曇り。
(学校に)着くまでに、2,3度、パラリと感じた…のだけれども、あれは何だったのかしらん。すっかり「梅雨~」…と言いたいところなのですけれども、昔ながらの、シトシト雨とは無縁の「梅雨」。というか、「梅雨らしきもの」と成り果てた「梅雨」。天気予報だって言っていますもんね。今年は「豪雨」か「酷暑」で、中間がない…。
激しい雨が、「アジサイ」の葉を叩きつけたら、その上に鎮座ましました「青蛙」もびっくり仰天、ひっくり返って落ちてしまうのが関の山。もう、ああいう、かつてのような「梅雨」らしき風景は見られなくなってしまうのでしょうか。あれがなくなると、もう「梅雨期」とは呼べないでしょうね。イメージが全然違ってきますもの。
さて、学校です。
南国の人達が、日本の夏を評して「暑い、暑い」と言えば、「えっ」と思ってしまう私たち。でも、しょうがない、彼らの国と日本の夏とはどうも正確を異にしているようなのです。暑さのタイプが違う。「カラッとして気温が高い」という、そういう夏の国もあれば、南国といえど、島国で、日本から見れば、大した暑さではないという国もあります。インドなどは、夏は50度の世界と言い、インド中が50度超えでもあるかのように思われているのですが、インドも中国同様、広い。自分の所はそんなに暑くないと言われてみれば、ああ、そうかとなってしまう。確かにそうでしょうから、思わず、ごめん。反論できない…。
先日も、「昆虫」の話(問題集にその話があったのです)が出たときに、日本人の「虫好き」が話題になった。なにせ、平安時代に「虫愛ずる姫君」が書かれたくらいですから、昔から好きな人はいたのでしょう。ところが、南国人の頭の中では、「虫」イコール「病気を介在するもの」という図式ができあがっていますから、とんでもないということになってしまう。
それどころか、「虫好き」というので、頭の中に浮かんでくるのは「おいしい」となる人達もいる。「虫」イコール「食べる」なのです。これは昨今の「サステイナブル」から来た「昆虫食」とは別物で、「郷土料理」というか、お国の料理ですね。「虫」も食べられるものに限って言えば許せる…になるのでしょう。
この点から、日本では、いわゆる「人気があるもの」とか「デパートで観賞用や育てるために売られているもの」があるなどと言うと、論外という顔をされてしまう。もちろん、日本人の中にだって「虫好き」同様、「虫嫌い」はいますから、もしかしたら、ドッコイドッコイなのかもしれませんが。
で、ついでに、「清少納言」ばりに、「嫌いなものづくし」をやってみると、意外なことに、「カエル」がだめという人が多く、「ヘビ」は出てこなかった。もちろん、私たちのいう「ヘビ」は、彼らの世界の常識から見れば「小ヘビ」に過ぎず、話の対象にもならぬよう。で、「自分たちの所では」と両手で輪っかを作って「これくらいの太さ。頭はお茶碗くらい」と来た。それを聞いて、ネパールの学生もスリランカの学生も、「うん、うん」とうなずいている。引きつった顔をしているのは、私くらいか…。
それに「『コブラ』が庭に出てくる」という学生だっていました。うちの近くに川があるとか言っていましたが、それも関係しているのでしょうか、日本ではそうですけれども。彼女曰く、何でも「出ていって、出ていって」と言いながら、シッシッシッの手振りをすれば、素直に出ていくのだとか…本当かな。眉唾だと思って聞けば、そうだし、そうかもしれないと思って聞けば、あり得るような気もするし…。
時々、彼らと話していると、お話の国にいるような気分になることがあるのです。それも面白いことですけれども。
もちろん、生き物ですから、誰でもというか、どの対象であろうと、生まれたからには生きる権利はある。しかし、ごく普通にそういう「ウワバミ」と暮らしている人達を目にして、「ヘビが怖い」なんぞは言えません。私が見たことがあるというのは、最長でも50センチには満たなかったでしょうし。子供時に見た「アオダイショウ」は巨大に見えたのですが。
日々是好日