羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

ドタキャン

2017年03月18日 08時28分32秒 | Weblog
 母をディサービスに誘った。
 車のお迎えは嫌がるだろうから、と私が車椅子にのせていくことの許可をもらった。
 昨日、朝のうちに話をして、行ってもいい、と了解を得た。

 いざ、午後の時間になったので、支度を促した。
 ドタキャンである。

 ケアマネジャーの方が、同じ時間に訪ねてくれた。
 ひとしきり楽しく話をし、ご機嫌で見送った。
 やっぱりのことであった。

 いろいろ調べてみると、同居人がいるだけで、介護保険で出来ることはあまりにも限られている。
 したがって、ディケアサービスを活用して、バランスを取るしくみなっているらしい、と得心したものの、本人にはそんなことは「関係ない!」のである。
 それが出来ないのなら、母を残して私が家を出るしかない。それも、しかたないなぁ〜。でも無理!とすぐさま打ち消す。

 今週は、この道に詳しい人にすすめられて、特養への再申請提出のために、A4用紙二枚にまとめる作文をした。
「これで通るのはいつかはわからないが、決まれば強制するしかないわー」 
 うっと詰まってしまった。

 夜になって、母に4月1日のことを話した。
「まぁ、野口先生の法事ね」(母)
「そう、寛永寺の墓地の管理人さんに、35名もお墓参りにいらっしゃる。その方はお幸せですね、っていわれたの」(私)
「死んでからも幸せ!」(母)
 声をたてて笑っている。
 さらに留守番はしっかりしてくれる、と宣う。
「思いがけない場所も貸していただけるようになったから、よい供養になるわ」(私)
「お坊さんにお経をあげてもらうだけが、供養じゃないわよ」(母)
 なんだか冴えてるじゃない。
 こういう日もあるのだ!

 今朝こと、目が覚めて思った。
 母はぐっすり眠ってくれて、私も満足感を得る眠りであった。
 自宅で母もいて、何事もなくちゃんと眠れることは、本当に幸せなのだと実感した。
「あなたの人生はあなたのものなんだから、お母さんに振り回されないで、気分転換に旅にでも出たら」
 隣のおじさんにすすめられる。
 しかし、自宅でゆっくり食事ができて、話が出来て、仕事ができて、本が読めて、お風呂にゆったり入ることができて、友人や知人を迎えることができて、庭の手入れができて、……、日常がたんたんと過ごせることが、すごく幸せなのだー。
 それって、ずっと言われ続けて来たこと。
 しかし、本当に実感を得たのは、今回がはじめてだと思う。
 ってことは年寄りを抱えると、そうした日常が突然に壊される、壊される頻度が高くなる、ということなのだ。
 いつの間にか壊されっぱなしの日常を過ごして、共依存関係に陥ってしまう。
 でも出口はどこかにあるのよ、と思いたい。

 つくづく、穏やかに過ごせた日には、感謝だな!って思う。

 いつかは終わる。
 そして、今度は自分の番が回ってくる。
「そのことは、今は、座布団の下にしまっておこうッと」
 本日も晴天なり。
 
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