日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

人の可能性。人は本当にすばらしい

2008-09-12 08:01:40 | 日本語の授業
 今日は、暑さが、ぶり返してくるそうです。言われてみれば、確かに、朝から暑さがジリジリと迫ってきているようで、暑い。ここ二・三日、影を潜めていた、蝉の声さえ聞こえてきました。

 昨日のお昼前、まるで夕立のような雨がザッと降って来、それから本格的な秋が始まったのかと思われるくらい涼しくなりましたのに、今朝はもう、うって変わって、「夏の復活」です。

 夏。夏というと、夏休み。夏休みというと、プールへ急ぐ子供達。しかし、夏休みはとっくに終わり、新学期はもう始まっているはず。今日はこんなに暑いからとわけでもありますまいに、朝の6時頃から、大きな学生鞄を背負い、黄色の帽子をかぶった小学生達が、学校へと歩いている姿を何人も見かけました。こんな朝早くから、いったいどうしたのでしょうね。

 小学生と言えば、私が、小学生の頃、こんな記事を読んだことがあります。

 戦争や貧しさから、小学校も碌に行っていなかった人達が、60歳や70歳になってから、小学生に混じって、勉強しているという記事です。高校生の頃も、下の学年に「定年退職」した人が、通っているという話を聞きました。この人がいると、生徒達が本当にまじめに勉強するので、先生達は大助かりという噂と共にですけれど。

 彼らが小学校や中学校に通っていた頃と、私たちの頃とでは、情報量も格段に違っていたでしょうに。15、6歳の子供といえば、彼らにとっては、まるで孫と一緒に勉強しているようなものでしたでしょうに。懸命に勉強する、その姿には、子供でもなにがしかを感じてしまうのでしょう。当時、先生方が生徒に「勉強せよ」という言葉をかける必要がなかったと聞きました。

 本当に、日本人の子供でも、大人でも、外国人の子供でも、大人でも、勉強するのは大変です。特に外国で解らない言葉を、初めて習得しなければならないというのは、大変です。

 「のんびりした国」から「のんびりした国」へ行くというのなら、そうでもないのでしょうが。また、「気忙しい国」から「のんびりした国」へ行くというのなら、話は違うのでしょうが。

 のんびりした国から、この「日本」へですものね。大変で当たり前です。しかも、大人であった場合、「この言葉を習得すれば、給料が上がる」とか、「日本で働ける」という、二三年後の将来像が描けなければ、毎日はむなしいものになってしまいます。

 純粋に「学問だけ」というのは、先進国の人達だけに許された「甘え」なのかもしれません。

 日本に来られるかどうかわからなくて、大変。日本に来たら来たで、言葉が分からなくて大変。日本語が片言でも話せるようになったらなったで、今度は、「非漢字圏」の人達には、漢字というものが出てきて、大変。漢字をどうにか書けるようになっても、今度は、いろいろな「読み」があることに、気づいて愕然。

 漢字圏の学生にはない悩み、苦しみが、非漢字圏の学生達を襲います。しかし、そうであっても、「気力・体力」で乗り切って、日本の大学に通い、現在就職活動をしている人もいるのですから、たいしたものです。

 ただこういう人は圧倒的に少ないのです。ほとんどは、三ヶ月ほどで、崩れてしまいます。彼らは別に彼らの国で「選ばれ」て、日本に来ているわけではないのです。意識の上では、日本人の若者が国外へ行くのと同様、「漠然とした期待」だけで来ているのです。

 日本留学とかを終えて、帰国した同国人は、彼らよりも現金を持っているでしょうし、彼らが知らないことをたくさん知っているのでしょうから、当然えらく見えるでしょうね。

 「そうなりたい」し、「日本へ行けば、そうなれるはずだ」という「ぼんやりした期待」だけで、日本に来てしまった彼らですから、気忙しい日本の社会には、なかなか馴染めないでしょう。問題を起こしがちになってしまいます。彼らにとっては、日常生活の「いつも通りの行動」であっても、日本の社会では「非常識な」という「枕詞」がついてしまうことも多いのです。

 その差異に、気づくのも遅いのです。これは「感性」の問題で、「自分たちと違う世界があり、その習慣に則って生活している人たちがいる」という認識がなければ、説明されても、「どうして、どうして」、「私は違う」で終わってしまうのです。説明すれば、「わかる」というものではないのです。本当に「感性」の問題だと思います。「解る人」「気づく人」には、「解る」でしかないのです。

 日本に10年、20年と住んでいても、日本人と交わることがなければ、日本にいたことにはなりません。日本人の習慣が解っていないからです。聞きかじったことを、さも得意げに、日本について知らない人に話して、それで終わりになるだけです。

 淡い期待を抱いて日本に来ても、まず、勉強があります。就学生として来ているのですから。「『ひらがな』を覚え、『カタカナ』まで覚えた。よしよし」と思ったら、それで、打ち切りではなく、今度は「漢字」です。

 昔(今はどうか解りませんが)、「識字学級」というのがありました。在日韓国人の老人や日本で差別を受けて育った人達が、主に通ったのですが、そこで漢字まで習って、「ああ、これでやっと人並みになった」と喜んだという話や、「これで、知識を吸収することができる」と期待に胸を膨らませているという話などを聞いたことがありました。「漢字」まで知らないと、やはり、ただの日本語が話せるだけの「文盲」に過ぎないのです。

 「知識」や、いわゆる「学問」というものは、ただ「聞いた」だけではだめなのでしょう。なぜか解りませんが。「技芸」なら、「口伝え」と言うことも出来るでしょうが、「すべて覚える」というのは、普通の生活をしている人にとって、とても難しいことだと思います。

 「書かれているもの」を「読む」ことによって、人は知識を得、「思考する」のではありますまいか。それで初めて「思考言語」を習得すると言うことになるのではありますまいか。

 以前教えた学生の一人に、こんな青年がいました。体力も知力もありました。しかし、彼は10月に来たので、一年ほど日本語を学んだと言う状態で、大学入試を受けなければならなかったのです。しかも、来日時、日本語に関しては、「白紙状態」でした。

 彼は、がんばりました。『初級』の教科書は、ほとんど「丸暗記」していました。四級・三級の漢字も、とにかく、「書く」・「読む」を、アルバイトの行き帰りに繰り返し、忘れても忘れても繰り返し、『中級』に入っても、それを続けていました。

 彼の口癖は、「先生、時間がないねえ。もっともっと勉強したいねえ」でした。

 一年経つ頃には、言いたいことを相手に伝えられるようにはなっていましたが、文章も読めなければ、書けもしなかったのです。「六月の留学生試験」の「作文」で、呆然としていたのを覚えています。そういう問題について、考えるという教育を受けてはいなかったのです。

 ただ、勉強したいことがはっきりしていたのと、自分の勉強したいことについて大学の先生に語ることができたという点が、他の学生達と全く違っていました。休みの日には、電気屋に入り浸り、コンピュータをなめるように見、店員に説明を聞き、動かしてみる。それを繰り返していたようです。

 大学は、「一年でこれほどまでになれた」ということと、「勉学に対する熱意」、それと「彼の将来性」を買って、入学させてくれたのでしょう。そして、彼も、その大学で、すばらしい先生に出会い、すばらしい友人に出会い、今も生き生きと学業に励んでいます。

 こうなれる人は少ないのです。それでも、なれる人はいる。人間は、本当にすばらしいと思います。

日々是好日
コメント
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