イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

水軒沖釣行

2020年05月18日 | 2020釣り
場所:水軒沖
条件:若潮 3:51満潮
釣果:サバ 19匹 マアジ 1匹

昨日は爆釣だったそうだ。それを聞いたら行かずにはいられない。今日の目的は燻製のネタの確保だ。
出港時間は午前4時15分。すでに辺りは明るくなり始めていた。今日も無風状態だ。



そして、雨が近いので東の空は真っ赤に染まっている。久々に見る幻想的な空の色である。



昨日は水深55メートル付近が好調だったらしいので、針路を少し南に取り沖を目指す。フィリピンの沖にある台風の影響で波高の予想はけっこう高かったけれどもほぼべた凪状態だ。
水深50メートル付近に差しかかったとき、小さいけれども反応があった。停船して仕掛けを下してみる。
う~ん、アタリはない。今日はニューロッドのデビューの日なのにこれはまずい。まあ、ニューロッドといっても1200円で買った中古なのだが・・。



魚探にはまったく反応が見えないがやっとアタリが出た。
とりあえず1匹サバを確保。型はまずまずだ。

しかし、その後が続かない。
ずっと沖にも船がいるので僕ももう少し沖を目指した。だんだんと船の輪郭が見えてくると、なんとなく菊新丸さんっぽい。菊新丸さんはいつも青いスパンカーを広げて釣りをしている。双眼鏡で確かめてみると特徴的なレーダーアーチが見える。試しにメールを打ってみると確かにその通りだった。菊新丸さんはすでに20匹ほどを上げているそうだ。僕はその時点でまだ2匹。



昨日も出ていたそうだが、今日は厳しいとのことだ。20匹も釣っていて厳しいというのも贅沢な話だと思うけれどもこの人は普段は100匹単位釣り上げるそうだから僕とはレベルが違う。

そんなメールをやりとりしているとその最中に置き竿にアタリが出た。なんとかデビューに汚点を残さずに済んだ。
魚を生け簀に入れて仕掛けを下すとすぐにアタリ。その間に放っておいた手持ちの竿にもアタリが出た。とりあえず置き竿の分の魚を取り込んで手持ちの竿に取り掛かると仕掛けが道糸を巻きこんでえらくもつれてしまっている。
もう、こここまできてしまうと切るしかない。いつ群れがやってくるかわからないから直している暇もないのだ。ついおととい作ったばかりなのにもったいないことだ。



その後2回ほど群れに当たってとりあえずは燻製分とサバサンド分のサバは確保できたので午前7時半に終了。気が付けば初島の沖ノ島のはるか沖合まで流れてしまっていた。



今日の予定では午前6時半にはクーラー満タンで終了できるはずだったけれども1時間遅れでクーラー8分。



数は少なかったけれども型がまあまあだったのでかなり嵩は稼げた。それに大きなマアジもいい獲物になった。
今日は若潮でおまけに潮がまったく動いていなかったので、まあ、こんなものと思いたいけれども、菊新丸さんはその時点で70匹も釣っていたらしい。彼は僕より少し沖合で釣っていたけれどもわずかなその差でこんなに釣果に差が出るものなのだろうか。それとも何か仕掛けに差があるのだろうか。クーラーも小さいので数としてはこれくらいでもとも思うけれども、もっと釣っている人がいると思うと情けない。それに、僕も父親秘伝のビニールテープを使っているので少しは自信があったのだがこれでは凹まざるおえないのだ・・。

家に帰って燻製の仕込み。今日の魚はどれも大きいので少し塩分強い目でソミュール液を作ってみた。さて、仕上がりはどうなるだろうか・・。





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「NHKラジオ深夜便 絶望名言」読了

2020年05月17日 | 2020読書
頭木弘樹、NHK<ラジオ深夜便>制作班/著 「NHKラジオ深夜便 絶望名言」読了

変わったタイトルの本だと思い手に取ってみた。
この本は、NHKラジオで放送されていたものをそのまま対話形式で書き起こしたものだ。

文学者とアナウンサーの会話であるけれども、文学者曰く、人生につまずいたときには何か希望が湧いてくる文章や歌よりも絶望感のあるもののほうが受け入れられやすいという。
失恋したときには失恋ソングを聞いたほうが心が慰められるという。確かにそうかもしれない。
文学者は大学生の頃から13年間も闘病生活を続け入退院を繰り返した。
その体験を通して上記のような思いを持ったそうだ。
その名言を発するのは文学史に出てくるような作家たちだ。カフカ、ドストエフスキー、ゲーテ、太宰治、芥川龍之介・・・こんな人たちが紹介されている。

それぞれの作家たちの絶望名言をいくつか書き出してみる。

カフカ
『ぼくは人生に必要な能力を、なにひとつ備えておらず、ただ人間的な弱みしか持っていない。』
『無能、あらゆる点で、しかも完壁に。』
『将来にむかって歩くことは、ぼくにはきません。将来にむかってつまずくこと、これはできます。いちばんうまくできるのは、斃れたままでいることです。』

ドストエフスキー
『人生には悩みごとや苦しみごとは山ほどあるけれど、その報いというものははなはだすくない。』
『僕がどの程度に苦しんでいるものやら、他人には決してわかるもんじゃありゃしない。なぜならば、それはあくまでも他人であって、僕ではないからだ。おまけに人間てやつは他人を苦悩者と認めることをあまり喜ばないものだからね。』

