晴れ。
寒さにも慣れたような…気がしますが、週末の日本海側の大雪は、ニュースで見るだけで、寒さがぶり返してきそう。
すごい雪ですね。人も車も家も雪の中に埋まっています。「雪だ、雪だ」と騒いでいた南国の人たちも、あの中にあったら、どうでしょう。もっとも、先日の2,3㎝の雪であっても、喜んでいた翌日には「もう、いい」なんて言っていたくらいですから、雪の日の大変さが少しはわかったのかもしれません…だいたい、歩けない。
「桃栗三年柿八年、梨の大馬鹿十八年」
「桜伐る馬鹿、梅伐らぬ馬鹿」
「東方朔は八千歳、三浦大介百六つ」
「梅は食うとも核食うな、中に天神寝てござる」
なんでしょうねえ、一つが突然、頭の中に浮かび上がってくると、続けてぽろぽろと出てくるのです。いつ、なんで、覚えてしまったのかはわかりませんが、面白いですね。今日はこれ、けれども、ふらふらと出てくるのが違う時もありますし、何かの歌の文句や詩の文句であることもありますし。人間の脳というのは不思議なものですね。いつもは完全に記憶の外にあるのに。
さて、学校です。
学校の「サザンカ(山茶花)」も終わりのようです。「サザンカ」の頃「スイセン(水仙)」「ウメ(梅)」が咲き、続けて「ツバキ(椿)」「ナノハナ(菜の花)」「モモ(桃)」…さて「モクレン(木蓮)」が先だったか、「サクラ(桜)」が先だったか…。
「サザンカ」が終わりを迎える頃から、街はだんだん花に彩られるようになってきます。もっとも、そのちょっとした狭間に雪の花がちらほらと降ったりする…。
今日も寒い。「サクラ」とか「ナノハナ」といった感じでは、まだまだ…ない。
二月に入ると、入試が本格的になってきます。やっと先週の終わり頃から、緊張し始めた人がいて、思わず、「今頃かい」と叫んでしまいました。経験がない…わけでもないでしょうに。
ただ、在日生の二人、学校の卒業式には「出たい」そうで、これは「卒業式」という経験がないからでしょう。日本語学校に来るたいていの学生(高卒)は、「卒業式」未経験者です。大卒でも、よくわからないような人も時たまいるくらいで、「卒業式」というのは「入学式」と同じくらいきらきらして感じられているようです。そういえば、「入学式」なんてのも「ない」所も多かった…。
そこから見れば、日本は「式」が多すぎるのかもしれません。中高はもちろんですが、幼稚園だって、小学校だって、それはそれは見事に「式」をやりますもの。練習だって、準備だって大変なのに。
この学校でも、一度か二度、留学生の数が多すぎたときには、入りきらないので、留学生だけでやったことがありましたが、他の時には、全員でやり、その時に一年生が、「これが、卒業式か。自分も出たい」と思ったりしたようです。
日本では、何で、こう「形式」というか、「祭り」というか、いわゆる「行事」ですね、それを大切にするのでしょう。「今から勉強する」であっても、「できたから、終わり。はい、さようなら」でも良さそうなものなのに。
ただ「区切り」をつけるということは、「けじめ」をつけるのと同じようなもので、その間のことを振り返る機会にもなります。そうでなければ、たらたらと流れていくだけですもの。
例えば、日本語学校であれば、「来日したときはこんな感じであった」、「それからこんなことがあった、或いは、した」云々、そして「卒業式の今日 」というふうに、思い出しながら、いろいろな話を皆でする。それが皆でいる最後になるかもしれませんし。
今年は、卒業生が三人。寂しいと言えば寂しいですが、見送ることになる一年生も数人いることですし、また新しく日本語を学びたいというご近所さんもちらほら出てきそうですし、まあ、楽しい卒業式ができるかもしれません。
日々是好日