羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

大事に使い、愛情をもって手入れをすること

2009年08月25日 18時45分12秒 | Weblog
 一時ほどではないが、毎日少しずつ蔵の片づけを続けている。
 箱一つ、棚一箇所だけでも手をつけておくと、十日たつとそれなりに片付いてくる。
 
 そんな折、東京藝大の地下倉庫から、一台のピアノが発見された話を読んだ。
 明治十四年に「小学校唱歌」が編纂されたことに関連して、ドレミファの十二音平均律音階を身につけさせるために、音楽教師メーソンが米国から輸入したピアノだと言う。
 何でも当時の子供たちは、日本の伝統音階にはない音、つまり‘ファ’と‘シ’の音程を取ることができなかったからだ。
 
 発見されたピアノを調律師の皆さんが五年かけて修復を終え、今月末開く「祝ピアノ300年」展示会でピアノを公開するらしい。場所は池袋のデパート。
 メンバーのなかでも長老の調律師・日比野四郎さんは、こんなことをいってらっしゃる。
「どれほど立派な楽器でも、手入れせずに放っておけば、病気になり死んでしまう」
 ピアノは人間の組織に似ている。疲れ果てた古楽器でも愛情を注ぐのが調律師の役目だ、と。(日経新聞朝刊、8月23日(日)‘春秋’より)
 まったく同感である。
 
 楽器でなくても、連日の片づけで同じようなことを感じていた。
 住まいはからだだ。日々の手入れはすごく大事。
 道具もからだだ。丁寧に使って手入れをすることが大事だ。
 余分なものを溜め込まないことも肝要。
 なにより愛情が大切。
 繰り返すが、‘道具’も‘住宅’も、楽器と同じでちゃんと使って、愛情をそそいで手入れをする、それに尽きる。
 もちろん‘からだ’もだ。
 いや、むしろ順番は逆で、からだがすべての出発点だ。
コメント (4)
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