ゲーテ
『絶望することができない者は、生きるに値しない。』
『快適な暮らしの中で想像力を失った人たちは、無限の苦悩というものを認めようとはしない。ても、ある、あるんだ。どんな慰めも恥ずべきものでしかなく、絶望が義務であるような場合が。』

太宰治
『弱虫は、幸福をさえおそれるものです。綿で怪我をするんです。幸福に傷つけられることもあるんです。』
『名案がふっと胸に浮かんでも、トカトントン
火事場に駆けつけようとして、トカトントン
お酒を飲んで、
も少し飲んでみようかと思ってトカトントン
自殺を考えてトカトントン』

芥川龍之介
『どうせ生きているからには、苦しいのはあたり前だと思え。』

なんともみんな素晴らしいほどの業績を残しながら、それでも自分を卑下している。それじゃあ、僕などはもっとどん底でいるしかないと悲しくなる。
太宰治のトカトントンにはなぜか共感する。何かをやりたいと思っていても心の中のどこかから「そんなのやっても無駄じゃないの?」みたいな声がしてくる。そして結局なにもかも面倒になってくる。
そう思って他の名言も読んでみると、絶望する人イコール面倒くさがりじゃないだろうかと思えてきた。たしかに忙しくしていると絶望している暇がなくなるのかもしれない。
ドストエフスキーや芥川龍之介は徳川家康のようだ。人生は絶望がついて回るということを知ったうえでも努力するひとが何かを成しうるひとであるのかもしれないと思う。


世界の人を楽観主義者と悲観主義者のふたつに分けるとしたら、僕は間違いない悲観主義者の部類に入るのだろうと思う。この本でも話されているけれども、幸せな状態が続くといつかまた不幸な状況が襲ってくるかもしれない。それなら、いつも不幸せのほうがそれに対する耐性ができるからいいのではないかと思ってしまう。よいほうに捉えると、いつも何か悪いことが起こると思っているとそれに対する警戒心が起きて不測の事態に備えることができることもある。
ずっとそんな感覚で生きてきたように思う。
昇格しても責任が重くなってもっと上の人から叱られることが多くなるのではないかと思い、子供ができても大きな荷物をしょい込んだとしか思えなかった。師の自伝的小説に、「青い月曜日」というのがあって、子供が生まれ、喜ぶでもなく逆に病院の廊下に呆然と主人公がたたずんで物語はおわるのだが、そんな本を読んでいたからかどうか、僕も同じ感覚であった。
大体が、悲観主義者でなかったら、このタイトルの本が目に止まることはない。

ふと思ったのだが、希望を持って生きるかと人生に絶望してしまうという分かれ目というのは、病気をして苦痛がなくならないということを除けば、人の役に立っているかどうかということを実感しているかどうかじゃないだろうか。
「あなたの役目は終わった。もう必要ないよ。」と言われるのが一番つらい。それでも働きに行かなければならないのがサラリーマンだ。3週間以上も仕事場を抜けてコンビニに行かされていても事務所は普通に回っている。メールも来なくなった。頭を使うこともなくなった。それが現実だ。他の部署で同じように狩り出された人たちの中には、年齢的な違いもあるのだろうが特に何の違和感もなく逆に張り切っているように見える人もいた。僕にはとてもじゃないがそんな気持ちにはなれない。彼らはそれでもそこに何か得るものを見つけることができたのだろうか。ペイペイの決済をレジ打ちできるようになったとしてそれが将来の業務の役に立つとでもいうのだろうか。

同じ部署にいる人で同じように狩り出された人は強引にそれを断ったそうだ。僕が事務所に戻った時、こんなことを言った。「お互い、あの大型店のオープンのために一生懸命尽くしたのに、あの時、たとえ業績がうまく上がらなかったとはいえ、この会社には社員に対するリスペクトがないんじゃないだろうか。僕はこんな仕打ちには断固抵抗した。」
なるほど、この人はこの人なりのプライドをちゃんと持っているんだ。しかし、僕には今さらそういう気概さえもなくなってしまった。役にたつもたたないも、いまはこれをやれと言われたことと淡々とやるだけでそれ以上でもそれ以下でもない。
そうは思いながらも今さらとはなんだけれども、今の仕事はやっぱり今さらやらされるような仕事でもない気がする。一体僕にはプライドがあるのかないのか、それさえも不確かになってきた。
そもそも、このコロナ禍の中で、休業していてもおそらく困る人の割合が一番少ない業界ではなかっただろうか。世間からも役に立っていると思われず、その中でも役に立っていないとなるとまったく処置なしだ。
そんなことを考えていると絶望という感覚とは別だが、味気ない毎日である。

しかし、救いは、この本で取り上げられている人たちは絶望しながらもそれをよしとして生きてきたような印象をもつことだ。カフカは残した小説も絶望的な内容だったが、私生活はそれほど苦しい生き方をしたわけではなかったそうだ。芥川龍之介は最後は自殺をしたけれども、それを選ぶのも自分の自由のひとつだと考えていたらしい。
太宰はそうとう空威張りをいていたらしく、表向き、陽気に装うというのはこれはかなり辛かったのだろうなと思ったりするけれども、そういうのはこのひとくらいだ。

