羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

言葉の言い換えと……

2010年11月23日 08時32分07秒 | Weblog
 ある日のこと。
 それは深夜の出来事だった。
 
 どうやら母が目を覚まし、動き出している気配を感じて、目が覚めた。
「どこにいるの。ご飯でしょ」
 声がする。
 仕方なく起きだし、母のそばに行った。
 見るとセーターやズボンを身につけている。
 ちょっと声が荒立った。
「まだ、夜中の一時半よ」
「何言ってるのよ。ご飯だって起こしたじゃないの」
 そうむくれている母に説明をして寝床に戻し、パジャマの上に着込んだ服を脱がせて寝かしつけた。年をとると関係が逆転することを実感した瞬間だった。

 で、私も床に入ったが目がさえて眠れない。 
 思い起こせば、寒くなった数日間、‘ご飯ですよ’と言って、母を起こしていた。きっと夢をみて寝ぼけたに違いない。けなげにも時間にちゃんと起きて朝食を一緒にとらなければいけない、と彼女なりに真面目に思っていたのだ、と気づいた。
 
 翌朝は、敢えて夜中の出来事には触れなかった。
 そして、その後は、隣の部屋の雨戸をあける音で目覚めを促し「おはよう、部屋はあったまったわよ」と、声をかけるようにした。間違ってもバタバタと‘ご飯よ、起きて’とは言わないことにしたのだ。
 大成功。
 床から身を起こして、ささっと身支度をすませ、部屋をざっと片付けて、起きて来るようになった。結構、ご機嫌がいい。
 で、最近ずっとやっているように、居間のソファにまず腰掛けた頃合をみて、温かいお絞りを母に手渡す。
「ありがとう」
 滅多に言う人ではないのに、芯から嬉しそうに必ずその言葉を返してくる。
 
 そこで気づいた。朝の「おはよう」と「ありがとう」を、大きな声にして年寄り自身が言うことが、自らの心を安定させることになる、と。

 人は幾つになっても孤独がいちばんからだに毒だなぁ~。
 もうしばらくこのくらいの状態を維持してもらいたい。
 お年寄りとの同居は、一工夫の積み重ねだ。
 上手くいくことといかないことがある。そのあたりは適当にお許しいただこう。いい加減がいいんだよ、って誰かが言っていた。
 
 教訓。
「もつべきものはよき娘なり」
 あぁ~、私はによき娘がいない。どうしよう。
 でも、まぁ、その時はその時、と思える今は少し余裕かな!
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