羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

「才能とは、興味を持つことのできる能力」野口三千三

2015年01月17日 12時20分24秒 | Weblog
 昨年のうちに、東京国立科学博物館で2月22日まで開催されている「ヒカリ展」を見に行った。
 お目当ては、鉱物の蛍光現象で、我がコレクションと比較したい気持ちが働いていた。
 その部屋を中心に、ずずずーっと、部屋をひとつひとつ見た最後に「第4章 はかる」で、セシウム原子時計を見た。見たと言っても、しっかり見たわけではない。
 この「セシウム原子時計」は、1秒の長さの定義と国際原子時計の校正に用いられ、誤差は3000万年に1秒程度(「デジタル大辞泉」より)。
 この3千万年に1秒の誤差は、人間の感覚を大きく逸脱した時間だ。親近感が湧くはずもなく、さぁーっと聞き流す様に、見流して、通り過ぎてしまった。

 ところがである。
 昨日、本日の朝日カルチャー「野口体操講座」の準備をしている時、このような文章に出会って、慌てて「ヒカリ展」の公式ブックを取り出してみた。
 このような文章とは、『重力からみる地球』に書かれていること。
[重力をどのように測るのか]についての記述だった。
「人類の文明は定量的な立場からみると、時計の精度とともに進化してきた。物理測定についてみると、その精度は原理的にその時代の時計の精度を上回ることはできないので、1桁から2桁回った精度で、時計の精度を追いかけるようにして進歩してきた」とあるではないか。
 ものすごく新鮮!
 人は時を測ることを、何時の時代にも、日常的な事柄から宇宙までを通して基準に置いてきたことを思い出す。
「時計か!」
「なるほど、時計だ!」
 はじめ世界最初の標準時は、地球の自転をもとに定められた、と教わった記憶が甦った。
 ちょっとしらべてみると、「太陽に対する自転周期は季節変動するが、その自転周期の年平均を1日とし、それを細分化して、時間を計測する単位である1秒の長さを決めている」
 フムフム。

 1秒の単位を測るのに、規則的に繰り返す現象を何にとるのかが、”時代の文明を決め”ているってわけだ。
 今では振り子時計を見ることは滅多になくなったが、特別な場所には立派な振り子時計が、玄関ホールなどに置かれていることも少なくない。
 その振り子の等時性(周期運動で、周期が振幅の大きさに無関係に一定であること)を発見したのは、ガリレオだと言われている。彼は教会の天井から下がっているランプの揺れを測った。その時に使用した時計は、ガリレオ自身の脈搏ー生物時計ーだった。
 正常なヒトの脈搏は10の-3乗くらいの精度だと言う。感覚的には十分に思えるが……。

 こうしてみると時計の歴史というのは実に面白い。
 生物時計から原子時計への道のりは、速かったと言えば言えるかも知れない。
 振り子の揺れを数える時計から、クォーツ(水晶)の振動を数える時計、もっと正確な時計としてつくられたのが「原子時計」ということになる。
「ヒカリ展」では、電磁波を使って時を測る。その代表として「セシウム原子時計」を展示している。
「セシウム時計」は、セシウム133を使っている。1秒の長さの定義と国際原子時の校正に使われているらしい。1967年国際度量衡総会においてセシウム原子時計を世界標準として採用することが決議された、とデジタル大辞泉にあった。

 自然と気にかかるのは日本の標準時のことだ。
 今まで、日本の標準時は明石市だと思っていた。つまり東経135度の明石市の真上に太陽が来たとき正午だと教えられた。
 ところが実際は小金井市にある通信総合研究所によって計測されているらしい。
 明石市は135度。小金井市は139・506172とある。では我が家は?当然知りたくなる。ここは139・650017だった。すると小金井市と杉並区の我が家の差は、143845となる。いったいこの差はなんだ、とクエスチョンマークがついてしまった。果たして感覚できるんだろうか。無理だ!
 
 ここまできて、はたと気づいた。私は何をしているのだろう?
 いやいや、レッスンの準備だった。
 力を抜いて振り子になる腕の実感を得よう、ということだった。
 そこで『重力からみる地球』を読み直したみたところこんなに面白い「時を測る」話にたどり着いてしまったわけだ。

 本日のレッスンのテーマ:
「おもさに貞く」を中心に「腕回し」「振り子」。
※野口体操では、『動きとは、中身の変化が、外側に現れたもの』と捉える。形が生まれるからだの内側に徹底的に着眼し、実感したことを基にして、動きの方法論を編み出している。
*動きのエネルギーはからだの重さ。重さが生きるには力を抜くこと。
*「腕回し」は、振り子の原理で、腕を回す。『振り子は円運動の一部』である。
*固定点の周りに一定の周期運動を行う物体。
*実際の人間のからだは、単振り子ではない。関節がいくつもつながった多重振り子である。
 
 ついつい横道にそれるのが楽しいのであります。
『才能とは、興味を持つことの出来る能力である』野口三千三
 この言葉を思い出し、ちょっと落ち着く我あり。ふふふふッ!
コメント
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