それを見習うなら、表向きはまじめに仕事をして、上司に従順なふりをしながら、後ろを向いてあっかんべーをしていてやるくらいがちょうどよさそうだ。
ごまめの歯ぎしりでしかないけれども、それがこんな会社に対する一矢報いるひとつの方法でもあると思うのだ。
新聞のコラムにはこんな言葉が書かれていた。
喜怒哀楽のうち、怒りと哀(かな)しみは積もるものであり、喜びと楽しさは積もらない。
確かにこの2か月半、怒りと哀しみは積もるばかりだった。ある意味、コロナウイルスはそれを救ってくれたように思う。当初の命令なら今もコンビニで店員をやっていたはずだ。しかし、コロナショックのおかげで増えた休みが山や海へいざなってくれた。喜びと楽しさは積もらないかもしれないが、怒りと哀しみに対する解毒剤にはなったのかもしれない。

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水軒沖釣行

2020年05月15日 | 2020釣り
場所:水軒沖
条件:小潮 8:07干潮
釣果:サバ 21匹

週休4日の生活もそろそろ終わりに近づいている。今日は1日延びてしまったチョクリ調査だ。しかしその前に小船にも長らく乗っていないのでまずは紀ノ川河口の調査に向かった。
今日も午後からは風が強くなるそうだが朝の港は鏡のようだ。



朝日が昇るまでルアーをキャストし続けたがやっぱりアタリはない。港に戻って船を乗りかえ再び沖へ。
この時間も穏やかな天気で快調に沖に向かう。



予感では初島沖が注目の感じがするので針路は少し南に取る。近いところでアタリが取れればそれにこしたことがないのでとりあえず水深40メートルラインからスタート。釣れているのかどうかはわからないがチョクリをやっている感じの船が1艘浮かんでいる。
ときおり魚探にはかなり反応が出ているがアタリはない。少しやってみてまた沖を目指す。海は穏やかで船足も早い。おまけに燃料代も安くなったので沖に出るのにそれほどの抵抗感もない。それよりも、今日獲物がなければまた次の釣行を躊躇しなければならないのでそれのほうが問題だ。

水深50メートルラインまで進んで仕掛けを下す。ここにも1艘チョクリの船が浮かんでいる。



朝食代わりのパンをほおばりながらアタリを待つ。3時のパンを16時間遅れで食べている。



そして待望のアタリ。まずまずの型のサバが連なって上がってきた。よかった。その後は2回ほど魚探の反応が出るとそのタイミングでアタリが出るという感じで30分ほどで十分な数を釣り上げた。出港が遅くて竿も1本だけなのでこんなものだろう。今日はあくまでも調査なのでこれでいい。仕掛けを下したまま魚を〆て生け簀の海水を滓っているとまた竿にアタリが出た。風が出てきて仕掛けはそうとう流されていたのでこれじゃあ釣れないだろうと思っていたので驚きだ。鉤を1本失くしていたので9本の鉤で8匹付いていた。勝率は9割近い。



シーズンの出だしとしては十分な釣果になった。これが続いてくれればいいのだが・・。

今日の獲物は久々のサバサンド。



オリーブオイルとニンニクを効かすと地中海風の味になったのだ。



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「釣りエサ(ルアー・エギ・毛バリ・生エサ)のひみつ」読了

2020年05月13日 | 2020読書
長岡寛 「釣りエサ(ルアー・エギ・毛バリ・生エサ)のひみつ」読了

僕が、魚が釣れないのは根本的な情報が足りないのではないかとこんな本を読んでみた。著者は、マルキューの社員だそうだ。

しかし、トルコには、「書物は書かれすぎた」という諺があるように、古代から今まで、あまたの釣り人が無数の餌や疑似餌を試してきたはずである。今さら“これが絶対である”ものなどが生まれるはずがない。ましてや僕のようなヘッポコ釣り師がこの本を読んだからといって何かを発明できるということもないのだ。

少しだけ新しく得たことといえば、魚の味覚を感じる部分についてである。唇の先にもあり、口腔の壁に散在しているそうだ。
真鯛が掛かる時には大概その唇の先のほうに鉤が掛かってくるのだが、あのビニールに味をつけることができればもっと食い込みがよくなってヒット率が上がったりするのではないだろうかと思ったりするのである。
何かいい方法はないものだろうか・・。だが、これもきっと昔から誰かが考えてそれでもできなかったから誰もやらないのだとは思うのだが・・。それとも、そういうことを密かに考えた人が一子相伝の秘儀として代々伝えていたりするのだろうか・・。それなら知りたいものだ・・。

それと、アミノ酸による魚の好みについてである。アミノ酸というと、地球上には20種類あるそうだが、魚によって好みが違うそうだ。味の素の旨味成分もアミノ酸(グルタミン酸)だから、魚も旨味には弱いということだろうか。

海中の魚の餌になる生物(植物も含めて)は栄養を取り込んで自分の体を維持するために必要なアミノ酸以外を体外に排出する。魚たちは排出されたアミノ酸の臭いを辿って餌にありつくそうだ。逆に天敵が発散するアミノ酸も嗅ぎ分けて自分の身を守ってもいるらしい。これはなるほどと思った。排出されるのはその生物にとって不要なものだったとは・・。研究者の探究心はすごい。そしてそれを嗅ぎ分ける魚の能力もすごいのだ。

