2015年も明日で10日。早くも中旬にさしかかってきました。
一昨年から始めた「野口三千三生誕百年」メモリアルの一環として、昨年からご紹介してきた刊行物が、すべて手元に届きました。といっても2冊ですが。
改めてご紹介します。
『Spectator』2014 SPECIAL ISSUE VOL.32 「ボディトリップ」『第三章 野口三千三の世界』
発行:有限会社 エディトリアル・デパートメント
発売:株式会社 幻冬舎
マンガで紹介「こうしてできた、野口体操」
野口体操の魅力とは何か? インタビュー 羽鳥操 写真 佐治嘉隆
ぼくの野口体操入門記 ボディ・トリップ「こころ」から「からだ」への旅 阿奈井文彦 他
115㌻から162㌻ 47㌻にわたって特集されています。
『大学体育』2014年12月 No.104 41巻2号
編集・発行:公益社団法人 全国大学体育連合 発行責任者 安西佑一郎
平成26年度大学体育指導者全国研修会 研修『からだとの対話ー「野口体操」を再考する 立教大学 羽鳥操 14㌻~23㌻ 10㌻の報告です。写真:佐治嘉隆
二つの真逆の刊行物を読んでいると、野口三千三・野口体操がもつ深さと広がりをつくづくと感じます。
『Spectator』は、カウンターカルチャー(1960年代~70年代にかけての文化を進化させている)誌で俗なる世界を垣間みることができます。
一方、『大学体育』は正課体育授業での内容や報告をしつつ、全国の体育指導者に最先端の教養体育を研究・発表・指導する研修会やシンポジウム報告する機関誌です。大学体育教育を率先し、先達としての役割をはたすものでもあります。こちらはアカデミズム、つまり無理に関連づければ「俗」に対して「聖」とでも言えるかもしれません。しかし、それも見方を変えれば、どちらが俗でどちらが聖だ、と決めることは出来ません。メービウスの環のように、表かと思うと裏であり、裏かと思うと表だったり、と。
期せずして2014年に、赤田祐一さんから受けたインタビュー記事、そして大学体育指導者研修会(60名ほど全国の大学から集まった指導者)に野口体操を伝えた報告が年末にまとまってくるというのは、野口先生の計らいを感じます。
野口のことば『私は「俗悪を楽しむ聖者」である』『おもさに貞く』春秋社版28㌻~
《私は、閉鎖的・逃避的、隠遁的・独善孤高的な生き方を好まない。満員電車の中も、衆人環視の中も、都会の雑踏も、俗悪な世間も、好きでも嫌いでもない。そのままが私の生きる場であるから大切なのである》
なんとも含蓄あることばです。
好きでも嫌いでもない。生きる場だから大切である、という発想は、ストレスのすくない生き方に通じるような気がします。
こうして活字としてまとめられることは、野口三千三・野口体操が日本に存在し、今でも継承されていることを明確に伝え残すことになる、とあらためて自覚することができました。
没後16年は、意味深い貴重な時間であったと思います。
どうぞ野口体操を大切に思ってくださる方々にはサポーターとして支えていただきたい、とこの場を借りておねがいいたします。
一昨年から始めた「野口三千三生誕百年」メモリアルの一環として、昨年からご紹介してきた刊行物が、すべて手元に届きました。といっても2冊ですが。
改めてご紹介します。
『Spectator』2014 SPECIAL ISSUE VOL.32 「ボディトリップ」『第三章 野口三千三の世界』
発行:有限会社 エディトリアル・デパートメント
発売:株式会社 幻冬舎
マンガで紹介「こうしてできた、野口体操」
野口体操の魅力とは何か? インタビュー 羽鳥操 写真 佐治嘉隆
ぼくの野口体操入門記 ボディ・トリップ「こころ」から「からだ」への旅 阿奈井文彦 他
115㌻から162㌻ 47㌻にわたって特集されています。
『大学体育』2014年12月 No.104 41巻2号
編集・発行:公益社団法人 全国大学体育連合 発行責任者 安西佑一郎
平成26年度大学体育指導者全国研修会 研修『からだとの対話ー「野口体操」を再考する 立教大学 羽鳥操 14㌻~23㌻ 10㌻の報告です。写真:佐治嘉隆
二つの真逆の刊行物を読んでいると、野口三千三・野口体操がもつ深さと広がりをつくづくと感じます。
『Spectator』は、カウンターカルチャー(1960年代~70年代にかけての文化を進化させている)誌で俗なる世界を垣間みることができます。
一方、『大学体育』は正課体育授業での内容や報告をしつつ、全国の体育指導者に最先端の教養体育を研究・発表・指導する研修会やシンポジウム報告する機関誌です。大学体育教育を率先し、先達としての役割をはたすものでもあります。こちらはアカデミズム、つまり無理に関連づければ「俗」に対して「聖」とでも言えるかもしれません。しかし、それも見方を変えれば、どちらが俗でどちらが聖だ、と決めることは出来ません。メービウスの環のように、表かと思うと裏であり、裏かと思うと表だったり、と。
期せずして2014年に、赤田祐一さんから受けたインタビュー記事、そして大学体育指導者研修会(60名ほど全国の大学から集まった指導者)に野口体操を伝えた報告が年末にまとまってくるというのは、野口先生の計らいを感じます。
野口のことば『私は「俗悪を楽しむ聖者」である』『おもさに貞く』春秋社版28㌻~
《私は、閉鎖的・逃避的、隠遁的・独善孤高的な生き方を好まない。満員電車の中も、衆人環視の中も、都会の雑踏も、俗悪な世間も、好きでも嫌いでもない。そのままが私の生きる場であるから大切なのである》
なんとも含蓄あることばです。
好きでも嫌いでもない。生きる場だから大切である、という発想は、ストレスのすくない生き方に通じるような気がします。
こうして活字としてまとめられることは、野口三千三・野口体操が日本に存在し、今でも継承されていることを明確に伝え残すことになる、とあらためて自覚することができました。
没後16年は、意味深い貴重な時間であったと思います。
どうぞ野口体操を大切に思ってくださる方々にはサポーターとして支えていただきたい、とこの場を借りておねがいいたします。