母をディサービスに誘った。
車のお迎えは嫌がるだろうから、と私が車椅子にのせていくことの許可をもらった。
昨日、朝のうちに話をして、行ってもいい、と了解を得た。
いざ、午後の時間になったので、支度を促した。
ドタキャンである。
ケアマネジャーの方が、同じ時間に訪ねてくれた。
ひとしきり楽しく話をし、ご機嫌で見送った。
やっぱりのことであった。
いろいろ調べてみると、同居人がいるだけで、介護保険で出来ることはあまりにも限られている。
したがって、ディケアサービスを活用して、バランスを取るしくみなっているらしい、と得心したものの、本人にはそんなことは「関係ない!」のである。
それが出来ないのなら、母を残して私が家を出るしかない。それも、しかたないなぁ〜。でも無理!とすぐさま打ち消す。
今週は、この道に詳しい人にすすめられて、特養への再申請提出のために、A4用紙二枚にまとめる作文をした。
「これで通るのはいつかはわからないが、決まれば強制するしかないわー」
うっと詰まってしまった。
夜になって、母に4月1日のことを話した。
「まぁ、野口先生の法事ね」(母)
「そう、寛永寺の墓地の管理人さんに、35名もお墓参りにいらっしゃる。その方はお幸せですね、っていわれたの」(私)
「死んでからも幸せ!」(母)
声をたてて笑っている。
さらに留守番はしっかりしてくれる、と宣う。
「思いがけない場所も貸していただけるようになったから、よい供養になるわ」(私)
「お坊さんにお経をあげてもらうだけが、供養じゃないわよ」(母)
なんだか冴えてるじゃない。
こういう日もあるのだ!
今朝こと、目が覚めて思った。
母はぐっすり眠ってくれて、私も満足感を得る眠りであった。
自宅で母もいて、何事もなくちゃんと眠れることは、本当に幸せなのだと実感した。
「あなたの人生はあなたのものなんだから、お母さんに振り回されないで、気分転換に旅にでも出たら」
隣のおじさんにすすめられる。
しかし、自宅でゆっくり食事ができて、話が出来て、仕事ができて、本が読めて、お風呂にゆったり入ることができて、友人や知人を迎えることができて、庭の手入れができて、……、日常がたんたんと過ごせることが、すごく幸せなのだー。
それって、ずっと言われ続けて来たこと。
しかし、本当に実感を得たのは、今回がはじめてだと思う。
ってことは年寄りを抱えると、そうした日常が突然に壊される、壊される頻度が高くなる、ということなのだ。
いつの間にか壊されっぱなしの日常を過ごして、共依存関係に陥ってしまう。
でも出口はどこかにあるのよ、と思いたい。
つくづく、穏やかに過ごせた日には、感謝だな!って思う。
いつかは終わる。
そして、今度は自分の番が回ってくる。
「そのことは、今は、座布団の下にしまっておこうッと」
本日も晴天なり。
車のお迎えは嫌がるだろうから、と私が車椅子にのせていくことの許可をもらった。
昨日、朝のうちに話をして、行ってもいい、と了解を得た。
いざ、午後の時間になったので、支度を促した。
ドタキャンである。
ケアマネジャーの方が、同じ時間に訪ねてくれた。
ひとしきり楽しく話をし、ご機嫌で見送った。
やっぱりのことであった。
いろいろ調べてみると、同居人がいるだけで、介護保険で出来ることはあまりにも限られている。
したがって、ディケアサービスを活用して、バランスを取るしくみなっているらしい、と得心したものの、本人にはそんなことは「関係ない!」のである。
それが出来ないのなら、母を残して私が家を出るしかない。それも、しかたないなぁ〜。でも無理!とすぐさま打ち消す。
今週は、この道に詳しい人にすすめられて、特養への再申請提出のために、A4用紙二枚にまとめる作文をした。
「これで通るのはいつかはわからないが、決まれば強制するしかないわー」
うっと詰まってしまった。
夜になって、母に4月1日のことを話した。
「まぁ、野口先生の法事ね」(母)
「そう、寛永寺の墓地の管理人さんに、35名もお墓参りにいらっしゃる。その方はお幸せですね、っていわれたの」(私)
「死んでからも幸せ!」(母)
声をたてて笑っている。
さらに留守番はしっかりしてくれる、と宣う。
「思いがけない場所も貸していただけるようになったから、よい供養になるわ」(私)
「お坊さんにお経をあげてもらうだけが、供養じゃないわよ」(母)
なんだか冴えてるじゃない。
こういう日もあるのだ!
今朝こと、目が覚めて思った。
母はぐっすり眠ってくれて、私も満足感を得る眠りであった。
自宅で母もいて、何事もなくちゃんと眠れることは、本当に幸せなのだと実感した。
「あなたの人生はあなたのものなんだから、お母さんに振り回されないで、気分転換に旅にでも出たら」
隣のおじさんにすすめられる。
しかし、自宅でゆっくり食事ができて、話が出来て、仕事ができて、本が読めて、お風呂にゆったり入ることができて、友人や知人を迎えることができて、庭の手入れができて、……、日常がたんたんと過ごせることが、すごく幸せなのだー。
それって、ずっと言われ続けて来たこと。
しかし、本当に実感を得たのは、今回がはじめてだと思う。
ってことは年寄りを抱えると、そうした日常が突然に壊される、壊される頻度が高くなる、ということなのだ。
いつの間にか壊されっぱなしの日常を過ごして、共依存関係に陥ってしまう。
でも出口はどこかにあるのよ、と思いたい。
つくづく、穏やかに過ごせた日には、感謝だな!って思う。
いつかは終わる。
そして、今度は自分の番が回ってくる。
「そのことは、今は、座布団の下にしまっておこうッと」
本日も晴天なり。
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