羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

生と死、そして、猫の健康診断

2009年08月27日 09時13分47秒 | Weblog
 やっぱり猫は、人に飼われた方が、幸せなのではないだろうか、と思ったりもする。
 だって、野良猫の女王のような母猫が病気になって、いつしか行方知らずになった話を昨日のブログに書いたが、あのプライドが悲しい結果を招いた一因ではないかと思うからだ。
 いやいや、それが野生と言うもの、と納得させてみたりして、揺れ動く。
 この地域に残った子猫たちは、すっかり飼い猫と一緒だ。
 それにしても不思議なのは、雄猫しか残っていないという事実である。
『雨天炎天』で村上氏がギリシャ・アトスの猫のことを書いている。犬に比べて雌雄の判別が難しい、と。ギリシャの猫も日本の猫も、同様なのだ。
 
 ところで住民は、これ以上野良猫の子猫が増えないことに胸を撫で下ろしている。
 そして、何人かは、その事実を悲しんでもいる。
 猫が地域にいてもそれほど害は無い。
 最近の野良猫は鼠をとってくれないかも知れないが、でも長い間の習性はDNAに刻まれていてきっと忘れまい、と内心期待している。
 生まれた猫、全部が全部、ここに残るわけではない。
 目の開かないうちにカラスにさらわれるものもいる。
 いつの間にかもらわれていくものもいる。
 トボトボ歩いて、何処かへ行ってしまうものもいる。
 残る方が少ないことを、これまでの生態観察で皆が知っている。
 
 残った猫には、通りがかりの人までも癒す力もある。 ほとんどの人が携帯カメラをむけている。
 ただし、住民として困るのは、糞害である。
 我が家も例外ではない。そこでたて看板をかけた。
《猫の君たちに告ぐ! 砂利の上には絶対に落し物はしないでほしい。当方としてはそのために柔らかな土を残してあるのだから》なんちゃって。

 土の上の落し物は、土をかければそれですむ。
 砂利は大変困る、ということをこのブログにも書いた。
 最近ではどの猫の落し物か、かなりの確率で判別がつくようになった。
 いつもゆるすぎるのいちばん若い猫なのだ、とか……????。
 よい形の時には、元気なんだ!、とちょっと嬉しかったり。
 ビミョウな心理が働く。

 生きものは食べて排泄して、覚醒と睡眠を繰り返し、人に愛され、時に嫌われ、次に子孫を残し、死んでいくもの。
 そう考えると、いなくなった女王猫さんも、命を全うしたのかもしれないと考えたい。
 たとえ早すぎる別れであっても、それが天命というものと……。
 
 野生は野生のまま、野生のおきての中で生きていくのが正道だが、ここまで人間がかかわると、考えなければなるまい。

 今朝は、盆栽のための汲み置き水を飲んで、裏に回って土の上に落し物をしていったのは、きっとあの黒猫に違いない。いい形であたった。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする