わが国最初であり、東アジアでも最初の女帝と言われる推古天皇陵へ向かいました。
多くの御陵が近接する大阪府南河内郡太子町一帯も、野生動物の出没に悩まれているようです。
名所旧跡をアピールするつもりなのでしょうが、道案内になっている訳でもなく、荒れた野生動物除けの網と、放置された空き缶が目立つだけで、残念なことに管理の悪さだけが目立っています。
地図上から推定すると推古天皇陵と思しき森が迫ってきました。
これまで巡ってきた御陵ではあまり目にしなかった?竹が繁茂しています。
目立たない場所に設置された案内標識を確認出来ました。
歩き主体での参拝者にとっては、本当に強い味方の道案内です。
推古天皇陵前に広がる景色です。
ダメ押しの看板が確認出来ました。
車での来訪者用でしょうか。
陵墓の一端が切り取られたような感じで参道が作られていました。
ぐるっと廻り込んで陵墓の正面に出ました。
第33代推古天皇、第30代敏達天皇の皇后でもあります。
30年を超える在位期間ですが、摂政であった聖徳太子の功績があまりにも有名で、天皇の事績が語られないこともありました。
しかし、在位10年と短命だった30代敏達天皇、2年で崩御した31代用明天皇、さらに32代崇峻天皇は蘇我氏に暗殺されるなど、激動の時代を引き継がれて立派な飛鳥文化を残されました。
三段式の方墳であるとされていますが、外部から形状を確認することは叶いません。
陵墓の周囲に、俗っぽい樹木が植えられているも違和感があります。
わが国最初の女性である推古天皇の御陵印です。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます