させていただきます」

私はそう言って施設を後にしたが、次は断りの電話になるだろう。


サチコは帰り道でも、ブツブツ言いっぱなしだ。

「知らん所へ行きとうない」

「あんな所へ捨てられるんなら、◯んだ方がマシ」

「あれじゃあ姥捨山じゃ」


運転しながら、そう言い出すのを待っていた。

「今さら何を言いよんじゃ、すでに自分の娘に捨てられとるが」

「え…」

「家に帰ったらマーヤの年賀状、見てみんさい。

親には会いに来られんでも、家族旅行には行っとるで」

「どこへ行ったんでしゃ」

「タイと伊勢神宮、あとカンボジアじゃ。

それと、どこか知らんけど何かのテーマパーク。

その写真を印刷した年賀状を送りつける神経!

さすが、あんたの子供じゃ」


「タイいうたら、どこらへんかいの」

都合が悪くなると、話をそらせる。

「まあ、家に帰ったら見なさいよ。

私はマーヤの旅行のために、あんたの世話をやりようるんじゃないよ。

近くに住んどるけん、仕方なしじゃ。

ちったあ自分の置かれた立場を考えんさい」

「でも優しい家族に囲まれとるあんたは幸せじゃが!

私は不幸なのに!」

「幸せじゃったら不幸なモンの面倒見んといけんのか!

