日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

プランターの曼珠沙華

2008-09-29 07:47:43 | 日本語の授業
 今日も朝から肌寒く、長袖姿となってしまいました。道行く人も、ヤッケや上着を羽織り、急に町が暗くなったような気がします。まだ黄葉が始まっていないので、しょうがないですね。

 今年は、このあたりに限って言えば、空梅雨ならぬ、「空台風?」かと思われたのですが、「イタチのサイゴッペ」ですかね、ゆるゆるとやって来そうです、台風が。

 今朝、「曼珠沙華」を見かけました。プランターに「一株」だけでしたので、あの強烈な赤を感じる暇もありませんでした。なんだか、か弱い赤が目の前をスッとよぎったような、それだけの印象でしかありませんでした。しかしながら、山野で見かける、逞しい「曼珠沙華」は違います。真っ赤っかです。その上、群生なんぞしていますと、辺りの空気までカッカッと燃え立ってくるような、そんな感じなのです。

 それが、「手活けの花」ならぬ、「プランターの花」になってしまうと、「赤」も上品に薄れ、こうも野性味がなくなってしまうものなのですかね。それとも、しっかりと根付いていないのでしょうか。まるで、人生の縮図を見るようで、哀れささえ覚えてしまいます。

 人も根(母国)を離れて、他国で暮らすということになりますと、独り立ちできるまでの期間、幼子に戻ったような状態になってしまいます。なんだか頼りなくなってしまうのです。そう見えない人でも、浮遊しているような躁状態にこそなれ、足が地に着いていないのは同じことです。

 そのまま萎んでいく人もいれば、しっかりと大地を踏み、根付いていく人もいます。萎んでいかないように、手助けをするのが我々の仕事なのですが、どうしても、ある程度は勉強をしなければならないので、その習慣がついていない人は、置いて行かれたような、寂しさを感じるようです。

 「最初は、(先生が何を言っているのかわからずに)困ったけれど、それは、みんな一緒だった。同じだったから、(それだけで)楽しかったのに、いつの間にか皆は意味が分かった上で笑っている。自分には皆が笑う意味が分からない…」と、そんな風になってしまうのです。

 勉強する習慣がない人に、それまでの監督者の元を離れさせた上で、勉強させるようにしろと言うのは無理なことです。親が出来ないことを、他者に、しかも外国人にさせようというのは、もっと無理なことです。しかも、「環境さえ変えれば、勉強するはずだ」と、雲を掴むような当てもない期待に胸を弾ませて、国を出すのですから、こちらから見れば、いったいこの親は何を考えているのだろうということになってしまいます。

 その上、こんな事を言う人もいるのです。「日本の日本語学校へ行ったら、『数学』や『英語』も教えてもらえるのか」。彼らがどういうつもりで、そんなことを言っているのか、私には分かりません。母国で、同じ国の先生に、母国語で、教えてもらいながら、とうとう解らなかったという「数学」や「英語」が、まだ「イロハ」もわからないというのに、日本語で、どうやって教えることが出来るのでしょう。そういう学生は、おそらく一年経っても「一級レベル」には、到達できないでしょうから、二年で、「中学生レベル(一級レベル)」ということになります。まず、「日本語だけでいいから、がんばって」という類の人達なのです。

 母国語で、それができていれば、後は日本語の問題です。母国語と日本語を対応させていけばいいだけですから、それは日本語学校の仕事だと言えましょう。それは大丈夫。早く一級レベルになっていれば、道は、自ずと開けてきます。

 普通は、母国で勉強しなかった人は、外国へ行っても勉強するはずがないのですが、例外があるのです。それは、「やりたいことがある」という人の場合です。ですから、私たちは、「普通高校を出ていない人」、或いは「統一試験の成績がとても普通ではないくらい悪い人」で、日本へ行きたいという人には、必ず、「日本で何を学びたいのか」と尋ねることにしています。もちろん、誰でも、どこへでも行く自由があります。けれど、同時に、その責任も義務も必要です。

 今までは、ただタラタラしていた。けれど、やりたいことが見つかった、目的が見つかった、その実現のために、日本へ行きたい。そういう人は変われる可能性が大きいのです。その思いが強ければ強いほど、夢の実現のため、或いは夢とまでは行かなくても(人間好きなことのためには、いろいろなことを犠牲にできるものですから)、その実現のためにがんばれるのです。

 もちろん、普通高校を出ていて、しかも、成績がよかった人や、大学を卒業している人には、何も言いません。言う必要がないからです。目的がなくても、勉強しているうちに見えてくるでしょう。少なくとも、勉強する習慣が既に身についていますから、日本語の上達も速いでしょう。それに、その速さに応じて、学ぶことも増えていくでしょうから、興味のあることを、一年乃至二年という期間で、探り当てることも無理ではないでしょう。

 勉強する習慣もついていない、何をやりたいのかも解らない。「とにかく、行きやすいから日本へ行くか」だったら、留学させない方がいい。少なくとも、勉強してもらおうと、いろいろな教材を備えたり、ずる休みをさせないようにしている、この学校は、向きません。

 日本は、狭い小さな国ですけれども、そういう人にあった、日本で、日本語を教える学校はたくさんあると思います。日本へやろうと考えている親御さんは、よくよく自分の子供の性格や出来、そして現在の状態などを考えてから、日本の、日本語学校や専門学校、短大、大学へ送り出して下さい。

 その方が、本人にとっても、受け入れることになる相手校にとっても、幸せなのです。

日々是好日
         (ここをクリックすれば、中国語の翻訳が読めます!)
コメント
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