今日はイカを釣りに行こうと思っていたが朝起きていつもの工場の煙突を見てみると煙が大きくたなびいている。もうひとつの指標として庭の隅に植わっている南天の葉っぱが揺れていると今日は厳しそうだということになるのだが、両方ともあてはまってしまっていた。
なんだか無理をしてまで行きたくないなという思いと、叔父さんの家の獅子ゆずがそろそろいい感じになっているはずなのでそちらを優先してしまった。
修理に出していたリールがやっぱり修理不能だということで頼んだ釣具屋さんに戻っているのでそれを引き取りにいくついでに粗大ごみをエネルギーセンターに持ち込んだのだが、河口にまたがる大きな橋から沖を見ても、とくに用事はなくてもやっぱり行ってしまう港の中も、なんとも穏やかな海面をしている。あらら、この感じでは行けたのではないかと悔やみながらも、仕方がない。ピールを作って、リールが修理不能で戻ってきたら自分で修理してやろうと思っており、修理にはどれだけ時間がかかるかわからないので軽く半日過はぎてしまうだろう。
午前中に獅子ゆずの収穫。今年は2個実っていたのだが、ものすごく大きくなっている。直径は25センチ以上ありそうだ。
薄く切ってゆくと大量のスライスが出来上がった。これを重さの約半分の砂糖と果肉を絞った果汁で煮ていくのだが、砂糖を900グラムも使ってしまった。鍋もいつも使っているものでは小さすぎるのでタケノコをゆでるときに使う我が家最大の鍋を引っ張り出してきた。
ざるに広げて乾燥させるところまで作業して午後3時。けっこうかかってしまった。ひとつひとつ重ならないように広げてゆくのが意外と大変だ。これで2、3日間乾燥させてグラニュー糖をまぶせば完成だ。
引き続きリールの修理。前回のブログで、ピアノ線を使ってバネを作ってみようかと書いたが、その後、近所にあるコーナンプロを覗くと、折れたトーションバネとよく似た大きさのものが売っていて、これを少し加工すればなんとかなるかもしれないと思っていた。
リールを分解してバネを取り出し、コーナンプロへ走る。うまくサイズが合っていればバネのほうを購入する。
こんなとき、近くにこんな店があると助かる。一杯飲んでいても自転車でさっと行ってくることができるのだ。獅子ゆずの実を絞るとけっこうたくさんの果汁が取れる。三分の二は皮と一緒に炊き込むのだが、残りは炭酸とラム酒で割って作業をしながら飲んでしまった。
トーションバネの値段は税込み305円。これで直ってくれれば御の字なのだが・・・。
早速取り出したバネと見比べると買ったバネのΦが少し小さい。
無理にはめ込めば何とかなりそうなので折れて無くなっている部分も想像しながらバネを曲げてゆく。2回試行錯誤してなんとかセット完了。レバーを操作してみるとストッパーの部品はきちんと作動している。
ローターをもとに戻して回してみると確かにストッパーは正常に作動し、レバーをオンにするとローターは逆転しなくなった。ロックをフリーにするときのレバーの硬さも以前と同じだし、気になっていた変な擦過音も少し抑えられている感じもする。
念のため100回レバーを操作して確認してみるととりあえずきちんと作動している。実戦での確認は年明けになると思うが、年に1回行くか行かないかになってしまった磯のフカセ釣りも引退まで多分最大でもあと5回だ。それまで持ってくれればと思うのだ。還暦を過ぎたら冬の磯はきつかろうと考えている。
しかし、メーカーのほうも杓子定規というか、金型の必要な部品ならいざ知らす、こんなバネみたいな部品なら手作りで対応してくれてもいいのではないかと思う。リールも高耐久のギアを使い、気密性も高まり錆にも強くなって耐久性が高くなってきているのだからそれなりに長く使えるような対応をしてもらいたいものだ。まあ、このリールは2001年のモデルで、20年も後生大事に使い続けられたらメーカーの方も儲けがないというのもわからないではないのだが・・・・。
なかなか壊れないものを作りながらどんどん買い替えてくださいというのはどこか矛盾していると思うのだが、こんなことを言っているから小売りの世界でうまくやっていけないのであろうと自己分析してみるのである。
確かに、規格品を使わずに修理をするとなると後々のクレームが怖いという日本独特の“お客様は神様です。あなたの言うことは絶対です。”というおかしな感覚が、なんとかしてお客を助けてあげたいという気持ちを萎えさせるのだということも小売りの仕事の中で学んだことでもあるのでメーカー側の対応もわからないではない。
もともと何かを作ったりいじくったりするのが好きな性分なのでこういう作業は楽しい。そして、自分で手を加えた後は、それがやっと自分の手のひらの中に納まったという感じがして、それ以前より愛着が深まるような気がする。それまではなんだか自分のものであっても少しよそよそしい感じがするものだがその距離が一気に縮まるような気がするのだ。
こうやって壊れたところを修理してみたり、中古の品を買ってきて磨いてみたり、そういうことは新品を買っては古くなったものをどんどん買い替えてしまうというよりも楽しいものなのだと思っている。まあ、もともとお金をたくさん稼げるような人間だったならそういった感覚も違ったものを持っていたのかもしれないが・・。