婆さん押し付けられて、年取っても走り回らんといけんのに

どこが幸せじゃ!大不幸じゃ!」

「ホンマじゃのぅ、ハハハ」

都合が悪くなったら笑って逃げる。


「老人ホームはマーヤの強い希望なんよ。

何としてでも入れてくれと、はっきり言われとる。

本人に電話して、聞いてみ」

「……」

もっと都合が悪くなったら黙るか、泣く。


これまでの数年、マーヤのことに触れるのは極力避けてきた。

サチコにマーヤを思い出させると、電話をかけまくると思ったからだ。

あの子も忙しいのに、仕事で疲れて帰って

サチコの胸が悪くなるような電話攻撃に遭ったら身が持たない…

マーヤの年賀状を見て、そんな私の気持ちは無駄だと知った。

今回、思いっきり言えてスカッとしたわい。

相手は認知症だから、すぐ忘れてしまうだろうけど

逆に言えば、すぐ忘れてしまうからこそ何を言ってもいいみたい。


サチコが「買い物に行きたい」と言うので

私の住む町のスーパーへ連れて行き、地元へ帰りついた。

有料老人ホーム入居の夢は終わったが、私にはもう一つ

残された期待案件がある。

玄関のドアだ。


入院中に変えた玄関ドアを、サチコはまだ見てない。

彼女は入院中、ずっとドアの心配をしていた。

表向きは「玄関がどう変わったのか心配」というもの。

しかし本心は「工事にかこつけて継子に大金を引き出されたのではないか」

という心配である。

あんまりドアドアと言うので、入院中に相談員と一時帰宅して

家を見る予定まで組まれていたが、相談員が急に退職したため

私が断る形で、一時帰宅は白紙になった。


「継子にお金を取られた」

これを言ったら即、絶縁する予定。

慣れているので全然平気だけど、傷ついたということにして激怒し

もう知らん!と言い捨てて帰るのだ。

言ってくれんかな〜。


しかし、甘かった。

車の中でさんざんマーヤの話を出したのが災いして

サチコの意識はマーヤに向いてしまい、ドアへの興味は失われていた。

「あら、自然な感じでいいじゃないの」

それで終了。

残念。


かくして私は、再び元の生活に戻る羽目となった。

玄関ドアが変わったら、デイサービスの送り出しはやめるつもりだったが

昨日、精神病院でもらった薬をショウタキへ預けに寄った時

ケアマネから、もう少し続けて欲しいと言われた。

言い分はわかる。

デイサービスに持って行くお風呂セットを毎日、バッグから出して

どこかへしまい込むため、毎回、一から支度をする必要にかられるのだ。


さあ、振り出しに戻った。

へえ、こうなるとは薄々思ってました。

でないと、施設ジプシーなんてタイトルはつけまへん。

今後もジプシーを続けるだけでありんす。

しかしサチコに言いたいことを言ったからか

疲れは無く、気分だけは爽快である。


皆様、不毛な話にお付き合いくださいまして、ありがとうございました。

《完》
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施設ジプシー・10

2025年02月28日 09時07分51秒 | みりこんぐらし
老人ホームへの入居は、家族の強い決意が不可欠…

私はそう述べた。

この数年、サチコの世話をしてきてつくづく思ったことだ。


本人の意志は関係ない。

老人は環境の変化を嫌う生き物なので

どこかよそへ行くことを恐れるのは当たり前だ。

「もう無理、プロに任せよう」

そんな家族の決意によってのみ、入居が実現するのだと思う。


考えれば医療従事者でもないシロウトの

しかも赤の他人の私が、精神を病んだサチコを扱うこと自体

無理な話なのだ。

彼女の世話に走り回っていた自分を、おこがましかったとすら思う。

2ヶ月間、NOサチコのパラダイスを味わったことで

すっかりダラけてしまったのである。


私が頑張ったのは、サチコの実子マーヤを守ろうとしたからだ。

サチコはどうでもよかった。

腹違いの妹の家庭と仕事を守りたい…そう言えば美しく聞こえるだろう。

しかし老人介護は、もっと生々しい世界だ。


「戸籍は他人ですから、知りません」

私がそう言ってサチコを放っておいたら、どうなるか。

認知症には徘徊を始め、対人あるいは金銭のトラブルが付きもので

火事を出す恐れも無いとは言えない。

そしてどれも、警察のご厄介になる。

認知症の親を放置して世間に迷惑がかかると

マーヤは保護責任遺棄罪に問われるのだ。


これは、噂や伝説ではない。

現実に高校の同級生スーちゃんが、この罪とニアミスした。


彼女は一人息子が巣立った後、働かない酒好きの旦那さんと

その母親との3人で暮らしていたが

当然、夫婦仲は悪く、家庭内別居で口もきかなかった。

旦那さんの食事や洗濯の世話は、同居する姑さんが行っていたものの

やがて、その姑さんに認知症らしき症状が出始めた。

昼夜が逆転して徘徊を繰り返すようになったが、スーちゃんは我関せず。

プータローの旦那さんが、面倒を見ていた。


そのうち旦那さんは身体を壊して入院、母親の世話ができなくなった。

それでもスーちゃんは無視。

お腹を空かせた姑さんは、食料品店の売り物を食べて警察沙汰になる。

警察から地域包括支援センターが呼ばれて介入し

姑さんは介護の体制が整うまでの一時的な措置で

どこかの病院へ送られた。


その時、スーちゃんは地域包括支援センターの人に言われたそうだ。

「籍が入っていると保護責任遺棄罪になるから

どうしても面倒を見たくないのであれば

離婚してアパートに移った方がいい」

よっぽどで無い限り、逮捕や起訴にはならないらしいが 

一応、罪は罪なんだそう。

まさか老人介護の世界から、離婚を勧められるとは…

スーちゃんも驚いたが、聞いた我々も驚いた。


このような話を聞いていた私は

「近くに住む自分がやらなければ」

そう思った。

「老婆には、義母ヨシコで多少慣れている」

という自負もあった。

が、それも過去のことよ。

サチコの入れそうな施設が見つかったことで

急に近づいてきた自由への切符。

離すものか!


前置きが長くなったが(長過ぎじゃ)

精神病院の面会で、隣市の施設のことに触れた私に

「遠くへ行きたくない」とゴネるサチコ。

遠くは嫌と言うけど、もしや地元の施設に入れるとしても

今度は「家で◯にたい」とほざくのは、わかっている。

さりとて家で暮らせば「一人は寂しい」。

結局、どこも気に入らないのだ。

全部気に入らないんだから、逆に言えばどこでも同じ。

だからこっちは気にしない。


「紹介してくれた人に恥をかかせるわけにいかんけん

見学に付き合ってよ」

と言ったら、あっさり

「じゃあ行ってみてもいいけど」

と言い出したので、しめしめと思い、その日は帰った。


が、翌日から毎日、電話がかかるようになった。

「やっぱり行きとうない!

