片づけをしていて感じることがある。
それは運搬に使われる入れ物が時代によって変化することだ。
たとえば、‘行李’。
若い方は、映画や芝居では目にしたことがあっても、実際には見たことはないかも知れない。
材料は竹や柳。それを人間の手で編んでいく。
形は直方体。
用途は、衣類などを詰めて運搬につかったり、押入れのなかにしまっておいたりする保管用。
湿気の多いわが風土には、密閉されないだけにカビが出にくいはずだ。
我が家の片付けで厄介なのは、この行李に詰め込まれているものを捨てることなのだ。
何が入っているのかというと、着古した浴衣や使い古したシーツの類が入っている。
これは災害時や、襁褓(むつき)つまりおむつが必要になったときのために母がとってあるもの。片付けているそばに立って「捨ててはいけない」とのたまう。
次に‘茶箱’。
これはご存知の方も多かろう。
仙台だったか、東北地方のある商店街の催しもので、お茶屋さんが大中小の茶箱に商品を入れて‘福袋’ならぬ‘福茶箱’を、一年に一回、確か暮れに売り出したようなニュースをおぼろげに記憶している。
茶箱は深さがあるし、こちらは埃が入りにくいので、我が家では使わない食器や菓子鉢などが入っているようだ。
これも運搬には丈夫で湿気を避ける意味からも重宝に使われていた。
その次に控えているのは、りんご箱やミカン箱。
これはしっかりした木製の木箱である。
戦後になってからも長い期間にわたって、ものを保管したり運んだりするのに重宝された。
もう一つの使われ方は、子供の勉強机代わりにもなっていた。
ほかに小さなものとしてはお贈答用の木箱である。
これらはいろいろな大きさや形がある。浅いものから深いものまで、蓋もいろいろなのである。最近ではごく特別な贈り物以外にはあまり使われなくなったが、それでもしっかりと文化として根付いている。
同じ贈答用の紙製化粧箱もある。
あとはダンボールの箱である。
初期のものはガッチリとホッチキスや大き目の尾錠で止められていて壊すのは一苦労である。指が痛くなって困るのだ。
最近のものは、潰して保管できるように考えてあるものが多い。
いちだんと軽いが、しかし丈夫である。
梱包して安全にものを運ぶ技術は格段によくなっている。
さて、今回の片づけで思うこと。
それは贈り物に過剰包装こそ少なくなったが、それでも勿体なくて捨てられない箱や包装紙や紙袋が取ってあることへ微妙な心理の動きである。
心を伝えるものとしての贈答品は、箱のデザインを無視できないし、多少の過剰包装になるのもやむを得ない感もある。
「むき出しで物やお金を渡すものではありません」
そう教えられ育った習慣を捨てられないのが正直なところだ。
他家への訪問では、お土産は紙袋ではなく‘風呂敷包み’を使用する。
日本では袱紗の習慣だってあるのだ。
四季折々、お祝い事か不祝儀か、あるいはその他の手土産か。
伺う内容によって携える風呂敷の柄や材質も異なるのが日本文化だ、といえるのだが……。
人が‘物を運ぶ’という行為には、さまざまなレベルで、さまざまな目的で、時代の変遷のなかで少しずつの変化が、あるとき大きな変化を遂げていることに気づかされた。
もう一度挙げてみよう。
行李、茶箱、木箱、化粧箱、古いダンボール、新しいダンボール、石油から作られ積み上げることができる透明で丈夫な箱。
そしてそれらを包む包装紙や紙袋、加えて木綿の風呂敷に絹の風呂敷。
さまざまな緩衝材。
包むときに欠かせなかった‘紐類’は、麻紐・紙の紐・紙縒り(こより)紐・布製紐、ビニール紐等々。
我が家の片づけからは、未だ‘お宝’と呼べるような物は一つとして出てこないが、大正から引継がれた昭和が‘ここに在る’実感を得ている。
「これが、暮らしってものなのよね」
そうこうしているうちに、少しずつ目の前が明るくなって先が見えてきたことに嬉しくなっているワタシの夏休みもそろそろ終盤だ。