なんだか無理をしてまで行きたくないなという思いと、叔父さんの家の獅子ゆずがそろそろいい感じになっているはずなのでそちらを優先してしまった。
修理に出していたリールがやっぱり修理不能だということで頼んだ釣具屋さんに戻っているのでそれを引き取りにいくついでに粗大ごみをエネルギーセンターに持ち込んだのだが、河口にまたがる大きな橋から沖を見ても、とくに用事はなくてもやっぱり行ってしまう港の中も、なんとも穏やかな海面をしている。あらら、この感じでは行けたのではないかと悔やみながらも、仕方がない。ピールを作って、リールが修理不能で戻ってきたら自分で修理してやろうと思っており、修理にはどれだけ時間がかかるかわからないので軽く半日過はぎてしまうだろう。
午前中に獅子ゆずの収穫。今年は2個実っていたのだが、ものすごく大きくなっている。直径は25センチ以上ありそうだ。
薄く切ってゆくと大量のスライスが出来上がった。これを重さの約半分の砂糖と果肉を絞った果汁で煮ていくのだが、砂糖を900グラムも使ってしまった。鍋もいつも使っているものでは小さすぎるのでタケノコをゆでるときに使う我が家最大の鍋を引っ張り出してきた。
ざるに広げて乾燥させるところまで作業して午後3時。けっこうかかってしまった。ひとつひとつ重ならないように広げてゆくのが意外と大変だ。これで2、3日間乾燥させてグラニュー糖をまぶせば完成だ。
引き続きリールの修理。前回のブログで、ピアノ線を使ってバネを作ってみようかと書いたが、その後、近所にあるコーナンプロを覗くと、折れたトーションバネとよく似た大きさのものが売っていて、これを少し加工すればなんとかなるかもしれないと思っていた。
リールを分解してバネを取り出し、コーナンプロへ走る。うまくサイズが合っていればバネのほうを購入する。
こんなとき、近くにこんな店があると助かる。一杯飲んでいても自転車でさっと行ってくることができるのだ。獅子ゆずの実を絞るとけっこうたくさんの果汁が取れる。三分の二は皮と一緒に炊き込むのだが、残りは炭酸とラム酒で割って作業をしながら飲んでしまった。
トーションバネの値段は税込み305円。これで直ってくれれば御の字なのだが・・・。
早速取り出したバネと見比べると買ったバネのΦが少し小さい。
無理にはめ込めば何とかなりそうなので折れて無くなっている部分も想像しながらバネを曲げてゆく。2回試行錯誤してなんとかセット完了。レバーを操作してみるとストッパーの部品はきちんと作動している。
ローターをもとに戻して回してみると確かにストッパーは正常に作動し、レバーをオンにするとローターは逆転しなくなった。ロックをフリーにするときのレバーの硬さも以前と同じだし、気になっていた変な擦過音も少し抑えられている感じもする。
念のため100回レバーを操作して確認してみるととりあえずきちんと作動している。実戦での確認は年明けになると思うが、年に1回行くか行かないかになってしまった磯のフカセ釣りも引退まで多分最大でもあと5回だ。それまで持ってくれればと思うのだ。還暦を過ぎたら冬の磯はきつかろうと考えている。
しかし、メーカーのほうも杓子定規というか、金型の必要な部品ならいざ知らす、こんなバネみたいな部品なら手作りで対応してくれてもいいのではないかと思う。リールも高耐久のギアを使い、気密性も高まり錆にも強くなって耐久性が高くなってきているのだからそれなりに長く使えるような対応をしてもらいたいものだ。まあ、このリールは2001年のモデルで、20年も後生大事に使い続けられたらメーカーの方も儲けがないというのもわからないではないのだが・・・・。
なかなか壊れないものを作りながらどんどん買い替えてくださいというのはどこか矛盾していると思うのだが、こんなことを言っているから小売りの世界でうまくやっていけないのであろうと自己分析してみるのである。
確かに、規格品を使わずに修理をするとなると後々のクレームが怖いという日本独特の“お客様は神様です。あなたの言うことは絶対です。”というおかしな感覚が、なんとかしてお客を助けてあげたいという気持ちを萎えさせるのだということも小売りの仕事の中で学んだことでもあるのでメーカー側の対応もわからないではない。
もともと何かを作ったりいじくったりするのが好きな性分なのでこういう作業は楽しい。そして、自分で手を加えた後は、それがやっと自分の手のひらの中に納まったという感じがして、それ以前より愛着が深まるような気がする。それまではなんだか自分のものであっても少しよそよそしい感じがするものだがその距離が一気に縮まるような気がするのだ。
こうやって壊れたところを修理してみたり、中古の品を買ってきて磨いてみたり、そういうことは新品を買っては古くなったものをどんどん買い替えてしまうというよりも楽しいものなのだと思っている。まあ、もともとお金をたくさん稼げるような人間だったならそういった感覚も違ったものを持っていたのかもしれないが・・。