どうして私が、あんな遠くへ行かんといけんの?」

泣きながら訴える。


「じゃあ、また家で暮らして、私に迷惑かけるつもり?」

「迷惑なんか、かけてないが!」

「じゃあ聞くけど、私にさせるのと同じことをマーヤにさせられる?

かわいそうで、ようさせんじゃろ?」

「うう…」

都合が悪くなったら、泣きやがる。

泣け!

もう容赦はしない。

ヤツの泣きどころであるマーヤのことも持ち出して

ガンガン言ってやる。

少しは現実を教えた方がいいのだ。


老後は親の成績表。

年老いて弱ってくると、自分が親として、どうだったかが問われる。

明日は我が身なので、人のことは言えないが

少なくともサチコは赤点決定だ。


ただ、彼女は年金が多いので、お金の心配があんまり無いのだけは救い。

サチコに金銭援助が必要だったら、私は最初から関わってない。

人一倍、手のかかる厄介な人間でありながら

労働は無かったことになり

諸経費も踏み倒されるのは承知の上だったが

病院代や施設代といった大きな出費は彼女が支払うので

その点は安心だった。


金銭的な心配があんまり無いので、この辺りの田舎であれば

たいていの老人ホームに入居させられる。

私はそれを見越して、サチコを引き受けた。

どうにもならない人間でも、何か一つは救いを持っているものだ。


今日の午後、サチコは退院する。

迎えに行ったその足で、老人ホームの見学に連行だ。

見学したら、入りたくないと言うに決まっているが

これも現実を教えるための大きな一歩。

反応が楽しみだ。

《続く》
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施設ジプシー・9

2025年02月27日 10時36分49秒 | みりこんぐらし
面談が終わると、施設の見学だ。

大きなエレベーターは病院のそれと同じで

車椅子やストレッチャーが余裕で入るサイズ。

これなら遺体搬送にも困らないだろう…

良からぬことを考える私。


4階建てのここは、2階から4階までが入居者の個室になっており

一つの階にそれぞれ19人が生活している。

どこの施設もそうなんだろうけど、風呂も洗濯室も各階に一つずつあり

介護士もそれぞれ決まった階の担当で

言うなれば階ごとに介護が完結するスタイル。


個室は、解放的な大食堂を取り囲むように配置してある。

つまり部屋から一歩出ると、皆の集まるサロンというわけだ。

長さ10メートルはありそうな食卓の前には

間隔を開けて複数台のテレビが設置してあり

数人の老人がくつろぎながら、それぞれ好きな番組を見ていた。


現在、空いている部屋…

つまりサチコが入るかもしれない部屋を見せてくれるというので

付いて行ったら何と、2階だった。

「やった!」

密かにガッツポーズ。

高所の部屋が苦手なサチコに拒否の言い訳を与えないため

願わくば低階層、できることなら2階という野望を持っていたが

願ったり叶ったりじゃないか。


個室には病院風のベッドがあり

壁には備え付けのシックなクローゼットと棚。

個別の小さなベランダに出るガラスサッシのそばには

クローゼットと同じ素材のテーブルと椅子。


そのベランダは整備された広い道路に面しており

車や人の頻繁な往来が丸見えで、退屈しそうにない。

眼下の歩道には、学校帰りの小学生や中学生がたくさん歩いている。

これならサチコも姥捨感にさいなまれることなく

景色を楽しめそうだ。


個室の入り口に鍵が無く、スライド式の大きなドアなのと

広いトイレにドアが無く、撥水性のカーテンというのが

介護の雰囲気をかもし出している以外は

近代的なワンルームマンションと同じである。

私がここに住みたくなったぞ。


唯一、惜しむらくは、中高年の女性職員が多いことか。

男性職員はパッとしないのを一人、二人見かけた程度で

サチコの好きな若いイケメンはいないみたい。

しかし、そこまで贅沢は言えまい。


こうして見学は終了。

姥捨感の無い立地と、2階…

図らずも希望通りの施設に行き当たった私は、上機嫌で家路についた。


しかし、これからが大変だ。

私が気に入ったところで何になる。

サチコが入ると言うわけないじゃん。

老人ホームへ自ら進んで入るような人は

子世代を苦しめたくない立派な人物だ。

人を苦しめるのが生き甲斐のサチコが、素直にウンと言うはずが無い。

さて、どうしたものか。


