羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

花蕾

2017年03月23日 08時17分21秒 | Weblog
 2月1日、久しぶりに寛永寺から芸大、そして上野駅へと、さやかさんと下見をした。
 まだまだ冬の枯れの公園を抜けた。
 はやすぎると思いながらも、4月1日に巡るコースを確かめ、食事処を探した。
 10数人の参加者を予想しながらのことだった。
 帰宅後、さっそく一軒に予約をいれてもらって、参加者を募った。
 一回目のことだった。

 締め切りの2月22日ギリギリになって、予想を超えた人数の方が申し込まれた。
 予約の店に電話を入れるとにべもなく断られ、あたふたと次なる店を探し、なんとか30名以上の人数を確保した。
 花見時の上野は、食事するにも大変だろうと予想はしていたが、2月に動き出しても遅いくらいだった。

 さて、3月1日に新井さんと二回目の下見をおこなった。
 今度は、人数もわかっていたこともあって、芸大から上野公園をどのように抜けたらよいのか、どのようなグループ分けをしたらよいのか等々を考えながら、食事処までの時間をはかった。
 まだまだ不忍池は冬の佇まいであった。
 東叡山寛永寺の名残を訪ねながら、江戸の時代に思いを馳せた。
 東京は、徳川さんの江戸の上に成り立っていることを身をもって知った。

 さて、さて、昨日3月22日、三回目の下見を行った。
 今回はビデオ撮影のポイント地点確認のためにピーターとともに歩いた。
 風は強かったが天気に恵まれた。
 寛永寺の根本中堂の床下部分には、五色の幕がぐるりと張られ、なにやら華やいだ気配が感じられた。
 花見に誘われてくる客人を歓迎する支度が、すすめられている。

 そこから芸大の体育小屋にピーターを案内した。
 当日はこの建物の外側を見学する。
 ふと、これまで見たことがなかったプレートに気づいた。
 煉瓦造りの建物の由来が書かれている。
 東京図書館の書庫として、体育の授業として使われ、現在は文化財保護の研究室となっていることが刻まれている。
 体育小屋・野口三千三という名前こそなかったが、「野口体操」の原点、たしかな足跡がここにあった。
 
 公園に出ると、そこここに花見のための準備が始まっていた。
 上には提灯がぶら下げられ、したにはゴミ捨て場が用意されている。
 これまでの二回の下見と異なって、具体的に混雑の様子をイメージすることができた。
 公園を抜けるのは、なかなか大変だー!と。
 途中、坂の上から不忍池にある「弁天堂」を横にみる。
 池の水はすでに春色に変わっていた。
 さらに坂をおりながら
「人また人で溢れているわねー」
「グープごとに色違いのロープを用意して、5人〜6人でそのロープを離さないように移動していただこうか」
 などと笑いながら会話す。
 
 上野広小路までの坂を下った。
 食事処は下り切る手前、右手斜め先を見ると直に目に入る。

 開花宣言が出された翌日のこと。
 鴬谷・上野界隈の花の蕾には、ほんのりと紅がさしている。
 どの桜木の梢を見上げても、蕾から紅色が薄らいで白色に変わるのも間近な気配が伝わってくる。
 スタンバイOK!
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