ゴールデン・ウイークも終盤ですね。
皆様は、いかがお過ごしでしょうか?
私は普段と変わらない、地味な家暮らしです。
腰の悪い姑と、膝の悪い夫を気にかけながらどこかへ行くより
家に居る方がよっぽどマシってもんです。
それでも昨日は夫と二人、買い物に出たついでに足を伸ばして
市外にあるコメダ珈琲に行きました。
どこへ行っても人だらけだろうと思っていましたが
意外にも空いていたので、ゆったり過ごすことができ
何だか気分が晴れ晴れしました。
連休中は、これが唯一のレジャーになりそうです。
せめて皆様は、楽しく過ごせますように!
さて、私の住む川沿いの通りは、後期高齢者が大半をしめる。
老人ならではの事件がたびたび起こるため
私はこの通りをデンジャラ・ストリートと呼んでいる。
このデンジャラ・ストリートの集会所で
市の推奨する老人体操教室が始まって3年。
開始当初のメンバーは、80代を中心に20人ほどいた。
ストリートの高齢者はもっと多く生息しているが
中には集まりが苦手な人や、集会所まで行けない人もいるため
この人数になったというところ。
しかしこの3年の間にメンバーが次々に亡くなり、10人に減った。
去年、89才の女性Sさんが突然亡くなった以外は全員男性だ。
今じゃ老人体操は、生き残った女たちのサロン。
本来の女王体質と忍び寄る認知症が相まって
何かと和を乱していたSさんがいなくなったので
伸び伸びと楽しく活動するようになった。
しかし、ここでSさんの後を引き継ぐメンバーが浮上。
体操教室ではズバ抜けて若手のTさん、75才だ。
50代で脳梗塞になった彼女は身体が少し不自由で
優しいご主人が甲斐甲斐しく世話をしていた。
しかしTさんのご主人も去年、急病であっけなく他界。
伴侶の世話をしていた人が、疲れて先に亡くなるケースはよく聞くので
あんまり甲斐甲斐しく世話をすまい…私が密かにそう誓ったのはともかく
一人暮らしになったTさんは、それから間もなく再び脳梗塞で倒れた。
彼女はウインナーが大好物で、毎日食べないと気が済まないと公言している。
ウインナーを控えよう…私が密かにそう誓ったのはともかく
Tさんは、二度目の脳梗塞から見事に復活。
しかし、それ以降は認知症の症状が現れ始めた。
さて体操教室と同じメンバーは月に一度
集会所に先生を招いて、簡単な手芸作品を作ることになっている。
折り紙や、卵の殻で作った小さな人形
この地方では“おじゃみ”と呼ぶ、お手玉なんかだ。
手芸にかけては腕に覚えのあるTさんも毎月参加するが
認知症になってからは、うまく作れなくて癇癪を起こす。
つまりメンバーの中で、トラブルメーカーになりつつあった。
そんなある日、老人体操教室の面々は
町内にあるデイサービスセンターへ行くことになった。
彼女らに手芸を教える先生が、そのデイサービスに勤めていて
年に一度のイベントに誘ってくれたのだ。
模擬店が出たり、デイサービスを受ける人々と一緒に工作をしたり
建物の見学をするのだそうで
自分たちがデイサービスを受けても遜色無い老婆たちは
早くから張り切っていた。
このお出かけに、当たり前だがTさんも行きたがる。
しかし、そこに深刻な問題があった。
彼女は手押し車が無ければ歩けず
車の乗り降りや段差のある所では介助が必要なのだが
ここに立ちはだかるのが、彼女の体格。
身長が私とほぼ同じぐらいの165センチあり、しかも太めだ。
他のメンバーは全員、140センチ台の小柄揃いで
Tさんよりずっと年上。
大きなTさんを介助する力は無く、下手をしたら共倒れになってしまう。
彼女らは、それを恐れていた。
やがて当日の参加者は、「孫が来る」、「法事がある」
などの理由で4人減り、Tさんを入れて6人に決まった。
この中にはもちろん、うちの義母ヨシコも入っている。
メンバーの中で車の運転ができるのは
教室のリーダー格Yさんともう一人。
この2台に分乗して行く予定だったが、84才のYさんは悩んでいた。
世話好きで頼りになる人だが、心臓にペースメーカーが入っているので
Tさんの介助はできない。
去年までのTさんには、いつも長身のご主人が付き添っていたので
何の心配も無かった。
ご主人を失って一人暮らしになったTさんの生活は
ホームヘルパーがカバーするようになったが
お出かけまで面倒を見てくれない。
タクシーを使うことも考えたが、そっちも車を降りた後まで
面倒を見てはくれない。
しかし世話をされ慣れているTさんは、今までと同じくマイペースを貫き
無邪気に「行く」と言い続けるのだった。
《続く》