イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

「泥酔文学読本 」読了

2020年11月30日 | 2020読書
七北数人 「泥酔文学読本 」読了

『酒と文学は似たようなところがある。どちらも陶酔を誘う』という言葉でこの本は始まる。「月刊酒文化」という雑誌(こんな業界誌があるんだと驚く。)に連載されていたものをまとめたものだそうだ。
著者は文学の評論家ということだが、その博覧強記ぶりはすごい。
この本の中にもどれだけの作家と著作が登場しているのだろう。それがすべて酒、飲酒に関するもので縦横に絡まり著者の経験や意見を相まみえながら書き進められている。特に、坂口安吾と村上春樹にはかなり傾倒してるようで思い入れも大きいようだ。

『酒と文学さえあれば、もうそこはユートピアだ。つらい話、やるせない話は極力避けよう。アル中の話でもそんなに暗く書かない。笑える話、桃源郷へのいざなう話、怖い話、不思議な話、荒唐無稽な話、ほんわかする話、しんみりする話、じ~んとくる話、ぐにょぐにょした話や、むちむちした話、酒びたりが許されてしまうダメ人間の天国・・・』と多岐にわたるのだと書いているが、その全体の中には、酒を飲むということは、ここではない世界への入り口の前に立つことであり楽園へのいざないであるということが必ず盛り込まれている。
たとえそれが太宰治や坂口安吾、全然知らない作家だが、辻潤(この人はすごい。)のように、現実から逃避するため酔うためだけに飲んでいたとしても、マッチ売りの少女を引き合いに出してこう説明している。
「アンデルセンのマッチ売りの少女のモデルはアンデルセンの母親だったそうだ。子供の頃から貧しく物乞いに出され、橋の下でいつも泣いていたという。晩年はアル中で命を縮めたというが、マッチの炎の中にはかない夢をみたことと、酒の陶酔はおなじではないか。」
そういうことである。
だからその文章には悲観的なものは見えない。それが楽しく読めるひとつのポイントになっている。
また、取り上げられている作家も著作もほとんど知らないものばかりだがそれもうまく説明が加えられていてぜんぜん難しいと感じない。それも著者の文才の賜物のような気がする。

前に読んだ、小玉武というひとの著作もそうであったが、文学を研究している人の読書量と見識というのはものすごいと思ったのだ。
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