ローレンス クラウス/著、青木薫/訳 「宇宙が始まる前には何があったのか? 」読了
この本、原題が「A UNIVERSE FROM NOTHING」なので直訳すると「無からの宇宙の始まり」というような感じになると思うので、“何があったのか”というのと少し意味合いが違うような気がするが、結論が、「何もなかった。」というのだから、まあ、同じようなものなのかもしれない。
現代の物理学が描く宇宙の始まりは、何もない無の状態が量子の揺らぎによりエネルギーの均衡が崩れビッグバンにつながったということになっているそうだ。
無の状態といっても本当に何もないのではなく、プラスのエネルギーとマイナスのエネルギーが常に発生し、それが打ち消しあって消滅を繰り返しているという。それはすさまじいエネルギー量でそれの10億分の1の均衡が崩れて宇宙の素になったというのがこの本の結論だ。
そう書きながらも、これを書いていてもこれで合っているのかどうかがわからない。
今の宇宙空間も同じで、宇宙は真空といいながら、プラスのエネルギーとマイナスのエネルギーが常に発生し、それが打ち消しあって消滅を繰り返しているという。宇宙の始まりであるビッグバンのときに発せられたエネルギーの総量というのは、観測できるエネルギーの量と比べるとはるかに大きいそうだ。ダークエネルギーと言われるそれは観測できるエネルギーの約2.5倍、全エネルギーの7割あるという。
その見えないエネルギーの大半が、宇宙の真空の中で生まれては消えてゆく。
そんな世界で僕たちは生きていて、そんな世界を構成する物質で僕の体はできている。
もうひとつ言うなら、物質は原子でできていて、それはもっと小さいクォークという粒でできている。
そして、万有引力や物に重さというものを与えているのも小さな粒だという。
そんなことは信じられないといいながら、現実としてはその事実をもとにコンピューターが作られ、原子爆弾が作られている。
しかしそれでも信じられない。宇宙の真実が、100万人にひとりが理解できるかどうかという難解な数学でしかわからないほど複雑なものなのだろうかと・・。
著者は、万物は神が創りたもうたと考える人たちに対して強い反感を持っているようで、そう考える人たちに対する批判をところどころで展開をしている。僕も、まさか神様がいて、最初に、「光あれ~。」って言って宇宙が始まったとは思わないけれども、どうしていくつかの粒々が選ばれることになったのか、どうしてそんな難しい数学が必要なのかということには疑問を持つ。(実はもっとシンプルな世界なのかもしれないが。)
著者はそれに対して、オッカムの剃刀という言葉と、人間原理という言葉を使っている。両方とも、科学的ではないけれども、要は、それは偶然にそうなったのだということだ。多重宇宙論というものがあるが、この宇宙とは何の関係もない宇宙ではまったくことなる物理法則があってもなんら問題はないという、何もかもが偶然の産物で、必然などというものは何もない。まあ、身勝手といえばそれまでだが、この宇宙だけでも十分に広すぎてそれよりも外の世界のことまで考えなくてもいいだろうというのもなんとなく納得ができるのである。
※オッカムの剃刀・・ある事柄を説明するためには、必要以上に多くを仮定するべきでないという例え
※人間原理・・宇宙の構造の理由を人間の存在に求める考え方。「宇宙が人間に適しているのは、そうでなければ人間は宇宙を観測し得ないから」という論理を用いる。
この本は、翻訳者の腕前がいいのか、この手の本としてはすごく読みやすかった。(内容の理解度は別として・・)テーマは今まで幾度となく読んできたもので、結局の結論は宇宙はなにもないところから始まり、宇宙空間は真空とはいえエネルギーで満ち溢れているというものだが、昔、NHKのBSで放送された、「コズミックフロント」で同じテーマを取り扱ったものが放送され、それはビジュアル的にもものすごくよくわかった。といいながらその内容の記憶はほとんどないのであるが、あの番組を録画しておいて、それを見ながらこの本を読めばもっと内容がよくわかったのではないかと悔やまれる。
著者について調べてみると、数年前にセクハラで大学を辞職したというような記事を見つけた。
読んでいる途中でそんな記事を見つけてしまったものだから、この本の内容がなんだか胡散臭く思えてしまったのが残念でならない。
