広島大学M名誉教授の滑らかな解説は、国重文の伏見櫓に移った。
正面7間、側面4.5間の三重櫓は、地方大名の城なら天守に相当する規模だという。
更に二重の入母屋造りの上に、90度捻った三重を配した櫓は福山城伏見櫓が国内唯一だと…
伏見櫓の名が表わす通り、この櫓は豊臣伏見城から移築されたもので間違いないと断言された。
今回は櫓の見学は出来なかったが、内部の梁に「伏見城松の丸東櫓」の文字が残されているのがその証明。
続いて右から2番目の柱が、他の柱と比べて異様に太い理由が語られた。
この柱だけ太いことに何の意味もないと説明された後、実はこの柱だけが太いだけでなく高級材である。間違いなく伏見城の遺構からここに移された証拠と言われた。
二・三重は漆喰で柱が塗りこめられているが、一重は柱が剥き出しとなっている。
幅7間もの壮大な櫓であることを誇示したものか?
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