羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

小猫の戦略

2017年02月25日 08時38分38秒 | Weblog
 2月23日のブログに、猫の手も借りたい、と書いた。
「そうだ、猫の智慧も借りてみよう」

 この二週間の行動を振り返ってみよう。
 つまり、会場探しに歩いてみたわけ。
 団体登録書類を書いてみたわけ。
 国立の施設と区立の施設とでは、書き込む内容や条件に微妙な差があったことに気づいたわけ。
“わけ”のさわりを話してみようかなー。

 区立の場合は、どこまで守られるかは別としても、確実に・間違いなく、区内に住んでいる人の割合がいちばんの問題になる。
 そりゃそうだわ。
 区に入るさまざまな税金がつかわれているわけなんだから。
 ここで面白いと思ったのは、以外に重要視されている事項に、「代表者が複数の団体代表をつとめている場合」は、最初からお断りなのである。
 それにも納得。

 さて、国立青少年センターの場合は、営利団体でないことがいちばんの条件であるわけ。
 それにも納得。
 野口体操の場合、それは全く問題はない。
 そこで気づいたことがあった。
 野口体操はとことん「個人」との関わりのなかで成立する体操である、ということ。
 あえていわせていただくと、個人を尊重した集団である、ということである。(固い表現だなー)
 今回の会員を募るとき、性別・年齢・職業・住所などの個人情報は、「個人情報の保護」のことからしていただかなかった。これはまずもって珍しいことに違いない。
 言ってみれば、長年のおつきあいのなかで何となくわかっている人間がいる、からでもあったかもしれない。

 しかし、提出書類には、主なメンバーの名前・年齢・性別・職業・都道府県(海外)名を書き込む欄がある。
 これは当然のことだ。全員を書く必要はなく、5名以上の会員情報を出せばよかった。

 その後、小猫ちゃんはなんとなくそわそわ。
「何を考えているの」
「いままで考えたことのない数にしてみたらどうよ!」
 にゃんにゃん語で教えてくれた。

 やってみたのよ。
 男女の比率、年齢構成、住まう所、等々を数字にしたとたんに、「個人」が消えてしまった驚き。
 まったくゼロの年代があったことへの驚き。
 住まう区の偏りと人数への驚き。

 10年、20年、30年の時間の経過を取り込んで、お一人おひとりのお顔や風貌等々を想像しながら、名簿を見ていると、数値に置き換わった瞬間に、今までとはまったく異なった関係に引きずり込まれることへの驚きだった。

 せっかくだから、小猫ちゃんの智慧をもう少し借りてみよう。
 現在、野口体操を思ってくださる方が、ゼロの世代は何十代か、と。
 野口体操を大切に思わなくても、単位をもらうために実際に体操をやってくれている世代がいること。
 
 もう少し拡げて、自分の身体にかかわる時間を持てない世代は何十代か。
 これは数値を見なくても、考えなくてもわかってしまう。
「ほー、見える、見える」
 小猫の目がキョロキョロあたりを伺っている。

 一つの決断が、導かれた。
「変わるしかない。変わることをおそれるな!」

 やって来たことを振り返ってみる。
 まず、野口先生没後に得た野口体操を伝える場、伝えてきた人々の、年齢、性別、職業、住まう所……を想い浮かべる。
 そして、受ける方々の前に立った瞬間に感じるその場の空気で、3つのことを即断して伝えることだったと気づく。

「ここまでは野口先生の生涯をかけた体操への深い思いを守る」
「ここからは相手に合わせて少しだけ変えてみよう」
「このことは危険だからあえて隠しておこう」
 
 上手くいくときもあった。
 ボタンの掛け違いのまま終わってしまったこともあった。
 とにかくレッスンや授業、そしてワークショップは、その場に集まった全員がつくりだすものだから、生きものなのである。次に何が起こるかわからない。次にどんな反応が出て来るかはわからない。次にどんな変形や変種が生まれるのかはわからない。

 そうしたこととは別に、数値化にしてみると、見える風景が変わった。
 これからの野口体操を考える時に、団体登録で求められたこの視点もちょっとだけ持ってみよッ、と。

「我が輩は小猫である」 
 なんちゃって!
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