アミノ酸というと、去年買った秘密の白い粉だ。成分を調べてみると、ほぼ全部がグルタミン酸だった。



そして、このグルタミン酸であるが、真鯛には効くがクロダイには効かないらしい。前回の磯釣りに持って行ってオキアミにまぶしてみたけれども特に顕著な効果がなかったはずだ。
チヌは雑食性の魚だけあって、20種類のアミノ酸のうち、9種類に反応するらしい。
真鯛には効くようだから、あの白い粉をビニールに長時間付着させることができればもっと釣果が上がるのではないかと思うと、何も手だてがない僕は地団駄を踏むしかないのだ。

この本には魚ごとに効き目があるアミノ酸の一覧表が掲載されていたのだが、表にはタチウオが好むアミノ酸についての表記がなかった。あの白い粉は元々テンヤでタチウオを釣っている人が教えてくれたものだったのだが、果たして本当に効くのだろうか。最近の釣りエサのパッケージには成分表が記載されているらしいので今度釣具屋さんに行ったときにはイワシを浸す液の成分を見てみよう。

結論からいくと、生のエサでもルアーでも、自分が釣れると思っているものが一番釣れるというのが僕の今までの経験だ。この本にも、当然なのであるが、「これが絶対である。」というものは記載されていない。そんなことを書いてしまうとマルキューのエサを買ってボウスになってしまった人からえらい苦情が来てしまうのだから。それよりもそれが釣れると信じることだ。

一応、チヌ釣りには少しばかり自信を持っていたりするのだが、僕は刺し餌としてはオキアミしか持っていかない。普通、コーンやアケミ貝(今でも売ってるのだろうか・・)、ボケなど、好みのアミノ酸が多いというだけあってたくさんのエサを持参する人が多いけれども、僕もその人たちとそれほど遜色なく釣っている。これは、僕が単に、「オキアミだけでも絶対に釣れる。」と思い込んでいるからに他ならない。(まあ、ケチな性分で、餌を余らせるのをもったいないと思っているところも無きにしもあらずだが・・)

いろいろなエサの成分や効能を知ったとしても、対象にできる魚種は限られ、いまさら新しい獲物を求めることもないのかもしれないし、たとえ狙ったとしても伝統的なエサを使うだろう。
そういう意味では僕にはあんまり役に立たない本ではあったのだ。


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加太沖釣行

2020年05月12日 | 2020釣り
場所:加太沖
条件:中潮 8:34満潮
潮流: 4:23下り1.6ノット最強 7:49転流 9:41 上り0.3ノット最強
釣果:真鯛1匹

今日はもともと今年初めてのチョクリの釣りに出てみようと思っていた。前回、初島で見たチョクリの船を見ているとものすごく気になる。確かに、2016年には早くも5月8日にはそこそこの釣果を上げているのでまだ時期が早いというのでもないのだろう。
ところが昨日、明日の天気を確認しながらついでにSNSを眺めていると、加太で真鯛が爆釣でおまけに大きなサバも釣れたと画像をアップしている人がいた。う~ん、こんなに釣れるのなら加太に行ったほうがいいのじゃないだろうかと準備した道具をすべて入れ替えて加太に向かった。
午前中早くには風が強くなってくるという予報だが、出港直後は無風。船底を塗りたての僕の船は鏡の上をすべっていくような感覚だ。午前4時半にはすっかり辺りは明るくなっている。



早朝は下り潮。昨日の朝一はジノセトで釣れたそうだが僕は行き先をいろいろ考えてラピュタ前を目指した。しかし、田倉崎を越えてジノセトを目視できるようになると大船団ができている。



きっと今はあそこがいいのだろう。あれだけの船団なら同盟軍の船も混ざっているかもしれない。それなら紛れ込んでもロックオンされずに釣りをできるだろうと針路を変更。
ポイントに到着して船団から少し離れたところから釣りを開始。やっぱり海域はほぼ帝国軍で制圧されており、さすがにあそこに突入する気にはなれない。

少し反応はあるものの、アタリはない。潮流表では最強時刻でも1.6ノットとなっているけれども今の時間でも2ノットを超える潮が流れている。多分釣れるとしてももう少し後だろうとその間に間合いを詰めながら船団の中に紛れ込んでいく。



最初のアタリは午前6時を過ぎたころ。
かなり上まで上がってきたけれども、途中でバラしてしまった。今日が今シーズン最後だと思っていたので長く使っていた仕掛けを交換していなかったことで鉤先が甘くなっていたのかもしれない。もしくは、あの帝国軍がひしめいている中で魚とのやり取りをしていると、いつロックオンされてもおかしくないと焦ってしまったのが原因かもしれない。せっかくボウズを免れたと思ったのに残念だ。

時刻は刻々と一番いいときに近づいている。もっと魚探の反応のいいところはないかと回廊の最狭部を越えて帝国軍の真っただ中へ入り込んでみた。



ここにはかなりの反応がある。最初からここに来ておけばと悔やまれるほどの反応だ。確かに朝から船が混みあっていたはずだ。そして、仕掛けを下すとすぐにアタリがあった。今度はダメもとで竿が絞り込まれたタイミングで合わせを入れてみた。
これが奏功してか、うまく取り込めた。45センチほどの乗っ込みの真鯛だ。
この頃には潮の速度が0.5ノットほどまで落ちていたので、昨日のSNSの情報を頼りにラピュタ前(コマサキ)へ移動。ここはまだ潮がよく流れていたけれども、小さなアタリがあっただけで獲物はなく、少し風も出てきたので午前9時に終了。

