羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

赤坂をどり

2011年04月11日 09時06分26秒 | Weblog
 桜の花がこれほど白かっただろうか。
 街で公園で目にする花を愛でつつ、ふと、そんな思いに駆られた。
 昨年までは、もっと薄紅をさしたようなほんのり感があったように思うのは、この震災後の陰鬱な気のせいだろうか。

 昨日、赤坂に出かけた。
 さすが坂の街だ。お目当ては坂を登りきったところにある「赤坂ACT(サカス)」である。そこで開催される「赤坂をどり」のチケットをいただいた。よい席で、綺麗どころの芸を堪能させてもらった。
 なんでもこの会は、私が生まれた昭和24年から始まり、平成9年までの長い間、歌舞伎座で行われていたことがプログラムに記されている。多い時には百名からの芸妓さんたちが出演したと聞く。
 
 斜陽とはいえ、現在でもその名残はむしろ健在である。
 赤坂花街に生きる女性たちが、しっかりと伝統芸能を守り、継承者としての誇りをもち、芸に精進しているお披露目の会がそれを証明していた。
 実は、あかつき会会主の杵屋栄美世さんが、地方として唄で賛助出演されていた縁で見させてもらえたのだった。

 特筆すべきは、花街ならではの趣向がこらされた演目、総おどりの「お女出多づくし」はさすがさすがの出来映えだったこと。
 プログラムによると常磐津・長唄・奏風楽・小唄にあわせて踊られている。芸者衆の格調高い艶やかさに、見ている者にとっても日常の垢がすっかり落とされた。江戸のリズム感。江戸の情緒。江戸の官能。花街の女性のもつしなやかな強さに裏打ちされた香りが漂って、客席を魅了していった。(ちっとやそっとで近づけないけどね、と溜息してたの)
 
 最後に、定かではないが赤坂をどり会長さんだろうか、総勢を前に挨拶し、三本締めで終えたときには、自粛せず開催してよかったと誰もが思ったにちがいない。
 こういう時だからこそ、それそれが「常を守り抜く」ことが大切なのだ、などと思いつつ、会場を出る。
 新しく整備された周辺に植えられている桜が満開だった。しかし、ここの桜はまだまだ若い。
 例えてみれば、邦楽の世界も同じ。
 高齢になって磨かれた芸が光るもの。その例にもれず、先ほど来、舞台でいちばんの花はかなりご高齢の芸妓の育子さん。そして相方の少しお若い香帆留さんのご両人だった。幹の太さ。根張りの強さ。古典芸能が知らしめる知恵は相当な深さを潜めるものと得心した。これは衆知のことかもしれないが、日本ならではの古木に咲く花と芸の卓越した美しさなのだ。
 
 そして、まだまだ若い栄美世さん、あなたの細腕にもかかってますね、とつぶやきながらTBSの威容なビルを背に、赤坂見附に向かう坂を下りかけた昼下がり。
 会場で記念販売されていた「赤坂をどり」の焼き印が押された塩野のどら焼きをお土産にして。
 心なしか、若木とはいえ、帰りの花には薄紅がさして見えたの。
コメント (2)
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