日本語学校からこんにちは ~水野外語学院~

千葉県市川市行徳にある日本語学校のブログです。日々の出来事、行事、感じたことなどを紹介しています。

「ヘナ」で描かれた模様。これは自分で一時間かけて描いたと言う。結婚式の時は十時間以上かけて描いてもらう…らしい。

2024-06-19 09:38:41 | 日本語学校

晴れ、

昨日の本格的な雨のおかげでしょう。清々しい朝を迎えています。陽が高くなると、おそらく耐えきれないほどの暑さになるのしょうが、今はまだ大丈夫。爽やかさを満喫しています。葉末のしずくに陽が当たり、煌めいて…久しぶり。

予報では、今日と明日は晴れで、それからはぐずつきがちなお天気が続くとか。いよいよ「梅雨入り」になるのでしょうか。今日入ったって、随分遅いことになるのに、こうも遅いと、まるで「入った、降った、終わった」みたいになって、下手をすると、夏には水不足になるかもしれませんし、反対に、降ったら降ったで、短い分、まとまって降って集中豪雨になったり、線状降水帯が居座って、大ごとになるかもしれません。

穏やかな日本の四季はどこへ行ってしまったのでしょうね。あと10年か20年もすれば、今よく知られている「風物詩」なんて物の一つ一つが死語になっているかもしれません。

さて、学校です。

一昨日、イスラムの「犠牲祭」で遅刻してきた学生。昨日よくよく見ると手に何やら模様が描かれてある。左手首から指先まで、かなり凝った模様が描かれている。それは何ですかと訊くと、「ヘナ」だという。なんでも描くのに、小一時間はかかったそうな…。それは左手だけ。右手は掌の中心を(甲も平もですが)、丸く染め、あとは指先を染めている。隣のスーダン人学生が「私もする」と言ったので「イスラムだけ?」訊くと「いや、インドもパキスタン、バングラデシュもする」。

すると、ネパール女子学生が「自分たちもする」。一人が振る向いて、「私たちの所はしない」。…そうもしないところもあるようですね。話の輪の中に入りたかったのか、バングラデシュの男子学生が「はい、私もします」と言ったものだから、さあ、大変。一斉に矢が飛んできた。「男子はしない」。打たれましたね。どうも、こういうのは、茶々を入れてはいけないことのようで、受けるかと思って言った男子、小さくなって下を向いてしまった。これじゃ立ち直るのに時間がかかるかな。…じき、立ち直りましたけれども、今、言っていいのかどうなのか、言いたそうな様子は見せるけれども、模様見のようす。あれはまずったと思ったのでしょう。ちとこたえたかな。

スーダンからの女子も、「私たちもところでもある」と言って、スマホの写真を見せてくれました。そこに写っている彼女は手だけでなく足首にも模様が描かれていた。「決まった模様ですか」と訊くと、自分で自由に描くのだという。なぜか女子軍、時間がかかるねえ。でも楽しいねえと話が盛り上がっている。

その輪には入れないのは、タイ人二人と日本人の私だけ。

こういう近い国でも、同じ宗教でも、互いのことがよくわかっていないということがよくあるようで、英語やら日本語やら、ヒンディー語やら、ネパール語やらで話している。そっちもそうなのか。自分たちの所ではこうだなんて話していたのでしょうね。時々邪魔にならないように、控えめにバングラデシュの男子が口を挟んでいる。

以前、ネパール人中学生が、半年ほどでしたか、日本語を習いに来ていたことがありました。その時、ちょうどバングラデシュの留学生もいて、互いのことを本当に知らないのだなとちょっと驚いたことがありました。

まあ、彼が幼かったからかもしれませんが、自分の国は、他国とは違う特殊な国で、何でもかんでも他者の追随を許さない、特別な国だという誇りというか、そんなモノが言葉の端々に感じられて、これはまずいぞと思ったことがあったのです。人が自国に誇りを持つというのは当然のこと。皆が、それをもつべきではありますが、それには軽重がないということも同時に知っておかねばなりません。自分の所だけが優れているなんて、それは世間知らずの物言いでしかない。どこの国のものが優れていて、どこのものが劣っているなんてことは、だいたいあり得ない。それ自体「生存の証」でありますから。

そんなことを匂わせれば、特に子供は敏感ですから、それだけで反感を持たれかねないし、馬鹿にされてしまうかもしれません。世界中には、それこそ、多種多様な民族、宗教があって、それぞれが独自のモノをもっていて、どれが優れているとか、どれが一番だなんて思うこと自体が、すでに時代遅れで、野暮天ということになってしまいます。

そんな彼が、一番先に彼がショックを受けたのは、ネパールの各月(暦)の名のことでした。ちょうどバングラデシュの学生がいて、彼と(バングラデシュの)各月の名の所を見ていたのですが、そこを見て、「ええ!」と驚いたネパールの少年。彼は、こんな名前にすぎぬことも、自分たちの国だけで、だから他の国にはない、すごいことの一つだと思っていたらしいのです。

「インド文化圏の一つだからね」が通じないのです(インドも同じかどうかは判りませんが。どちらにせよ、インドは広い。地域によって違うかもしれません)。自分たちが発祥の地であって、他はそれをまねしているに過ぎぬとでも思っている…ようにとれた。そういう教育を受けてきたのでしょうね。気の毒なことに。

だから、「バングラデシュもそう言うのか」と愕然とし、「ああ、やっぱり同じだね」とニコニコするとはならないのです。日本人は、かつて中国文化が日本文化に与えた影響が大きいということは、皆、知っている事実ですから、おそらくインドとネパールの関係もそうであろうと考え、やっぱりねとなるのですが、彼はそうならない。

このネパール人中学生、じっと考え込んでいました。こういうことが一つ二つどころではなく、母国で「自分の国はすごいんだ」と、そういう教育を受けてきたら、外国では大変だなとかわいそうになってきたのですが、それでもことある毎に、そういうのが出てくるのです。アメリカなんぞが相手だったらそうはならないのでしょうが、たかだか日本のような小国が相手ですから、こうなってしまうのでしょう。

せっかく外国に来ていて、見聞を広められるというのに、小さな排他的な雰囲気の中で固まっていたら、それだけで、見知らぬ人達は人は遠ざかって行きます。

これも小さな山国であるからでしょうね。排他的になるのも、他国が見えないというのも。影響を受けるのは、中国とインドくらいでしょうから。異国に来たら、自分たちはすごいと自分たちだけの輪っかに入って、自己防衛するのではなく、気持ちを広げることが大切でしょうね。そうすれば、友達も寄ってくるでしょう。ゆがんだ自尊心から他者を遠ざけてしまえば、損をするのは結局は自分ということになってしまいます。

もっとも、今ここで学んでいるネパール人学生はそういう傾向はあまり見受けられません。留学するくらいですから、最初から多少は外国に対する知識はあったでしょうし、高校卒ということは大半が二十歳前後ということもあって、大人だからでしょうね。

まあ、よけいなことを思い出してしまいましたが、昨日は皆でいろいろなことをいくつかの言語で話し、お互いに、本の勉強以外で楽しい時をいささか過ごせたような気がします。

日々是好日

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« クラスを移っても、すぐにみ... | トップ | こういう気候は…、留学生達の... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

日本語学校」カテゴリの最新記事