この本、原題が「A UNIVERSE FROM NOTHING」なので直訳すると「無からの宇宙の始まり」というような感じになると思うので、“何があったのか”というのと少し意味合いが違うような気がするが、結論が、「何もなかった。」というのだから、まあ、同じようなものなのかもしれない。
現代の物理学が描く宇宙の始まりは、何もない無の状態が量子の揺らぎによりエネルギーの均衡が崩れビッグバンにつながったということになっているそうだ。
無の状態といっても本当に何もないのではなく、プラスのエネルギーとマイナスのエネルギーが常に発生し、それが打ち消しあって消滅を繰り返しているという。それはすさまじいエネルギー量でそれの10億分の1の均衡が崩れて宇宙の素になったというのがこの本の結論だ。
そう書きながらも、これを書いていてもこれで合っているのかどうかがわからない。
今の宇宙空間も同じで、宇宙は真空といいながら、プラスのエネルギーとマイナスのエネルギーが常に発生し、それが打ち消しあって消滅を繰り返しているという。宇宙の始まりであるビッグバンのときに発せられたエネルギーの総量というのは、観測できるエネルギーの量と比べるとはるかに大きいそうだ。ダークエネルギーと言われるそれは観測できるエネルギーの約2.5倍、全エネルギーの7割あるという。
その見えないエネルギーの大半が、宇宙の真空の中で生まれては消えてゆく。
そんな世界で僕たちは生きていて、そんな世界を構成する物質で僕の体はできている。
もうひとつ言うなら、物質は原子でできていて、それはもっと小さいクォークという粒でできている。
そして、万有引力や物に重さというものを与えているのも小さな粒だという。
そんなことは信じられないといいながら、現実としてはその事実をもとにコンピューターが作られ、原子爆弾が作られている。
しかしそれでも信じられない。宇宙の真実が、100万人にひとりが理解できるかどうかという難解な数学でしかわからないほど複雑なものなのだろうかと・・。
著者は、万物は神が創りたもうたと考える人たちに対して強い反感を持っているようで、そう考える人たちに対する批判をところどころで展開をしている。僕も、まさか神様がいて、最初に、「光あれ~。」って言って宇宙が始まったとは思わないけれども、どうしていくつかの粒々が選ばれることになったのか、どうしてそんな難しい数学が必要なのかということには疑問を持つ。(実はもっとシンプルな世界なのかもしれないが。)
著者はそれに対して、オッカムの剃刀という言葉と、人間原理という言葉を使っている。両方とも、科学的ではないけれども、要は、それは偶然にそうなったのだということだ。多重宇宙論というものがあるが、この宇宙とは何の関係もない宇宙ではまったくことなる物理法則があってもなんら問題はないという、何もかもが偶然の産物で、必然などというものは何もない。まあ、身勝手といえばそれまでだが、この宇宙だけでも十分に広すぎてそれよりも外の世界のことまで考えなくてもいいだろうというのもなんとなく納得ができるのである。
※オッカムの剃刀・・ある事柄を説明するためには、必要以上に多くを仮定するべきでないという例え
※人間原理・・宇宙の構造の理由を人間の存在に求める考え方。「宇宙が人間に適しているのは、そうでなければ人間は宇宙を観測し得ないから」という論理を用いる。
この本は、翻訳者の腕前がいいのか、この手の本としてはすごく読みやすかった。(内容の理解度は別として・・)テーマは今まで幾度となく読んできたもので、結局の結論は宇宙はなにもないところから始まり、宇宙空間は真空とはいえエネルギーで満ち溢れているというものだが、昔、NHKのBSで放送された、「コズミックフロント」で同じテーマを取り扱ったものが放送され、それはビジュアル的にもものすごくよくわかった。といいながらその内容の記憶はほとんどないのであるが、あの番組を録画しておいて、それを見ながらこの本を読めばもっと内容がよくわかったのではないかと悔やまれる。
著者について調べてみると、数年前にセクハラで大学を辞職したというような記事を見つけた。
読んでいる途中でそんな記事を見つけてしまったものだから、この本の内容がなんだか胡散臭く思えてしまったのが残念でならない。