一度家に帰って貧乏人のキャプテンシートを壊すために港へ戻った。あまり使わなくなってしまったことと、長らく雨や日差しに晒され、外側の木材がかなり腐食してしまっていたのでそろそろ引退時かと考えていた。これがなければデッキもけっこう広く使える。
残念だがこれもひとつの区切りだろう。レガシーにと鉛を吊るしてした部分だけでも再利用したかったが、ダニが湧いて使い物にならなかった・・。
変わることを嫌う性格だけれども、少しだけ変わってみようと思うのだ。
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「とりあえずウミガメのスープを仕込もう。」読了

2020年05月11日 | 2020読書
宮下奈都 「とりあえずウミガメのスープを仕込もう。」読了

著者は、「羊と鋼の森」を書いた作家だ。僕はこの本を読んだことがないけれども、去年ぐらいに映画になったことでタイトルだけは知っていた。この本の作者が「羊と鋼の森」の作者だということはまったく知らなかった。
富山県在住で専業主婦をしながら2004年に作家デビューしたそうだ。年代は僕とほぼ変わらないので40代直前で作家になったということになる。
地方に住んでいる、専業主婦だったという、異色の作家だ。こんな奥さんがいると旦那は左団扇で暮らすことができるなと下世話なことを考えてしまうが、旦那さんの書斎は壁一面が本で埋まっているほどの読書家だそうだ。やっぱり元の出来がちがうのだからあきらめよう。

この本を手に取ったのは、単にタイトルが面白そうであったということだけだった。ちょっとした料理のレシピが載っているおしゃれなエッセイくらいに思っていた。しかし、内容は、主婦として毎日の献立を考えることを通して、家族の絆であったり過去の思い出であったりを書き綴っている。
一編あたりが3ページから4ページのエッセイだが、なんとも優しいタッチの文章である。とくにこの言葉が胸に刺さるというものはないのだが、次はどんなことが書かれているのだろうかとどんどん読み進めてしまった。
特に家族への愛情のこもった文章は、家庭を顧みない僕にとっては首を垂れるしかないような内容なのだ。毎日せっせとごはんを作ってくれている奥さんには感謝をしなければならないのだ。

偉そうなことを言えないが、スーパーやコンビニに売っている総菜(今では中食というらしいが)をそのまま食べることが大嫌いだ。それを察知しているのかどうか、僕の奥さんもまずそういうものを買ってくることはない。
コンビニに勤務させられていた時、そこのPOPには、「おかあさん食堂」というようなタイトルが書かれていて、様々なレトルト総菜が並べられていた。弁当やそれらの食材は、ある時間が来ると賞味期限切れということでゴミ箱へ直接捨てられる。僕もそういうことをやらされるわけだが、こんな食材の循環の中で生きていると人間は間違いなく腐っていくのではないかと恐れてしまった。
「胃はこころに通ずる」というけれども、あそこにはまったく心がないように見える。そういうものを失った人間が次の世代を生みまた次の世代を生んでゆく。人間をデータ化させようとする誰かの罠なのではないのだろうかと思えてくるのだ。

「作って食べる。」その大切さをこの作家はほんとうによく知っているのだと思う。それは、いろいろな食材、料理にまつわる思い出のエッセイを集めた章に出ている。毎年その季節に思い出される料理、記憶の奥に眠っていて、なにかのきっかけで突然湧き上がってくる思い出。確かに、「胃はこころに通ずる」である。
そして、そんなことを最後の短編でみごとに表現している。「ウミガメのスープ」というタイトルなのだが、イラストレーターを志した女性がある賞を取り、そこから本当に自分が求めていたものは何だったのかということを見つけるというような内容なのだが、最後のほうにこんな文章が書かれている。
『誰かの弾いたヴアイオリンの音色に惹きつけられるようなこと。それはもしかすると、その場限りの音だったかもしれない。だけど、そのときたしかに胸に響いた音。耳から入ってきて心を震わせる、ひとしずくの朝露のような音。いつもは思い出さなくても、ふとした拍子に耳によみがえって、生きていく気持ちを支えてくれる。
昔でもいい、味でもいい、何かそういう、真に胸に届くものにだけ憧れた。ほめられたいんじやない、認められたいんじやない。自分のほんとうにほしいものがほしかった。ウミガメのスープが必要だった。』
ウミガメのスープというのは、仕込みが大変で作るのが難しいそうだ。しかし、丁寧に作ったウミガメのスープは人の心を震わせるほど美味だそうだ。主人公は、子供のころにある映画を観て、このスープを作りたいと言ったと母が言っていたことを妹を通して知る。飲みたいのではなく、作りたいと言った。
それから、自分は人に褒められるためにイラストを描くのではなく、ただ自分が描きたいからイラストを描くのだということに気づく。主人公にとってのウミガメのスープは自分のためにイラスト描くことであったのである。

