昨日も暑かった。一昨日も暑かった。今朝も、暑い。学校に着いてから、日が上がるにつれ、気温がどんどん上昇していくのがわかります。花の水遣りを兼ねて、朝、水を打っているのですが、それも、おっつきません。文字通り、焼け石に水なのです。朝夕、「水を打つ」という言葉も行為も、本来の意味から言うと、もはや、死語に近い状態になっているのかもしれません。だいたい、打つべき対象が見あたらないのですもの。周りは、土ではなく、アスファルトなのです。
最近は、「水打ち」というのは、「地球を冷やそう」「東京を冷やそう」というキャッチフレーズの下で、「真昼に、大勢で、元気よく」やる行為に変わっているかのようです。
「来客前に、庭に水を打って、清めておく」というのも、人に知られないようにする、いわば、奥ゆかしげな行為と見えていたのですが、こうなると、どうもそういう印象では語れませんね。言葉も行為も、あらたな意味を与えられて、全く別なものとなったようです。
ところで、学校です。
「A・Bクラス合同」の「近現代史」は、昨日で七回目を迎え、DVDも三集目に入りました。
一昨日のことです。午後の自習室に、その日の新聞の切り抜き(ルビを打ったもの)を持って行くと、暑苦しいほど学生たちで埋まっていました。しかも、その状態でありながら、エアコンをつけていないのです。気を利かせたつもりで、つけようとしたのですが、「先生、つけないでください。これでいいです」と、皆が口を揃えて言うのです。自然の風の方が気持ちがいいからと、真っ当なことを言うのです。
そう言われてみれば、自習室は、東向きで、お昼からは、日が差し込まない。その上、窓とドアと三方を開け放てば、風も通る。確かにその方が気持ちがいいのかもしれない。そう思っていると、スーダン人のSさんが、急に、真顔になって、私に「大学で何を専攻したのか」と聞くのです。
どうも、彼女は、私が大学で歴史を専攻したに違いないと思ったようなのです。私が、DVDを見せながら、「近現代史」の説明をしているからなのでしょう。が、その(私が話す)内容とても、日本人から見れば、一般的なことにしかすぎず、その上、説明に用いる日本語のレベルもしれたものなのです(彼らの日本語のレベルも、せいぜい「一級」か「二級」レベルにすぎないのですから。学び初めて一年にも満たないものが大半なのです)
けれども、Sさんの国(スーダンだけではなく、中国も、インドでも、スリランカでも同じです)では、そういうわけにはいかないのでしょう。多分、「日本人なら、当たり前のように、テレビを見て、知っている。常識に属するような」知識も、大学で専攻したものならいざ知らず、普通の人なら、決して目にすることができないというものなのでしょう。
それで、「大学で歴史を専攻した者が、どうして日本語の教師になんかなっているのだろう」と不審に思って、聞いたに相違ありません。
そこで、彼女に説明を始めました。
「私は、大学で歴史を専攻していないし、自分がここで話しているのは、日本では学校教育で学ぶような内容にすぎないのだ」と。
勿論、私も、歴史は好きです。けれど、勉強したのは、「小中」の時だけ。後は自分で勝手に本を読んだり、テレビの歴史関係のものを好んでみてきただけなのです。これくらいの知識は、日本人で「歴史好き」であれば、誰でも持っているものなのです。
けれども、私が使った「これくらいの知識」という言葉が、彼女には通じないようなのです。どうして、「あれが、『これくらいの知識』なのか」と思ったようなのです。Sさんも、スーダンの大学を出ていますし、いわゆるインテリです。その上、日本語の学習態度を見ても、彼の国にあった時には、勉強好きであったことがわかります。けれども、普通の日本人がもっている、或いは持つことができる知識ということに関して、どうも心の中にストンと落ちていかないようなのです。