それは運搬に使われる入れ物が時代によって変化することだ。
たとえば、‘行李’。
若い方は、映画や芝居では目にしたことがあっても、実際には見たことはないかも知れない。
材料は竹や柳。それを人間の手で編んでいく。
形は直方体。
用途は、衣類などを詰めて運搬につかったり、押入れのなかにしまっておいたりする保管用。
湿気の多いわが風土には、密閉されないだけにカビが出にくいはずだ。
我が家の片付けで厄介なのは、この行李に詰め込まれているものを捨てることなのだ。
何が入っているのかというと、着古した浴衣や使い古したシーツの類が入っている。
これは災害時や、襁褓(むつき)つまりおむつが必要になったときのために母がとってあるもの。片付けているそばに立って「捨ててはいけない」とのたまう。
次に‘茶箱’。
これはご存知の方も多かろう。
仙台だったか、東北地方のある商店街の催しもので、お茶屋さんが大中小の茶箱に商品を入れて‘福袋’ならぬ‘福茶箱’を、一年に一回、確か暮れに売り出したようなニュースをおぼろげに記憶している。
茶箱は深さがあるし、こちらは埃が入りにくいので、我が家では使わない食器や菓子鉢などが入っているようだ。
これも運搬には丈夫で湿気を避ける意味からも重宝に使われていた。
その次に控えているのは、りんご箱やミカン箱。
これはしっかりした木製の木箱である。
戦後になってからも長い期間にわたって、ものを保管したり運んだりするのに重宝された。
もう一つの使われ方は、子供の勉強机代わりにもなっていた。
ほかに小さなものとしてはお贈答用の木箱である。
これらはいろいろな大きさや形がある。浅いものから深いものまで、蓋もいろいろなのである。最近ではごく特別な贈り物以外にはあまり使われなくなったが、それでもしっかりと文化として根付いている。
同じ贈答用の紙製化粧箱もある。
あとはダンボールの箱である。
初期のものはガッチリとホッチキスや大き目の尾錠で止められていて壊すのは一苦労である。指が痛くなって困るのだ。
最近のものは、潰して保管できるように考えてあるものが多い。
いちだんと軽いが、しかし丈夫である。
梱包して安全にものを運ぶ技術は格段によくなっている。
さて、今回の片づけで思うこと。
それは贈り物に過剰包装こそ少なくなったが、それでも勿体なくて捨てられない箱や包装紙や紙袋が取ってあることへ微妙な心理の動きである。
心を伝えるものとしての贈答品は、箱のデザインを無視できないし、多少の過剰包装になるのもやむを得ない感もある。
「むき出しで物やお金を渡すものではありません」
そう教えられ育った習慣を捨てられないのが正直なところだ。
他家への訪問では、お土産は紙袋ではなく‘風呂敷包み’を使用する。
日本では袱紗の習慣だってあるのだ。
四季折々、お祝い事か不祝儀か、あるいはその他の手土産か。
伺う内容によって携える風呂敷の柄や材質も異なるのが日本文化だ、といえるのだが……。
人が‘物を運ぶ’という行為には、さまざまなレベルで、さまざまな目的で、時代の変遷のなかで少しずつの変化が、あるとき大きな変化を遂げていることに気づかされた。
もう一度挙げてみよう。
行李、茶箱、木箱、化粧箱、古いダンボール、新しいダンボール、石油から作られ積み上げることができる透明で丈夫な箱。
そしてそれらを包む包装紙や紙袋、加えて木綿の風呂敷に絹の風呂敷。
さまざまな緩衝材。
包むときに欠かせなかった‘紐類’は、麻紐・紙の紐・紙縒り(こより)紐・布製紐、ビニール紐等々。
我が家の片づけからは、未だ‘お宝’と呼べるような物は一つとして出てこないが、大正から引継がれた昭和が‘ここに在る’実感を得ている。
「これが、暮らしってものなのよね」
そうこうしているうちに、少しずつ目の前が明るくなって先が見えてきたことに嬉しくなっているワタシの夏休みもそろそろ終盤だ。