僕は、前に読んだ本の中で、父親は仕事もできないのに釣りにばかり行っている自分をいくらか恥じていたのではなかったのだろうか。僕自身も同じになってしまったと書いたけれども、ひょっとして、父親にとってのウミガメのスープは、魚を釣ることではなかったのだろうかと、ふと思い至ったのである。
そして、師がよく書いていた、「釣り師は心に傷があるから釣りに出てゆく。しかしその傷がどんなものであるかを知らない。」には、自分にとってのウミガメのスープを求めることの必要性を教えてくれていたのかもしれない。父親は自分にとって、それがウミガメのスープだったということに気付いていたのだろうか。そして僕もそれにいつかは気付くことができるのだろうか・・。

ほとんどレシピらしいものは出てこないと書いたけれども、こんなレシピが目についた。
「ひじきのマリネ」というものだが、ひじきとにんにくとバジルを和えて、塩と醤油と白ワインでマリネする。というものだ。
ひょっとして、この季節なら、ひじきをワラビやゼンマイに置き換えて作ってみてはどうだろうかと思った。
今年はもう作れないかもしれないが、来年はきっと試してみようと思うのである。


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初島沖釣行

2020年05月08日 | 2020釣り
場所:初島沖
条件:大潮 6:50満潮
釣果:ハマチ 2匹

船底塗装が終わり、今日も早朝からちからさんに手伝っていただいて海に戻す作業だ。



前回とは違い、今日の海は穏やかだ。ちからさんに、「あわてず、ゆっくりやで。鋼管にロープを渡しておけば船は流されないからエンジンチェックできるから。」と教えてもらい降下を始めた。船体がゆっくり水面に浮かぶ。エンジンを始動させて鋼管からロープを外して船台から離れる。動画を見てみるとやっぱり焦っている。無駄にデッキの上で走り回っているのだ。

そしてその足で初島へ向かった。



和歌浦漁港から沖ノ島の灯台まで約20分。追い風参考だとはいえ、最大船速は時速28キロを示していた。塗りたてはさすがに速い。



しかし、気になることは舵の状態だ。船を降ろす前にじっくり見てみたのだが、あの、動作が重くなる原因はきっと舵の心棒がさびて膨張してしまっているからに違いないと思った。回し続けているとまた軽くなるのはその膨張したところがこすれて平らになるからだろう。
やっぱり舵を下して錆を取ってもらったほうがよかったのかもしれない。というか、その前に、土台からすべて交換したほうがいいのだろうな、きっと。
また、タカシさんに相談に行ってみよう。(でも、忙しいから相手にしてくれるかな~。)
それと、もうひとつ、スクリューに塗った塗装が今回はダメになってしまっているのではないかということだ。この塗料、相当特殊で撥水効果と粘度を保ち続けることでフジツボの付着を抑制するようなのだが、昨日の強風で表面にホコリやゴミを取り込んだまま乾燥してしまい、表面がサラサラになってしまっている。これじゃあ、フジツボが付着するのに何の障害にもならなさそうだ。この夏を乗り切るのはきっとしんどいだろう。

初島到着は午前6時45分頃。



潮は引き潮にかかっているのでムシクイ前は下り潮だろうと思いそこからスタートしたのだが、ここはまだ潮が上っている。ここでアタリがあればホウボウの可能性が高いのだがしばらくやってみてもアタリはない。他の釣り船は島の南側に集まっているので僕もそちらへ移動。まわりの船はチョクリをやっていたりジギングをやっていたりと多彩な釣りをやっている。ジギングの船は何かを掛けたらしく、時間をかけてやり取りをしているが魚の姿を見ることはできなかったようだ。

 

ここはゆっくりだが潮は下っている。魚探にはいくつかの反応が出ている。しばらくしてタイラバが落ちている最中にかすかなアタリ。途中までは大した引きではないのでチョクリで釣れるようなアジかサバだろうと思っていたのだが、途中からだんだんと引きが強くなってきた。上がってきたのはハマチだった。何かを食べているのか、おなかがでっぷりとしている。
それ以上アタリが出ないので少し北側の起伏の激しいところに移動。ここでは反応がいい。いいというよりもこの反応は大きな魚ではなくて小魚の群れのようだ。



きっとその周辺には大きな魚もいるだろうとタイラバを下すけれどもアタリはない。そのうちに小さいながらもボイルが見られるようになった。これは間違いなくハマチだ。こういうのを見ていると、キャスティングの用意も持ってくればよかったと思うのだが、こういうときのためにヒコーキがある。さっそく仕掛けを取り出しボイルの中に入っていく。しばらくして方向転換をしたとき、アタリがあった。後ろを向いてヒコーキの位置を確認しながら方向転換していたのでヒットの瞬間を見ることができた。大きなヒコーキがボコッと沈み込んだ。

今日はもともと船を走らせるためにやってきたので2匹あれば十分だ。叔父さんの家に持っていく分もある。それに昼前から風が強くなる予報なので午前9時に終了。


休日の間に研ぎに研いだ包丁は飛び切り切れるようになった。刃に触れただけでも切れてしまう。気付かないうちに指先が切れていた。名刀で、胴体を切られた相手が気が付かずそのまま歩き続けたというのがあるけれども、まさにその境地だ。ふつうはくそ~って思うのだが、今回は我ながらすごいと感嘆するのである・・。

