日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「スリランカ、インド、バングラデシュ、ミャンマー、タイ、中国の小学校のお昼ご飯」。

2013-05-23 10:07:11 | 日本語の授業
 晴れ。五月らしい爽やかな朝です。昨日に比べ湿度もグンと下がっているとか。こういう日が来ると、貧乏性なもので、また「…ということは、梅雨が近づいていると言うことだな」なんて考えてしまいます。

 今は、自転車での通勤ですが、梅雨が始まってしまうと、自転車は使えません。勢い、歩いて来なければならなくなってしまいます。で、今から、いろいろと焦っているのです。まあ、焦ったってどうにもならない、なるようにしかならないのですが、そこはどうにか楽をしようという根性で、やはり、焦ってしまうのです。

 さて、学校です。

 昨日は、「Bクラス」で、日本の給食についての話をちょっとしました。このクラスには、スリランカ、インド、バングラデシュ、ミャンマー、タイ、中国から来た学生達がいるのですが、日本のように「学校で給食を出し、みんなが同じものを一緒に食べる」という習慣があるところは少ないようです。

 タイでは、食堂で皆一緒のものを食べると言っていましたから、日本の給食と似ているのかもしれません。ただ最初に食べるのは一番小さい子達で、次は…と言うことらしいですから、クラス毎に教室で食べるというのとはまた違うのでしょう。


 私が子供の時には、給食の時に、机をTの字に並べ、六人ずつのグループになって食べたりしたこともあったような気がします。が、だいたいは、授業を受ける時と同じような机の配置で食べていたと思います。食事の時に勝手に席を替わるなんてことは「だめ」でした。それにひきかえ、他の国では、食事は「楽しく」が大切なことのようです。


 一方、中国の学生は帰って食べるようですし、ミャンマーの学生もそのようです。

 えっと思ったのは、スリランカ、インド、バングラデシュの学生達の話です。インドとバングラデシュは小学校も二部制だそうで、午前の部の子供達が帰ると、午後の部の子供達がやって来て勉強をするのだそうです。彼らの話だけで、詳しいことはわからないのですが、昼ご飯は食堂で食べると言っていました。もっとも、私立学校などはそうじゃないらしいのですが。

 スリランカも午前で勉強は終わりで、午後はクラブ活動をしたりするのだそうです。昼ご飯は食べないのかと言いますと、午前中に30分ほどの休憩時間があり、その時に食べると言うのです。なんだか聞いていて、中学校や高校の時の運動部の生徒のことを思い出してしまいました。10時頃の休憩時間に早弁と称して、お母さんが作ってくれた昼ご飯を平らげていましたもの。ただ時間はスリランカの小学生達のように30分なんてありませんでしたから、5分くらいだったと思います、食べてしまうのにかかった時間は。

 思えば、中国の学生達を除けば、皆、暑い国から来た人達で、聞いていてもどこか懐かしいような、のんびりしているような、そんな気になってきます。

 中には、作文で、「(休憩時間に)みんなで集まって、木の下とかに座って食べるご飯はとてもおいしかった。仲間とお弁当を持ち寄って、それを真ん中に置き、好きなものをつまむのだ。友達みんなで食べたからおいしかったし、楽しかった。一人で食べるのは嫌だ。みんなそうだと思う」と、(今の生活から振り返って)過去を大切に思っているのがよくわかる文章もありました。

 また、これは日本の給食との比較でですが、「みんな同じものを食べるのはとてもいいと思う。お金があるうちの子供も、ないうちの子供も、同じものを食べるのだから。子供の時に辛い思いをせずに済む」なんていうのもありました。もしかしたら彼の近くに、そういう子供がいたのかもしれません。彼らは友達をとても大切にするのですが、そこにも、私たちから見れば、かなりの差別があるような気がします。カースト制が残っているとまでは言えませんが。

 以前、「そんなものはない」と断言した、スリランカの女子学生に、「例えば、その種の人達とは絶対に同じテーブルにつかないとか、隣同士の椅子に座らないとか、あるいは玄関から入れないとか…そういうことはないか」と、具体例を挙げて聞きますと、「そういう種の人達がいるのは当たり前だ」と、それのどこが問題なのかと言わんばかりな返事が返って来たことがありましたっけ。インドとまではいかなくても、インド圏でそういう名残めいたものはあるのかもしれません。

 日本にもまだ残っているくらいですもの、どこの国にもあるのでしょう。ただそれを「差別」と認識できるかどうかが違うのです。あまりに当たり前だと思っている国の人達には、こういう問題は生じようがないのです。

 勿論、個人的な好き嫌いは誰にでもあります。これはそれほど問題にはなりません。だいたい、私が好きじゃない相手は、相手だって、私のことが好きじゃないものです。お互いに角突き合わせていればいいだけのこと、これには他者も、広い世間もは全く関係ありませんから。

日々是好日
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