羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

グローバル映画「レオニー」誕生

2010年11月21日 08時20分53秒 | Weblog
 封きり初日、どうしても一回目を観ておきたかった。
 ひとり、ふたり、人気の少ない会場の座席に身を沈めた私は、iPhoneでバッハの平均律クラヴィーア曲集のプレリュードとフーガを、上映までの20分間に何曲聴いただろうか。
 こうして日常を断ち切って、映画を見る準備は整っていた。
 
 ところが、いざ、始まって、混乱に陥った。
 日本映画だ、と思っていた先入観がグラグラと崩れていく。
 はやいのか遅いのかはわからないが、30分過ぎたころ、はたと気づいた。
「グローバル映画だ!」
 叫びたい衝動に駆られた。
「ニューヨークで観たら、日本語の部分に英語の字幕が入るのね」
 うぅ~ん。素敵。
 それも字幕の量は、英語から日本語変換より、はるかに少なくてすむのよ。
 現代の映画界にやってきた黒船は、日本の一人の女性が船長だった。
 
 かつては杉村春子演じる「女の一生」が、演劇界で金字塔を建てた。
 そして、今、日本人女優からバトンを受け継いだロンドン生まれの女優エミリー・モーティマーが、現代版「女の一生」を銀幕で見事に演じた。
 すでに船は出港して、次なる港に向かう航路にのっている。たぶん。

 映画は、1800年代19世紀末から1900年代20世紀へ、日本が日清日露戦争で幻想とも言える国家の高揚感を抱いたままの時代を丁寧に描く。対極に米国が幻影のように描かれる。そのなかで一人の‘人間’が存在感を得るのだ。その人は‘女’であり‘芸術家’だった。そして、その主人公は、そのまま監督自身に重なる。
 Introductionにある言葉《100年前、ひとりで日本の地を踏み、天才を育てた女性がいた。彼女の名はレオニー》を、そのまま監督に差し上げたい。
 100年後、多くの人とともに米国の地を踏み、グローバル映画「レオニー」を生み出した女性がいた。彼女の名は松井久子。

コメント (4)
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