羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

花曇り……「時鐘堂」の時の鐘音

2017年02月12日 08時24分55秒 | Weblog
 北緯35度42分51・2秒 東経135度46分21秒
 ここに「大仏下の時の鐘」と呼ばれた上野寛永寺の「時鐘堂」がある。
 寛永2年(1625)に建てられた当時、敷地面積は35万5千坪と言われている。
 それから41年後、寛文6年(1666)初代の鐘は鋳造された。
 それから21年後、貞亨4年(1687)松尾芭蕉は大川(隅田川)に近い芭蕉庵に住まいこの句を詠んだ。 

花の雲 鐘は上野か 浅草か

 桜の花が一面に満開となって雲のように咲きそろう江戸の春を、鐘の音に託して讃えたのである。
 芭蕉庵は上野の寛永寺、浅草の浅草寺ともに、耳にすることができる位置にあった。
 これらの時を告げる鐘は、江戸幕府後公認の「時の鐘」で、上野、浅草、本所、日本橋など江戸市中10カ所に設置されていたとある。京都、大阪、長崎は、それそれ一カ所にしかおかれなかったらしい。
 つまり、複数の「時の鐘」があったのは、江戸だけである。
 そのこともわざわざ二カ所を詠み込むことで江戸の町が大きな都会に発展していることを、詠んだのではないだろうか。
 なかなかに凝った趣向といえる。
 それはともかく、江戸風情が伝わる句として、素直に味わってみたい。
 おそらく芭蕉は、上野の鐘の音、浅草の鐘の音を聞き分けられたというのが大方の識者の意見であるが、私の個人的な思い入れ、つまり寛永寺に野口先生のお墓があるという勝手な思いから、上野の鐘にちがいないとしたいのが人情というもの。
「大仏下の時の鐘」である、と。
 
 時は330年後、平成29年(2017)来る4月1日にある会合を上野で予定している。
 人、人、人、人、人、………で埋め尽くされるであろう、この時期である。
 なるべく人を見ないで、花を見ようぞ! 
 今から心掛けて、去る2月1日にランチ処を探しに、幹事をしてくれるKさんと出かけた。
 彼女は、上野駅に近くで落ち着いて話が出来る店を、ピックアップしてくれたので、何件かをのぞいたあとに有名フレンチレストランで試食をすることにした。
 予算の都合もあるが、そのあたりは範囲内なので安心して席についた。
 フランス料理としはまずまずの値段と味であった。
 二人の意見は一致して、この店に決めてることにしたのである。
 その後、レストランに電話予約を入れてくれたKさんから連絡をもらった。
 午前中の予約はないので、裏技を教えてもらったという。
「確と承った」
 だがちょっとまずいかなー、という思いがして、他も当たってもらことにした。

 一軒は、「時の鐘」にもほど近い、一度は行ってみたい和食店であった。
「ぜんぜん、話になりません」
 Kさんからの電話である。
 すでに1月から、花見時の予約ははじまっていて、すべて満室ということであった。

 ここからが彼女の真骨頂である。
「もしや、他の店も同様かも」
 そこでもうもう一軒の店に電話を入れた。
 その時点では最終的な人数は決まっていない。
 予想すらたたない。
「どうしましょう」
「見切り発車しましょう」
 なんとか交渉の末に、個室を確保してくれた。
 翌日のこと、Kさんは試食にでかけ、まずまずの感触をつかんで、我が家に報告に来てくれた。
「なんだか綱渡りですねー」
 お互いに顔を見合った。
 
 日本の花見は外国人に人気が出て、各地のお花見処は、ものすごい混雑になることや、食事するところを確保することが大変であるということは、ニュース等々で知っていた。
 が、しかし、これほど大変な状況になっているとは、実際に当たってみなければわからなかった。

 さて、さて、鐘の話に戻そう。
 現在の寛永寺「時の鐘」は元明7年(1787)につくられたもので、平成8年(1996)「日本の音風景100選」に選ばれているとうだ。
 朝夕6時、正午、1日3回、聞くことができる。
 4月1日には、人の波音にかき消されてしまうのだろうか。
 いやいや、心して耳を傾けよう、と今から心待ちにしている。 
コメント (2)
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