泰澄大師創建の「越智山大谷寺」大谷はおおたんと称する。
本来は大丹の字があてられていたようで、この地は丹(に:水銀)が産出したようだ。
赤色塗料により莫大な財産を得た泰澄大師の父親は、不動明王を本地仏とする三所大権現を祀る寺を開山。
最盛期は堂塔一千有余の大伽藍を形成していたと云う。
廃仏毀釈の嵐に翻弄され現在の本堂は、庫裏の一部を本堂に充てている。
神仏習合の名残を残す「越智山大権現の額」、本堂の掲げられている。
近年再建された?「泰澄大師を祀る大師堂」。
この地で入寂された泰澄大師の御廟、九重塔は国重文である。
白山信仰を全国的に広めた祖:泰澄大師の廟所としては見る影もない。
越前の一私度僧であった事に起因しているのかもしれない。