奇しくも施設を見学した19日の夕方

サチコが入院している精神病院の相談員から電話が入った。

「インフルエンザの流行で禁止だった面会が、明後日から解禁になります」

しかし相談員の用件は、別にあった。

「私、明日で退職しますので、サチコさんの担当が代わります。

今度は男性です」


おい!これからが勝負だというのに!

あんたにもうまく立ち回ってもらって

入居に協力してもらおうと思ってたのに!

何かっちゅうと言葉尻を取られ、家族の負担を増やそうとする

海千山千のショウタキのケアマネと違って

若く話しやすい女性だったので残念よ。

ともあれ、施設が見つかったので入居させるつもりなのを

次の相談員に引き継いでおいてもらいたい旨と

今までのお礼を伝えて電話を終えた。


面会に先駆けて、新しい相談員に電話をした。

挨拶がてら、退院の日を決めるためだ。

いきなり施設のことを言ったら混乱するだろうから

先に退院の日を伝える計画。

ショウタキからも、3月からの介護計画が立てられないので

退院の日を早く決めるようにと矢の催促である。

病院の相談員と話して、退院は28日と決め

ショウタキには3月1日からの配食開始と

翌週からのデイサービスを依頼した。


それからサチコと面会するために、病院へ行った。

2ヶ月ぶりに見るサチコは、相変わらず元気バリバリ。

私の顔を見ると

「来てくれたん?ありがとう…ありがとう…」

そう言いながら嬉しそうに両手をこすり合わせ、拝む。

が、その謙虚な姿に騙されてははならない。

相手は女優だ。


まず、28日の退院を伝える。

「えっ?もう退院?まだ、ここへおりたいような…」

そう言いながらも、まんざらではない様子。

「一旦、帰って生活してみんさい。

そんで、一人がつらいようなら、入れる施設を考えようや」

「ほうじゃのう…」

「入れそうな施設が一つ、あるんよ。

おととい見に行ったけど、すごくええ所じゃった」

「誰が入るんでしゃ」

「あんたじゃ」

「私?」

「一人はつらいけん、どっか入れてくれぇ言うとったじゃん。

人の紹介で、ちょうどええ所があったんよ」

「どこでしゃ?」

「◯◯市」

「遠いが」

「うちからは近い」

「わたしゃ生まれた町で◯にたい!遠くへは行かん!」

予想通りの反応だ。


しかし、ひるむものか。

施設入りは、家族の強い決意が全て。

何が何でも入れるという情熱がなければ、やり遂げることはできない。

《続く》
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施設ジプシー・8

2025年02月26日 09時22分25秒 | みりこんぐらし
次男の釣り仲間ティーチャーの紹介により

有料老人ホームの見学が、あっという間に決まった。

電話であちこち問い合わせる手間を思えば、幸運なことだ。


が、実を言うと私はもっと吟味して

見学に行くかどうかを考えたかったよ。

ティーチャーのお母さんが入っている所は、鬱病でもOKなのか…

彼は“ええ所”と言うけど、誰にとってええ所なのか…

街の中とは、どの程度の賑わいを指すのか…

空いているという部屋は何階なのか…

疑問は数々ある。


しかし間にティーチャーが入ったからには

そこがどんな場所であろうと、行かなければ義理が立たない。

せっかく紹介してもらったのにグズグズしていたら、失礼になる。

特に経営者というのは、決断の遅いヤツを嫌う。

だから行くしかない。


それにしても、施設探しに紹介という手口があるとはね。

このような形で見学が決まるなんて思ってもみなかった。


で、見学を決めてから、改めて施設の名前でホームページを検索。

当然だけど、出てきたわよ。

あら、“みんなの介護”にも、ちゃんと登録してあるじゃないの。

だけど“みんなの介護”に登場する施設とは、ちょっと違う。

画面が何だか地味なのだ。

人気の施設に星と点数をつけて

1位2位と順位をつけたランキングも無い。


そして、ここの電話番号は050ではなく0120で始まっていた。

その番号にかければ、施設に直通みたい。

想像だが、みんなの介護に支払う登録料のレベルによって

優先順位が違うのかもしれない。

どおりで、みんなの介護をいくら検索しても

この施設が出てこないはずだ。


だとすると、ここは…

みんなの介護に高額な登録料を支払って募集しなくても

入居者に事欠かない真の人気施設ということか?