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船底塗装

2020年05月07日 | Weblog
緊急事態宣言が延長されて、今週も週休4日になった。
そして今週は大潮の回りだ。通達が出て休日を入れなおしてデスクトップの潮時表を見てみると、7日、8日は大潮で風は強そうだが天気はいい。そのまま廊下に出てちからさんに電話を入れた。「あさってなんですが、船、上架してもらえませんか?」
ちからさんの業界も長い休みになり、今日は久々の出勤日で慌ただしいらしいのだが二つ返事で引き受けてくれた。ひとの都合を考えずに発作的に行動するバカなやつにでも優しい手をさしのべてくれる。申し訳ない・・。

午前6時頃にはスロープまで行っておこうとバイクを置いて母港までトボトボ歩いて移動。



この季節だと夜明けが早くて出港時には太陽が顔を出している。



午前6時すぎにはちからさんも港にやってきてくれて上架を開始。それまでは風は穏やかだったのだが、急に風が吹いてきた。上架するときは船台から伸びた鋼管に船を添わせながらウインチで引き上げてもらうのだが、風が強いと船を安定させるのが難しい。ちからさんは、「落ち着いて風を読みながら操船すれば簡単ですよ。」と言うのだが、それが素人には難しい。3回ほどトライしてやっと位置が決まりゆっくり船が上陸し始める。
今日もなんとか上架完了。

水温が低く推移しているのか、港の水質はすこぶる良くてカキはほとんど付着していない。高圧洗浄機で藻を吹き飛ばすだけでほぼ船底は綺麗になってしまい、午前7時半にはほぼ掃除は完了。



舵の周りを入念に掃除し、亜鉛を入れ替え、スクリューの塗装のためのプライマーを塗ってからペンキの刷毛を買いに港の近くのコーナンへ。発作的に上架を決めたのですべての準備ができなかったのだ。手袋も山菜採り用のものを流用だ。



午前9時の開店のはずがコロナ感染予防で開店時間が遅くなってまだ開店していない。これは困った。ダメ元で午前9時に開店するスーパーの横にある100均を訪ねたら幸運なことに開店していて事なきを得た。



それから一気に塗装を開始。スクリューの上塗りも終えてなんとかお昼前に終了。

 

気になるのは舵だ。
つい3ヶ月ほど前にも動かなくなってしまったのだが、台座も含めて腐食がものすごく酷くなってしまっている。ここ数年で一気に腐食が進んでしまった気がする。きっとこれが舵が動かなくなる要因になってしまっているのかもしれないがそれよりも、突然折れてしまったりしないのだろうかなどと心配になってしまうのだが大丈夫なのだろうか・・。




これは僕の塗装あるあるなのだが、手が汚れないように慎重に塗料を扱い、手袋も二重にして作業をしているのだが、結局最後には必ず手に塗料が付いてしまっている。



こういうのも性格がきっと出るのだろうなと、これからはもう、あきらめようと心に誓ったのである。

スロープの使用料を支払いに漁協の事務所を訪ねる。今年から和歌浦蛭子神社の中に移転している。この蛭子神社はかなり古いらしく一説では和歌浦東照宮や和歌浦天満宮よりも起源は古いらしい。
祠を鞘堂で覆うという、中尊寺のような凝った造りになっている。

 

調べてみると(といってもネットでググるだけなのだが)蛭子と書くエビス様はもとは「ヒルコ」と読み、蛭子神とはイザナギ命とイザナミ命が最初に産んだ神様だそうだ。それが恵比寿神と同一視され始めたのが室町時代ということだから、蛭子神を祀っているということは室町以前からこの地に鎮座していたのかもしれない。この神社は元旦と十日えびすくらいしか開いていなくてめったにお参りできなかったのだが、事務所が移転してほぼいつでもお参りできるようになるうだ。
これからはいつでもお参りできるというのはありがたいことなのだ。





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「私たちが、地球に住めなくなる前に 宇宙物理学者からみた人類の未来」読了

2020年05月06日 | 2020読書
マーティン リース/著 塩原 通緒/訳 「私たちが、地球に住めなくなる前に: 宇宙物理学者からみた人類の未来」読了

よくある近未来予測というような内容の本だ。今回の本は宇宙物理学者が考える近未来だ。
よくある近未来予測のとおり、どれも同じような内容ではある。
バイオテクノロジー、ロボット工学、サイバーテクノロジー、AIの進歩が何をもたらすか。
2050年、世界の人口は今の77億人から90億人まで増えると予測されている。(一説には97億人にまでなるという。)これから人口が増えてゆく地域というのは、アフリカ、東南アジア地域であると予測されるけれども、その人たちが今、日本や欧米の人たちが営んでいるような暮らしを望むとすると、それに費やされるエネルギーや物資がどれくらいひっ迫するかというのは目に見えている。
それがバイオテクノロジーやAIの進歩が助けてくれるかもしれないというのが楽観的な見方だが、そこには、それらの技術を適切に使いこなしてという条件がつく。

