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近頃朝の楽しみが増えた。朝起きるとまず日経新聞の裏面の「私の履歴書」を見るようになった。このシリーズは昭和31年に始まったそうだ。小生の生まれる1年前。長嶋が巨人に入る二年前である。もう50年の歴史を持つ。
最近は小生の知らない人が登場してきていたのであまり感心を持っていなかったが、7月1日の新聞をみてビックリ。「長嶋茂雄」だ。いうまでも無く日本スポーツ界の最大級のヒーローだ。彼の現役時代を見たことのある世代で、彼を悪く言う人はいないのではないか。それほど素晴らしい野球選手であった。小生ももちろん、彼にあこがれて野球を始めた。
7月4日の記事では「県営大宮球場」が登場。11月に完成する大宮アルディージャの「聖地」とは背中合わせの位置にある。この球場も歴史は古い。完成は1934年(昭和9年)4月。その年の11月29日には「第2回日米大野球戦」第17戦が開催された。全米チームはベーブ・ルース、ルー・ゲーリッグという伝説上の選手が出場。全日本も後に巨人に入団するヴィクトル・スタルヒンが8回から2イニングを投げ、これが自身のプロデビュー戦となった。
こんな歴史で始まった球場であるが、我らがヒーロー長嶋茂雄を世に知らしめたのもこの球場で放った特大ホームランからである。新聞の見出しに
『ライナーで130メートル飛ぶ 「サード長嶋」世に出る瞬間』
とある通りである。
以下はWikipediaから。
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1953年8月1日、当時千葉県立佐倉第一高等学校(現千葉県立佐倉高等学校)の3年だった長嶋茂雄は、大宮公園野球場で行われた全国高等学校野球選手権の南関東大会1回戦・対熊谷高校戦に「4番・遊撃手」で先発出場した(だが先発の三塁手が試合前に足を捻挫したため、1回裏の守備から三塁に回った)。この試合の6回、長嶋は熊谷高校の投手・福島郁夫から中堅バックスクリーンに飛び込む本塁打を放った。長嶋が高校時代に放った本塁打はこの1本のみだった。試合は4-1で熊谷高校が勝利。佐倉一高は甲子園行きを逃したものの、長嶋はこの一打で中央球界の注目を集めることとなった。
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この試合で注目された長嶋はプロからの誘いもあったが、立教大学に進む。
県営大宮球場では小生も高校時代にプレイしたことがある。当時は投手で三番。ベーブルースやゲーリック、長嶋と同じバッターボックスに立ち、スタルヒンと同じマウンドを踏んだことになる。
今日はこれが言いたかったのだ。
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