日本では、「明治の世」から、まず「国民」を「啓発・啓蒙」するための努力が、官民挙げてなされました。国民自体の知識レベルをあげていかなければ、欧米に追いつき追い越せないと思ったのでしょう。たとえ、多少「思い込み」で、間違った方向のものが含まれていたとしても、(一般大衆にまで)知識を遍く広めていかねばならないという頑ななまでの信念が、官の上層部から、知識人の多くにまで、あったのです。勿論、「技術」は、また別です。「科学技術」めいたものは、あっという間に習得出来ました。つまり、その「素地」が、江戸時代に既にあったということなのでしょう。
いいのか悪いのか、それは、私にもわかりませんが、「明治の世」から、知識人や学者達の仕事の大部分は、「一般庶民」を「啓蒙」することのために費やされました。つまり、欧米の思想書や文学、芸術、その他ありとあらゆるものの翻訳です。「研究」は、その片手間になされたと言った方がいいくらい、たくさんの「翻訳物」が出版されました。勿論、研究者は、厳然として存在していましたが、そういう「職人的な研究者」以外は、まず「国民の資質をあげなければ」という思いにも燃えていたと言っても過言ではないでしょう。
これは、少し前までの日本的経営で代表されていた「会社」でもそうでした。後を継ぐ人を育て上げることが出来るのが、「良き先輩社員」だったのです。会社が「教育の現場」でしたし、また職人さんを育てる工場も「教育の現場」でした。どこでも、教育だったのです。「手を取って教えてもらう」のは、無理だとしても、「(芸を)盗む」ことは自由だったようです(それにも「資質」が必要ですから)。きっと、当時の職人さんからすれば、「盗めるもんなら、盗んでみやがれ」とでもいうところだったのでしょう。
その証拠に、「こいつは(できる)」と思ってもらえたら、首根っこを押さえつけるくらいの勢いで教えてもらえたのですから。その教え方には、(先生たる職人さんや会社員たちのそれなりの)いろいろな個性があったとしても、同じ会社に10年、20年いるうちには、叱られたことの意味も判ってきたでしょうから。上の人たちが退職する頃には、「叱っていただいて、ありがとうございました」というのが自然に口から出せたのでしょう。
ところで、スーダン人のSさんです。何度も聞きました。「日本人なら、誰でも、先生のように知っていますか」。
私も何度も答えました。「専門家はもっと知っていますし、これらに対する考え方も各自が持っています。日本にいて、日本語がわかったら、テレビや新聞・雑誌などで、これに類することは、たくさん出ています。こういう物が好きであったら、努力しなくても、自然に身につきます」
日本のすごいところ(日本人の私が言うのも何ですが)、或いは、日本人のすごいところは、こういう、「(彼らから見れば)専門的な知識」を、読んで楽しむ一般大衆が、かなりいるということでしょう。買う人がいなければ、売れませんから、誰も作りませんし、出版しません。売れるから、常時出ているのです。他の国では、こういう損にも得にもならない知識は、売れませんから、出版もされないし、見る人がいないから、テレビでも流さないのでしょう(勿論、国によっては、政府がそういう情報の流通を遮っている場合もありますが)。
「得にならなくとも、国民を啓蒙していかなければならない」という確固たる信念が、国になければ、半分国営放送のようなNHKが、そういう番組を作ったり、また作ったとしても、放送したりはしないでしょう。また「かつての日本」には、そういう意識が国や社会の中枢にいた人々にあったと思います。そうでなければ、幕末の弱小国、日本が、どうして、「大国清」や「ロシア帝国」と戦えたでしょう。あっという間に欧米列強の植民地になっていたとしても、少しも不思議ではありません。その上、第二次世界大戦で、木っ端みじんに砕かれた国と国民が、いろいろな問題はあるにしても、どうしてここまで頑張れたのでしょう。
日本にいたら、「当たり前」とも思われる「これらのこと」は、他国の人から見れば、決して「当たり前」の事ではないのです。どうしたら、そういう知識を得ることができるのか、それさえ判らない人、あるいは、そういうものがあることさえ知らない人が、世界中には、たくさんいるのですから。日本にいたら、チャンネルさえ切らなければ、そういう知識を、座ったままで、かなりの程度、目にし、耳にもし、また身につけることができるというのに。
