日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「自分の国を誇るのはいいけれども、皆が皆、他の国を貶めたら、良い国でも何でもなくなってしまうよ」。

2014-06-06 18:05:06 | 日本語の授業
 曇り。

 今朝も…(昨夜から)ずっと大雨が続いている…と思って、窓を開けたのですけれども…ベランダは乾いていました。

 昨日、関東地方も「梅雨入り」し、本格的な「雨の季節」が始まりました…多分。

 雨の日は、「ジメジメ、ジトー」として、鬱陶しいだけ…というわけではないことを、学生達にも判ってもらいたいのですが…。外に出ましょう、長靴を履いて、傘をさして…と言ったところで、ベトナム人学生やスリランカ学生の足元を見ると、つっかけ…。そうか、彼等は、夏はつっかけなんだ。内履きも、外履きも同じ。おんなじような、つっかけだったんだ…。そういえば、ペキンの人もそうだった。男の人は、どこへ行くのも、半パンにつっかけ履きだったっけ…。

 夏暑いと、そうなるのでしょうね。これは習慣だから、しようがないか。それを考えると、ジトジト、ムシムシするこの時期に、長靴だったり、蒸れやすい靴だったり、あるいはスポーツシューズだったりを穿いている、日本人は、本当に忍耐強いというか…。

 そうだ。楽な恰好をして歩いてもいいんじゃないかと、思わず彼等の肩を叩いてやりたくなってしまいます。

 日本人は、周りの目が気になるのでしょうか。それとも、外に出る時くらい、バシッとした恰好をしたいのでしょうか。確かに、考えてみれば、堅苦しい…。

 私がいろいろ考えているうちに、学生達はどこかへ行ってしまいました。彼等は(日本へ来ても)外へ出て、日本人と話し、日本語の勉強をするよりも、時間があったら、部屋の中で、ゲームをしたり、友達とダベリングをしたりしたいのでしょう。母国にいた時と、できれば、同じように過ごしたいと思っている学生達が大半のような気がするのです。

 さて、学校です。

 昨日、学生達に、日本の社会の変化について、少し話をしました。文化も、習慣も、そして伝統行事も、少しずつ変わってきていると言ったのですが、その後、「さて、君たちの国では」と振ってみました。最初は顔を見合わせていた学生達も、自分の国のことをいくらでも言っていいのだということがわかりますと、私の国はこうですと先を争って言い始めました…。

 もちろん、それはそれでいいのですが、そこで終わりなのです。「私の国は、『こうだ、こうだ』」で、終わりなのです。それから一歩進んで、「ここが、日本と違う」とか、「それはどうしてなのか」とか、「どうなった方が良いのか」などの方へは行かないのです。、途端に口が貝になってしまうのです。中には、日本と違うということを言う学生もいましたが、それは「だから、私の国はすばらしい」を言わんがためのもので、意見でもなんでもないのです。

スリランカでは、
「お母さんは、朝、6時に起きて、みんなの御飯を作ってくれます」
「男の人は、料理なんて作りません」
「女の人は会社へ行きません。ずっと家の仕事をしています。男の人が働いて、お金をみんなにあげるのです」
「女の人は、夕方、6時よりあとは、外に出ません」
「お正月は、昔から一緒です。変わりません。同じことをします」

ベトナムでは、
「お母さんが、朝早く起きて、料理を作ってくれます」
「ベトナムでは、暑いですから、昔から、△形をした帽子をかぶります」
「お正月には、みんな、お米で作ったケーキを食べます。家で作ります。中にはお肉も豆もいろいろな野菜が入っています」

人数の少ない、フィリピン学生は。
「料理は、男の人が作ってもいいし、女の人が作ってもいいです。同じです」を言うのがせいぜいでしたが。

 彼等の話は皆、「自分の国がいい」、「他はおかしい」と思っているように聞こえるのです。

 スリランカの学生に、どうして女の人は夕方暗くなったら、外に出てはいけないのかと聞いみると、黙っています。多分、どうして出てはいけないのか、出られないのかなんて考えたことがなかったのでしょう。

 「私の国は、こうだ」で、終わっているのです。

 もし、1000年も前のリーダーが決めたことをそのまま、今でも守らなければならないとすれば、必ず、息苦しくなって耐えられなくなる人が出てくるはずです。

 ルールを決めた時が、戦時下であったとしたら、平和を取り戻した時には、変えて然るべきでしょう。

 以前、ペルーの女の子を教えたことがありました。彼女は小学校の数年を日本で過ごし、それから、2、3年、ペルーに帰っていたのですが、どうしても日本に戻りたいといって中学三年生の時、また日本に来たのです。けれども、小学校レベルの日本語と中学校の2年間で習得する日本語とは大きな差がありました。その上、中学校の2年間は、言語を習得するだけではなく、それに付随した知識(本末転倒かもしれませんが)も入っているわけですから、小学校レベルの日本語や知識では、進学したいにせよ、他の人たちと太刀打ちできなかったのです。

 戻ってきても大変なことは判っていたであろうに、どうして戻ってきたのかと聞くと、「日本ではコンビニが24時間開いていて、いつでもおいしいものが食べられた(向こうでは、食事も質素だったと聞きます)。それに、向こうは、夕方になると、女の子は外に出られない」。

 彼女は、少なくとも、ペルーに帰された時点で、それなりの不満があったのだろうと思います。だから、日本とペルーとを比較し、どちらの国がいいか、それはなぜなのかを考えたのでしょう。もちろん、彼女はまだ中学生でしたから、「考え」にしても、「嫌だった」くらいのものでしかなかったのですが。

 ところが、既に高校を出ているにもかかわらず、留学生達には、物事を比較するという習慣も、なぜそうなのかと考えるということも、ほとんどないのです。これはこの期の学生だけというわけではありません。多分、そういう教育をあまり受けていない…ような気がするのです。

 もちろん、外国へ行くと、自分の国が、欠点のない、夢の国のように見えてくるというのは、本当でしょう。だから、と言ってしまえばそれまでなのですが、それにしても、もう少し、客観的な目が欲しいし、建設的な意見も欲しい。

 結局、あれやこれやと、私が欲張りなことを言ってしまって、学生達を少し暗い気持ちにさせてしまいました。終わってから、反省すること頻り。もう少し、じんわりと攻めるのでありました。

日々是好日、
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