羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

レベルを落とさずつづけることの難しさ

2012年04月27日 09時10分59秒 | Weblog
 日曜日の夜になると「龍馬伝」を思い出し、月曜日の朝になると「カーネション」を思い出す。
 そのシリーズのなかでよいものを見ると、もっともっと超えた作品を見たくなる。
 一度、ある感覚がひらかれると次には新しい感覚の扉をひらいてほしくなる。
 その点、「相棒」は、相棒が変わっても今のところ、上手くいっている。
 何かの批評で読んだが、「水戸黄門は、黄門様が変わっても継続が可能だ。しかし相棒は、水谷豊でなければならい」
 そこを逆手に取って、相棒を替えていく。やるね!

 さて、そうしたことは他人事ではない。
 授業やレッスンで内容の質を落とさず、長年参加してくれる方々に、少しでも違う感覚をひらくことで、何時も同じ動きを新鮮に見直してもらう。その種を自分のなかに植えておくことが肝心だが、そこが継続できるか出来ないかの分水嶺となる。
 楽しみ?苦しみ?気苦労?いや、ピタッとはまった時は、快感をともなう楽しみ、である。

「使命感・悲壮感のない遺言としての授業」と自ら掲げた野口先生の晩年は、ある意味でお幸せだったに違いない。私たちはいい授業に出会うことができた。
 この授業、消えていくところに面白さがあった。毎回がスリリングだったのだ。

 いずれにしても、継続とは力なり。
 幸せな時も、楽しい時も、苦しい時も、困惑の時も、そのことにひたって続けていく、ただそれだけ!と得心した。
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