本当に世界は、「不平等」です。
日々是好日
最近は、「水打ち」というのは、「地球を冷やそう」「東京を冷やそう」というキャッチフレーズの下で、「真昼に、大勢で、元気よく」やる行為に変わっているかのようです。
「来客前に、庭に水を打って、清めておく」というのも、人に知られないようにする、いわば、奥ゆかしげな行為と見えていたのですが、こうなると、どうもそういう印象では語れませんね。言葉も行為も、あらたな意味を与えられて、全く別なものとなったようです。
ところで、学校です。
「A・Bクラス合同」の「近現代史」は、昨日で七回目を迎え、DVDも三集目に入りました。
一昨日のことです。午後の自習室に、その日の新聞の切り抜き(ルビを打ったもの)を持って行くと、暑苦しいほど学生たちで埋まっていました。しかも、その状態でありながら、エアコンをつけていないのです。気を利かせたつもりで、つけようとしたのですが、「先生、つけないでください。これでいいです」と、皆が口を揃えて言うのです。自然の風の方が気持ちがいいからと、真っ当なことを言うのです。
そう言われてみれば、自習室は、東向きで、お昼からは、日が差し込まない。その上、窓とドアと三方を開け放てば、風も通る。確かにその方が気持ちがいいのかもしれない。そう思っていると、スーダン人のSさんが、急に、真顔になって、私に「大学で何を専攻したのか」と聞くのです。
どうも、彼女は、私が大学で歴史を専攻したに違いないと思ったようなのです。私が、DVDを見せながら、「近現代史」の説明をしているからなのでしょう。が、その(私が話す)内容とても、日本人から見れば、一般的なことにしかすぎず、その上、説明に用いる日本語のレベルもしれたものなのです(彼らの日本語のレベルも、せいぜい「一級」か「二級」レベルにすぎないのですから。学び初めて一年にも満たないものが大半なのです)
けれども、Sさんの国(スーダンだけではなく、中国も、インドでも、スリランカでも同じです)では、そういうわけにはいかないのでしょう。多分、「日本人なら、当たり前のように、テレビを見て、知っている。常識に属するような」知識も、大学で専攻したものならいざ知らず、普通の人なら、決して目にすることができないというものなのでしょう。
それで、「大学で歴史を専攻した者が、どうして日本語の教師になんかなっているのだろう」と不審に思って、聞いたに相違ありません。
そこで、彼女に説明を始めました。
「私は、大学で歴史を専攻していないし、自分がここで話しているのは、日本では学校教育で学ぶような内容にすぎないのだ」と。
勿論、私も、歴史は好きです。けれど、勉強したのは、「小中」の時だけ。後は自分で勝手に本を読んだり、テレビの歴史関係のものを好んでみてきただけなのです。これくらいの知識は、日本人で「歴史好き」であれば、誰でも持っているものなのです。
けれども、私が使った「これくらいの知識」という言葉が、彼女には通じないようなのです。どうして、「あれが、『これくらいの知識』なのか」と思ったようなのです。Sさんも、スーダンの大学を出ていますし、いわゆるインテリです。その上、日本語の学習態度を見ても、彼の国にあった時には、勉強好きであったことがわかります。けれども、普通の日本人がもっている、或いは持つことができる知識ということに関して、どうも心の中にストンと落ちていかないようなのです。
日本では、「明治の世」から、まず「国民」を「啓発・啓蒙」するための努力が、官民挙げてなされました。国民自体の知識レベルをあげていかなければ、欧米に追いつき追い越せないと思ったのでしょう。たとえ、多少「思い込み」で、間違った方向のものが含まれていたとしても、(一般大衆にまで)知識を遍く広めていかねばならないという頑ななまでの信念が、官の上層部から、知識人の多くにまで、あったのです。勿論、「技術」は、また別です。「科学技術」めいたものは、あっという間に習得出来ました。つまり、その「素地」が、江戸時代に既にあったということなのでしょう。
