日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

ホームページ(中国語版)が完成しました

2008-09-17 07:52:26 | 日本語の授業
 ホームページの「中国語」版ができあがりました。

 あっという間でした。連絡があって、見ると、「中国語」版が、当然のことながら、中国語で拡がっていました。しかも、我々には出来ないような気配りを添えて。

 その上、ここには、「日本語」版にはない「前文」が書かれてあります。「天山来客」さんからの、いわゆる「『日本語を学ぼうとする人』へのメッセージ」です。その中には、彼の「日本への思い」と同時に、「彼自身の、日本語との間で築かれた『歴史』」というものも含まれ、職場で机を並べていた時のことを思い出さずにはいられませんでした。

 どういういきさつで日本語を専門にするようになったのかは、私にも分かりません。ただ、「日本語は向かないよ。どうしてフランス語を選ばなかったの」と無礼なことを言った覚えがあるだけです。

 知り合った時から、学究肌の人でした。飲み込みも早く、根本から考えようとする。その上、実務にも長けている。ただ、難は、心が柔らかすぎること。まじめすぎること。弱いもの、傷ついている者に対する同情心が強すぎること。

 これでは、中国の機構の中では大変です。重宝がられ、面倒な仕事を押しつけられこそすれ、大切にされるということはないでしょう。バックもないことですし。適当に使い回され、ポイとされるのがオチではないのかと思ったのです。誠実な人、職人肌の人は、損をします。

 あの頃、どうして大学院に残らなかったのかと尋ねたことがあります。もちろん、愚かな質問でした。解ってはいたのですが、しかしながら、そう質問せざるを得なかったのです。いつまで経っても子供のナイーヴさを持ち続け、しかも聡明であれば、ああいう、ある意味では完全に「ある価値観の下で完成された社会」では、大事にされるということは、ありえないことですから。

 「いい仕事をしたい。勉強をしたい」という、「自分の仕事にプライドを持ちたい。また、持っている」という、ただそれだけの、馬鹿まじめな人間よりも、上司と一緒に食事をしながら、お愛想を振りまいたり、空港への送り迎えを嫌がらずにやる方が、大事にされるのは当然でしょう(そういう人は、得てして、仕事が出来ません。その人にとっても、その方が楽なのです。その間、大手を振って仕事を休めますから)

 いい仕事ができる人、また、そうしたい人は、できれば、そんなことに時間を割かれたくないというのが本音でしょう。けれど、それを表情に出してしまえば、それは、煙ったがられますね。

 それで、ついつい、聞いてしまったのです。どうして大学に残らなかったのかと。どうして会社なんぞに入ってしまったのかと。大学なら研究に没頭できるし、それさえしていればいいのだからと。

 大学でなら、象牙の塔で保護されていますから、こういうタイプの人でも、それなりに生きることが出来るのではないかと考えたのですが、これも日本的な考え方でした。中国社会がそうではないということが、いくら解っていても、年を取ってから中国語を学んだもので、すぐに日本社会が頭に浮かんで来て、そこからこういう事を言ってしまうのです。

 日本の社会だって、大学機構だって、それほどバラ色というわけではありませんが、彼のようなタイプは、日本の大学院の方が向いています。日本社会は、ああいう学究肌、職人肌の人に「甘い」のです。つまり、あいつは変わっている。しかし、仕事は出来る。つまり、変わり者だと言うことで、一切を「免除」されてしまうのです。一度こういう「お墨付き」がついてしまうと、はっきり言えば、後は「やり放題」です。何てったって、「お墨付き」があるんですから。天下公認の「研究一途」さんになるというわけです。

 不思議なことですが、こういう便利な(温情の)習慣が、江戸の昔から日本にはありました。もちろん、他者と異なる特異な才能がなければ、ただの変わり者なのですが、それさえあれば、「特別な変わり者」ということで、心の赴くままにさせてくれるのです。

 彼と机を並べている頃には、「もう少し上手になったら、俳句をやるように勧めてみよう」と考えていました。けれども、一緒に仕事をしているうちに、なんだか、そうでもないような気がしてきたのです。

 理知的な面では、確かに俳句が似合っています。特に芭蕉に時折見られる、漢文調の鋭い句など、少し勉強したら、それなりに言葉の流れをものに出来るのではないのかと思われたのです。が、どこかいつも泣きべそをかいているような、柔らかな「心の表情」が、芭蕉などの俳人によく見られる「強靱さ」を裏切っていたのです。

 専門が違えば、普段はそんなことを考えもしません。しかし、当時机を並べていたもう一人の女性にも、別のことでしたが、同じようなことを考えました。(彼女も第二外国語大学の日本語科を出ています)

 彼女は、「俳句」とか「短歌」とか、或いは「川柳」や「狂歌」といったものではなく、「日本の詩」が向いているような気がしたのです。しかも、「赤い鳥」調の童謡めいたものが、です。

 詩を読むリズムというか、それを捉えるために、当時、よく一緒に「立原道造」の詩を音読しました。詩というもののすばらしさは、文字ではなく、「音」として独立できるところにあります。短歌や俳句はそうはいきません。ひらがなや漢字、時にはカタカナまで動員して、目でも訴えなければならないからです。短さ故の宿命でしょう。優れた詩が、見た目に、どれほど美しくても、です。

 しかし、「天山来客」さんは、専門を変えました。法律を専門にし、弁護士として羽ばたこうとしています。専門が変わったことは残念ですが、それでも、あの見事な日本語を駆使し、日中貿易などの面で、幅広い活躍をなさることを、祈って止みません。

日々是好日
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