ひょっとして、穴場なのか?

なんて気持ちも湧いてくるってもんよ。


それにしても、この施設は本当に街の中にある。

隣市のメイン通りなので、私でも知っていた。

老人施設といったら山奥か郊外と思っていけど

市庁舎や銀行のすぐ近くじゃないの。

だから距離も近くて、うちから約35分で行ける。

しばらく行ってないので、そんな所に老人ホームができていたなんて 

夢にも知らなかった。


施設と約束した、19日の午後になった。

この日はたまたま、亡き義父アツシの十回目の祥月命日。

私は縁起を担ぐようなタマではないけど

この日付けが、吉と出るか凶と出るかに興味を持ちながら出発だ。


はたして市街地のど真ん中に、新しい4階建ての大きなビルはあった。

いっそメイン通りというのが幸いして、周辺を走る車もさほど多くない。

そして駐車場は地下。

運転が好きでない私のチェックは厳しいが

広い道路に豊富な駐車場は合格だ。


しかも隣がコンビニじゃないか!

あれ買って来い、これ買って来いと言われるのを懸念して

できれば施設内に売店のある所…などと

最初は贅沢にも考えていたが、隣がコンビニなら売店があるのと同じだ。

大合格。


施設では例のごとく、ケアマネと看護師の二人を前に面談。

そして私は例のごとく、元公務員と小柄をさりげなくアピール。  

この二つを聞いた途端に、二人の表情は輝いた。

「今、入院中でしたら、私たちが病院へお邪魔して

お母様をお誘いします。

お母様と病院の相談員さんと4人で

入居前のカンファレンスをしましょう」

明らかに乗り気。


面談で聞かされた月々の入居費用は、基本料金が一律15万8千円。

自立…つまり車椅子や寝たきりでない場合は、一律13万8千円。

自立のサチコは、後者になるらしい。


ティーチャーからは

「うちの母親で月々18万5千円、払っとる」

と聞いていた。

彼のお母さんも要介護1なので、おそらく自立組。

よって寝具の貸し出し料金や洗濯料金、必要ならおむつ代の実費

1時間につき1,500円の病院付き添い代行料

利用者が個人的に持ち込むテレビや冷蔵庫の電気料金など

4万7千円分のオプション料金が加算されて

合計18万5千円になると思われる。

そしていずれ車椅子や寝たきりになったら

基本料金が2万円アップするので、費用は20万円超えになるのだろう。


面談をしながら入居申込書を書いたので

苦手な面談は1時間ちょっとで終了した。

自分の印鑑と、サチコの健康保険証を持参したため

申込書はその場で仕上がった。

保険証の番号を記入する項目があるからだ。

サチコの印鑑と通帳、介護保険証、介護認定書

マイナンバーカードも持って行ったが、今回は必要なかった。


そしてここは申込書に記入する保証人が、私を含めて3人必要だそう。

サチコの面倒を見るようになって以来

ショウタキや病院で複数の保証人を求められたため

妹2人の住所と電話番号を書いたメモの写真を携帯に保存している。

だからこれも、その場で書いた。


アレらには無断。

万が一、めでたく入居となって入居費用が銀行振込だった場合

私にもしものことがあったら、請求書を受け取って震えるがいい。

が、ショウタキと同じく、ここも銀行引き落としだろう。

何げに残念だ。


ちなみに、以上のような細々した物を忘れると

申し込みが後日になるだけではない。

再び施設に行って書くか、書類を一旦持ち帰って仕上げ

郵送することになる。

面倒くさいことはできるだけ少なくしなければ

年寄りの世話なんて、しちゃいられない。

《続く》
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