今朝は四時半を少し回った頃に目が覚めて、着替えをすませ階下におりたのは、それから五・六分くらいたっていただろうか。
締めっきりの部屋でも蒸し暑さは感じなかったので、すぐに窓を開けることはしなかった。
すでに朝刊はポストに入っていることを、先ほどバイクのモーター音と投げ入れられたときの‘コトッ’という音で確認していた。
しかし、なぜか新聞を読む気になれなかった私は、そのまま畳の上にごろんと横になった。
気がつくと畳の目に、からだのあつさが吸い取られていくのが感じられた。
「おー、気持ちいい」
ひんやりした畳表の触感に浸っていると、力が抜けた掌は上向きになっている。指は自然に丸まってくるのに時間はかからない。硬く握られるのとは違う。その柔らかな手から、からだの内側にゆるりと忍び寄る神様がいるような錯覚を得る。
顎は少しだけ上向き。突発性難聴を患ったとき、ペインクリニックで‘星状神経節ブロック治療’のため首に麻酔薬を打ち込むときの位置に保っていることに気づく。
口は軽く開かれている。
舌の力も抜けて、咽喉の方へと流れ出す。
一転、悪戯に舌先に力を入れて上唇をつついてみる。おもむろに上下の唇を唾液で濡らす。
それからまた舌先を緩めて、先ほどの位置におさめてしまう。
目はかるく閉じられている。
呼吸は静かにゆっくり吐き続ける。
畳の目がより鮮明に感じられるのは錯覚に過ぎないのだろうか、と自問してみる。
六十兆の細胞から、夏の体温が畳に吸い込まれていく心地よさのなかで耳を澄ます。
静かだ。
まだ蝉は鳴き始めていない。
静かだ。
いつの間にか、四尺五寸幅の窓の内側にある障子を通して、朝の光が柔らかく差し込む。
風はない。
湿度は昨日よりも低そうだ。
光につられて起き上がる。
玄関の鍵をすべて開け、新聞を取りに行く。
目を文字に落とす。
《8月15日土曜日 家賃滞納を一括管理 保証業界 ブラックリストに 家探し難しくなる恐れ》
朝日新聞一面トップの文字に、さっきまでの快感が吹っ飛んでしまった。
「私たちの生きている現実の世界って容赦のないものなのよ」
宮本輝の『骸骨ビルの庭』の一説が、記事の文字に重なった。
「あー、畳の目が、危うくワタシにとっての‘リトル・ピープル’になりそうだった」
八月十五日の朝は、こうして明けた。
締めっきりの部屋でも蒸し暑さは感じなかったので、すぐに窓を開けることはしなかった。
すでに朝刊はポストに入っていることを、先ほどバイクのモーター音と投げ入れられたときの‘コトッ’という音で確認していた。
しかし、なぜか新聞を読む気になれなかった私は、そのまま畳の上にごろんと横になった。
気がつくと畳の目に、からだのあつさが吸い取られていくのが感じられた。
「おー、気持ちいい」
ひんやりした畳表の触感に浸っていると、力が抜けた掌は上向きになっている。指は自然に丸まってくるのに時間はかからない。硬く握られるのとは違う。その柔らかな手から、からだの内側にゆるりと忍び寄る神様がいるような錯覚を得る。
顎は少しだけ上向き。突発性難聴を患ったとき、ペインクリニックで‘星状神経節ブロック治療’のため首に麻酔薬を打ち込むときの位置に保っていることに気づく。
口は軽く開かれている。
舌の力も抜けて、咽喉の方へと流れ出す。
一転、悪戯に舌先に力を入れて上唇をつついてみる。おもむろに上下の唇を唾液で濡らす。
それからまた舌先を緩めて、先ほどの位置におさめてしまう。
目はかるく閉じられている。
呼吸は静かにゆっくり吐き続ける。
畳の目がより鮮明に感じられるのは錯覚に過ぎないのだろうか、と自問してみる。
六十兆の細胞から、夏の体温が畳に吸い込まれていく心地よさのなかで耳を澄ます。
静かだ。
まだ蝉は鳴き始めていない。
静かだ。
いつの間にか、四尺五寸幅の窓の内側にある障子を通して、朝の光が柔らかく差し込む。
風はない。
湿度は昨日よりも低そうだ。
光につられて起き上がる。
玄関の鍵をすべて開け、新聞を取りに行く。
目を文字に落とす。
《8月15日土曜日 家賃滞納を一括管理 保証業界 ブラックリストに 家探し難しくなる恐れ》
朝日新聞一面トップの文字に、さっきまでの快感が吹っ飛んでしまった。
「私たちの生きている現実の世界って容赦のないものなのよ」
宮本輝の『骸骨ビルの庭』の一説が、記事の文字に重なった。
「あー、畳の目が、危うくワタシにとっての‘リトル・ピープル’になりそうだった」
八月十五日の朝は、こうして明けた。