いいのか悪いのか、それは、私にもわかりませんが、「明治の世」から、知識人や学者達の仕事の大部分は、「一般庶民」を「啓蒙」することのために費やされました。つまり、欧米の思想書や文学、芸術、その他ありとあらゆるものの翻訳です。「研究」は、その片手間になされたと言った方がいいくらい、たくさんの「翻訳物」が出版されました。勿論、研究者は、厳然として存在していましたが、そういう「職人的な研究者」以外は、まず「国民の資質をあげなければ」という思いにも燃えていたと言っても過言ではないでしょう。
これは、少し前までの日本的経営で代表されていた「会社」でもそうでした。後を継ぐ人を育て上げることが出来るのが、「良き先輩社員」だったのです。会社が「教育の現場」でしたし、また職人さんを育てる工場も「教育の現場」でした。どこでも、教育だったのです。「手を取って教えてもらう」のは、無理だとしても、「(芸を)盗む」ことは自由だったようです(それにも「資質」が必要ですから)。きっと、当時の職人さんからすれば、「盗めるもんなら、盗んでみやがれ」とでもいうところだったのでしょう。
その証拠に、「こいつは(できる)」と思ってもらえたら、首根っこを押さえつけるくらいの勢いで教えてもらえたのですから。その教え方には、(先生たる職人さんや会社員たちのそれなりの)いろいろな個性があったとしても、同じ会社に10年、20年いるうちには、叱られたことの意味も判ってきたでしょうから。上の人たちが退職する頃には、「叱っていただいて、ありがとうございました」というのが自然に口から出せたのでしょう。
ところで、スーダン人のSさんです。何度も聞きました。「日本人なら、誰でも、先生のように知っていますか」。
私も何度も答えました。「専門家はもっと知っていますし、これらに対する考え方も各自が持っています。日本にいて、日本語がわかったら、テレビや新聞・雑誌などで、これに類することは、たくさん出ています。こういう物が好きであったら、努力しなくても、自然に身につきます」
日本のすごいところ(日本人の私が言うのも何ですが)、或いは、日本人のすごいところは、こういう、「(彼らから見れば)専門的な知識」を、読んで楽しむ一般大衆が、かなりいるということでしょう。買う人がいなければ、売れませんから、誰も作りませんし、出版しません。売れるから、常時出ているのです。他の国では、こういう損にも得にもならない知識は、売れませんから、出版もされないし、見る人がいないから、テレビでも流さないのでしょう(勿論、国によっては、政府がそういう情報の流通を遮っている場合もありますが)。
「得にならなくとも、国民を啓蒙していかなければならない」という確固たる信念が、国になければ、半分国営放送のようなNHKが、そういう番組を作ったり、また作ったとしても、放送したりはしないでしょう。また「かつての日本」には、そういう意識が国や社会の中枢にいた人々にあったと思います。そうでなければ、幕末の弱小国、日本が、どうして、「大国清」や「ロシア帝国」と戦えたでしょう。あっという間に欧米列強の植民地になっていたとしても、少しも不思議ではありません。その上、第二次世界大戦で、木っ端みじんに砕かれた国と国民が、いろいろな問題はあるにしても、どうしてここまで頑張れたのでしょう。
日本にいたら、「当たり前」とも思われる「これらのこと」は、他国の人から見れば、決して「当たり前」の事ではないのです。どうしたら、そういう知識を得ることができるのか、それさえ判らない人、あるいは、そういうものがあることさえ知らない人が、世界中には、たくさんいるのですから。日本にいたら、チャンネルさえ切らなければ、そういう知識を、座ったままで、かなりの程度、目にし、耳にもし、また身につけることができるというのに。
本当に世界は、「不平等」です。
日々是好日