昨日送られてきた春秋社の月刊PR誌『春秋』2010年4月号、「編集後記」にツイッターの話が載っていた。
なんでも、「出版社のツイッター活用を考える」というワークショップに、春秋社の編集者が出席したそうだ。すでに四つの版元が活用しているらしい。
で、懸命につくった本を「どう読者に知ってもらうか、ぜひ届けたい」という気持ちからツイッターに参入する印象が深かった、とサイン名(ゆ)の方が書かれていた。
出版社を支えている読者とダイレクトに交流し、情報を届け、生の声を聞くことが可能なメディアとしてツイッターを捉えてみたい、という思いが伝わってきた。
その一方で、硬派の内容を保っている『春秋』(あるいは『図書』岩波書店)は、じっくり考えるものとして存在意義がある。フリーで使えるメディアは、大出版社よりも中小の版元にこそ生き残りを約束するツールかもしれない。人との密な関係を即刻得られるからだ。当然の成り行きと捉えている。
読者としては、Web上で文章を読むことと、マーカーや付箋を手に持って冊子なり本を手にとって読む行為とでは読書の質が違う。思考の質が異なることを頓に実感している。
どれも貴重なメディアとなった。そのなかでツイッターは、使い勝手がかなりよい、と感じるのは錯覚に過ぎないのだろうか。
なんでも、「出版社のツイッター活用を考える」というワークショップに、春秋社の編集者が出席したそうだ。すでに四つの版元が活用しているらしい。
で、懸命につくった本を「どう読者に知ってもらうか、ぜひ届けたい」という気持ちからツイッターに参入する印象が深かった、とサイン名(ゆ)の方が書かれていた。
出版社を支えている読者とダイレクトに交流し、情報を届け、生の声を聞くことが可能なメディアとしてツイッターを捉えてみたい、という思いが伝わってきた。
その一方で、硬派の内容を保っている『春秋』(あるいは『図書』岩波書店)は、じっくり考えるものとして存在意義がある。フリーで使えるメディアは、大出版社よりも中小の版元にこそ生き残りを約束するツールかもしれない。人との密な関係を即刻得られるからだ。当然の成り行きと捉えている。
読者としては、Web上で文章を読むことと、マーカーや付箋を手に持って冊子なり本を手にとって読む行為とでは読書の質が違う。思考の質が異なることを頓に実感している。
どれも貴重なメディアとなった。そのなかでツイッターは、使い勝手がかなりよい、と感じるのは錯覚に過ぎないのだろうか。