イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

三浦哲哉 「食べたくなる本 」読了

2020年11月29日 | 2020読書
なかなか面白そうなタイトルだと思って借りてみた。内容も見なくて著者のことも知らないが、日本文学の書架にあったので何か食に関するエッセイだと思っていたが、食に関する著作を取り上げ、それについて書評や著者自身の考えを述べているという内容であった。

レベルには天と地以上の差があるけれども行ってみれば僕のブログのようなものだ。取り上げられた著作は多岐にわたり、それぞれの著者の食に対する考え方もすべて異なる。栄養指向、家庭料理、手の込んだもの、手抜き、オーガニック、ニューベルキュイジーヌ・・・。なぜかサンドイッチ考という章もある。
だからどうも本自体にまとまり感がない。それに加えて、著者自身は、『好きなだけ料理店めぐりをできるほどの経済的かつ時間てきな余裕はなかった。育児などの生活に追われ外食の時間がますますとれなくなった。だから昔も今も、未知への料理の渇望の念は、もっぱら料理の書物に向けられた。』という感じなので、自分で作ってみて、または食べてみてどうかという著者自身の考え方のようなものはまったく出てこない。
ひたすら書物で食を感じるというのは、通信教育で空手を習うようなものなのではなかろうかと思うのだ。

なので僕も何か感想を書こうにも何を書いていいのかがわからないという感じになるのだ。
そして、著者のプロフィールを見てみると、青山学院大学の准教授で映画の研究をしている学者ということだから、文章自体も難しい。僕より12歳も若いが使っている言葉もよくわからないものが多いのでよけいにこの人はこの本で何を言いたいのかというのが僕の前に形となって表れてこないのだ。

結局、食に対する考え方というのは千差万別で、どういう食べ方がよくてどういう食べ方が悪いのかというようなことはわからない。偏食で体を悪くしてもそれはその人の責任だし、栄養や健康に気を使っても早死にする人は早死にする。丸元淑生という作家(著者はこの作家にかなり傾倒している感がある。)は栄養に気を付け、ストイックなほど健康に気を使ったが食道がんで死んだそうだ。そういうことだろう。
北大路廬山人は、『裕福な環境で贅沢をしてこないかぎり美食は身につかない。』と言ったそうだが、それもしかり、たまには高級レストランでコース料理みたいなものを食べたいと思うが、やっぱりそういう身分でなければその料理の意味が分からないのだから別に無理して行かなくていい。
結局、今食ってるものを食べ続けるというのが実は一番自分にとって美味しいと思うのではないかというのが著者の言いたいことだったのだろうか・・?

それさえもわからないほど、「食べたくなくなる」というよりも、「眠たくなる」1冊であった。

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