羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

思い、いろいろ……

2011年04月25日 19時52分14秒 | Weblog
 来週から授業が始まる。
 長い休みだった。しかし、モバイルレッスンは、Ustreamまで到達して、一応の区切りがついた。しかし、まだまだ奥が深い。多くの機能を使いきることなく宿題をもらっている。しかし、ここでひとまず休憩。
 それにしてもiPhone4は優れものだ。
 すっかりAppleに取り込まれてしまった。
 
 そんななか、昨日、選挙の投票に出かけた時、久しぶりに木々の緑や花々を目にして、季節は春から初夏に向かっていることに気づかされた。この一ヶ月半は何だったのだろう。これが夢であってくれたら、どんなにか救われること。
 しかし、自然災害の巨大地震・津波、人災の原発事故に心が痛む日々は現実なのだ。
 春の自然を愛でる余裕はなかった。
 今でも、これからも、無意識の緊張のなかにいるだろう。
 なんとなくあっちこっちの筋肉が、悲鳴をあげはじめているような気がする。それにつれて心が縮まってきているようにも感じる。
 今朝などは朝日新聞朝刊を読み進みながら、いたたまれなくなった。移るところがない牛たちの行く末で悲しみがこみ上げ、週刊紙の見出しに溜息をつき、さらにめくるともっと大きな週刊紙記事の衝撃的な文字が目に入って、暗澹たる雲に全身が包み込まれて、そこからしばらく立ち上がれなかった。
 選挙の翌日で、いくら記事がないからといって、これほど大きく週刊紙広告に紙面をさくのはあまりにも心ない、と怒りすら覚える。

 ただでも心の重心が落としどころを失っているのに、巨大な文字群には辟易させられた。言葉はやはり”ことだま”で、エネルギーを持っていることを痛感した。

 さて、最後の砦。
 今夜は丁寧に体操をして床につきたい、とおもっている。
コメント
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