羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

喜劇鑑賞……そして龍馬伝

2010年11月16日 11時05分34秒 | Weblog
 今年も明治大学文化プロジェクト公演をみた。
 出し物はシェイクスピアの「夏の夜の夢」だった。
 先日の日曜日、昼時の電車はとても空いていて、耳にiPhoneのヘッドホーンを差し込んで、バッハの平均律クラヴィーア曲集チェンバロ演奏を聴きながら、御茶ノ水のアカデミーホールまで出かけていった。
 なぜか、この日は往復ともに音楽を聞き続けたかった。
 日常から脱して、非日常の一日を遊びたかったのだ。

 さて、今回も、学生たちが作り出した舞台は、非常によく練り上げられていた。
 終始、笑いが止まらなかった。みんなよくやったね!
 練習の途中はもの凄く辛いらしい。授業に出席しながら夜までの稽古だ。学生によっては日付が変わってようやく家路にたどり着き、翌朝は一限(9時)から授業に出る毎日を繰り返すことになる。

 若いということはそれをこなして、本番を迎える。
 彼らが醸しだす高揚感は、羨ましい限りである。
 どのレベルで批評をするかだが、今年も褒めてあげたい。

 悲劇より喜劇の方がはるかに難しい。白けさせずに笑いをとる。ここに関しては相当に成功している。舞台を縦横に動き回る男女は、プロだったらあそこまではやらないかも?と思わせる‘からだを張った’動きとダンスだ。
 ひとこと。照明にもうすこし積極的な語彙で語らせてもよかったかな~。

 いずれにしても‘風刺’がもっときくには、年齢の問題がかかわってくるだろう。それは望むところが無理と言うものだ。
 しかし、シェイクスピアは、異文化であり時代も離れた若者解釈にも耐え、人間の本質を際立たせる力を持った戯曲を書いたことだけは伝わった。
 そして‘ことば’‘コトバ’‘言葉’‘詞’が、戯曲の屋台骨をしっかり支えていることがあって、極まった馬鹿馬鹿しさから、人間の本性を浮き彫りにできることがわかる。

 帰りは三大テノールが奏でるオペラアリアを聴きながら自宅の木戸をあけた。
 良質の笑いは、人を幸せにしてくれる。
 学生たちもよくやるけれど、大学も自由によくやらせてくれた、と今年もおもったのだった。漲るものがある場に身を置ける幸せ感も手伝っての満足かもしれない。
 どれか一つが欠けても成就しない。全てが関係のなかで生き、生かされているのである。

 夜は「龍馬伝」を見た。山内容堂・後藤象二郎・坂本龍馬、三者の思いに武市半平太が絡んで息を呑む転回。歴史が史実が如何様であろうと、人間のドラマ、変革のドラマとして終盤の見せ所を堪能した。ふーっ。。。。
 二本立ての映画をじっくり見たような日曜日だった。
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