羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

稽古初め……時の重さ

2015年01月02日 12時31分28秒 | Weblog
 正月二日。
 通常の時間に起床す。
 
 今朝は朝刊がこない。
 そこでまだ暗いうちに、本日分の御節の盛りつけとお雑煮の準備を始めた。
 それから三が日の二日目、朝食を終えて、“元日はしてはならない“という言い伝えに従ってやめておいたゴミを捨てに蔵の裏にまわる。
 ぶる、ぶるッ。寒い。
 それから洗濯や簡単な片づけを終了。

 さぁ~、いざ、今年はじめての体操にとりかかったのは、8時を少し回った時だった。
 12月の最後のレッスンから6日しか過ぎていないのに、通常の暮らしぶりとは異なる年末年始のこと、思いがけず堅くなっているからだに驚く。
「丁寧に、大事に、大切に!」
 野口のことばを思い出しながら、一通りの動きを試してみる。
 普段、授業があり、レッスンがあるということは、かなりの時間かけて体操をしていることに気付かされる。
「丁寧に、大事に、大切に!」
 からだをほぐす。
 次第に、うう~ん、いいね~。
 
 とはいえ、まだまだ足らない感じは否めない。
「まっ、いいか。午前中は……」
 自分に言い聞かせる、ということは午後も再び稽古しよう、という気持ちがあるってことらしい。

 さて、次なる稽古はじめは、文章を読むこと。
 実は、2003年1月に出版された「岩波アクティブ新書『野口体操入門ーからだからのメッセージ』」が手に入らなくなったことで、再刊のお話を年末にいただいている。
 今度は現代文庫に入れていただけるらしく、近々、担当の編集の方と初面談のお約束がある。
 
 年も改まったので、それまでに読みかえさねば。
 そこで本日、ページをめくりはじめた。
「おー、12年の歳月は、これほどまでに社会の有り様を変え、自分の心持ちを変えてしまったのか(驚愕)。書き換えたい所がいっぱいあるなぁ~(溜息)。」
 読み進むうちに、原稿を書いていた時のことを思い出す。
 父の癌治療と同時並行の作業だった。
 ちょうど文教大学で教えはじめた頃で、大学のある茅ヶ崎駅から東京駅に帰ってきてそのままお茶の水の順天堂大学病院の病室に泊まったこともあった。
 病室で校正したり、編集担当だった山本さんと病院で打ち合わせをしたことなども、ありありと情景が浮かんできた。
 花王のプロジェクトも始まっているなかで、書いていたことは信じられない(二つ目の驚愕)
 そして校了するか、しないかの時に、父はこの世から去った。

 思えば、掲載写真撮影はまだ夏の暑さが残る9月頃だった。
 辛うじて自分の足で立って歩くことができた父と、撮影の佐治さんとモデルを引き受けてくれた常田景子さん、お二人に会ってもらえた。
 すでに野口先生を亡くして4年の歳月が過ぎていた。
 こんなことを思い出しながら、メモを書き込んだ付箋を本のページに貼りつけている。

 ふと、気付いた。実際の本はどのくらいの重さだろう。
「新書版だけに軽い」
 しかし12年の時が、本をズシリとした重さに変えてしまった、と。
「重さこそ存在」とはよく言ったものだ。
 本を掌に、過ぎた時の重さを実感している。
 今年、干支は一回りして同じ未年である。一年一昔。それ以上に速く昔になってしまう現代のこと。
 書き直したいところは随所にあるが、正直、無駄な時間は12年間を振り返って1秒たりともなかった、と安堵する私。

 第一章の物語の始まりに書き込んだ神田明神下「天野屋」さんを、久しぶりに訪ねてみたい。でも引用している本も読み直さねば……、と心ははやるが、殆どのページに貼られた付箋を眺めつつ、読み終わるまではおあづけ!と心に誓う。
 
 それでは、午後の稽古と読書のつづきに入りましょうぞ!
コメント
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