そうなのだ、これらの技術は様々な危機をももたらす可能性もはらんでいる。新種のウイルスを作ろうと思えば、今の技術では普通の台所くらいの広さの場所があればできてしまうらしい。たとえ誰かが作らなくても今回のコロナウイルスの騒動のように、たったひとつのウイルスが社会を混乱に陥れる。
おそらく、2050年時点でマッドサイエンティストやならず者国家がバイオテロやサイバーテロを成功させて世界を崩壊させてしまうようなことはないだろう。世界の国々はそうならないように十分監視されているはずだ。
しかし、マッドサイエンティストやならず者国家が暗躍しなくても、政治家の判断ひとつで世の中は簡単にひっくり返ってしまうということを浮き彫りにさせてしまったのがここ2か月ほどの世界の国々だ。
これは当たり前のことだったのかもしれないが、これだけものであふれかえっていると思っていたこの国でも、ひとたびすべての人が求め始めると一気に物がなくなりそれが不安を助長する。病院はいつでも混んでいるのでさもありなんとも思うけれども、なんとこの世はぜい弱な基盤の上にできているのかと思い知らされる。
マッドサイエンティストならずとも、バイオテクノロジーに詳しい拗ねものがへんなウイルスを作ってしまうと簡単に社会は破綻する。この騒動が収束する前にマークⅡが現れてしまったら本当に国が滅びる事態が起こるかもしれない。
国が滅びるときっていったいどんな感じになるのだろうか・・・。マッドマックスみたいな世界になるということだろうか?
 
2050年まで世界が保てたとしてその先はどうだろうか。
宇宙物理学者の著者はそっちのほうに力を注いで書いている。
未来永劫人類が存続するためには人間が人間のままでいては無理だという。いつかは地球だけでは住めない時代が来る。だから、ロボット工学、AIが融合して新たな人類が生まれる必要がある(ポストヒューマン)。そこには有機物としての人類の形がないのかもしれないが宇宙空間にそれこそ何千年、ひょっとしたら億年単位で広がるためには有機物としての体は向いていない。
人類が宇宙に出るためにはそこに利益が生まれないと無理だ。人類が月に立ったのは、東西冷戦下での競争原理が働いていたけれども、それがなくなってしまった今、確かに人類はどの星にも立っていない。それはそこに行ったとてなんの利益も生まれないからだ。小惑星から資源を採取して利益を上げるという話を聞いたことがあるけれども、それとて費用対効果で考えるとどうなのだろう。だから、比較的安くて済む機械、それもナノサイズのマシンが望まれるという。
今、銀河系でも数千という数で地球型惑星が発見されているけれども、そこに生命が存在する確証はいまのところない。地球が奇跡の星であったなら、そこで生まれた生命が形態はどうであれ、銀河中に満ちてゆくというのはすばらしいことではないかというのが著者の見解だ。

先日、CSで「トランスフォーマー」を放送していたけれども、人類もあんな形になって宇宙を旅するということだろうか。確かに、敵役は数千年の眠りから覚めてもあたかも昨日のことのように正義のトランスフォーマーと戦いを始めたけれども、そんな長い時間軸を生きるには生身の人間では無理なのだと、この本のタイトルとはまったく関係ないことを考えていたのである。

そんな未来のことではなくても、安倍総理は「コロナの時代の新たな日常を一日も早く作り上げなければならない」と言っていた。いろいろな危機が起こるたびに新しい生活様式を作って変えていかねばならないような時代になってしまった。ウイルスの騒動でなくても、人は変わっていかなければならないとはいうけれども、マスクをつけて生活を続けるなんてまるでナウシカの世界ではないかとSFが現実になってしまったと恐れ入ってしまうのである。
ただ、マスクは自分の表情を隠してしまうには好都合なアイテムだ。無気力になってしまった顔を人に見られなくて済む。ドリカムの歌に、「眼鏡越しの空」というのがあるけれども、まさしくそのとおりだ。

2050年、僕は86歳か・・。もう死んでいるからどうでもいいやと思うのである。しかし、こういう本を探してみるとかなりたくさん見つけることができる。いろいろな専門家がいろいろな視点から描いているけれども大体結論は同じようなもので、人間はテクノロジーと融合して新たな生命として生まれ変わらなければならないということになっている。今のところはほぼSFとしか思えない。
そういう未来が本当にあるのなら見てみたいと思ったりもするけれどもほとんどアナログな人間にはついてゆけない世界で、本当にそんな世界に放り出されたら僕は動物園で見せ物になっているのじゃないかと、これまたCSで放送していた「猿の惑星」を見ながら思ってしまうのだ。
休みが多くて家にいるときにはそんな映画をスキップしながら時間を潰していたのである。

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「われは歌えどもやぶれかぶれ」読了

2020年05月04日 | 2020読書
椎名誠 「われは歌えどもやぶれかぶれ」読了

椎名誠の本で比較的出版年度が新しい本を見つけた。この作家は大量に本を出版しているのでどれが新しいのかがよくわからないのだ。
この本については2018年の出版で、「サンデー毎日」で連載していたものを単行本にしたものだ。

著者も古希を超え、少しばかり老いを感じ始めた。連載は日々の生活と自分の老いをうまくからめながら独特の文体で書き進められている。2016年の時点で72歳。
活動的ではなくなったと書いてはいるけれども、半径10キロでしか生活をすることができない僕からするととんでもなく行動的だと思うのだ。
この年でも日本中に講演や遊びに飛び回り、長距離をピックアップトラックで運転して山の中まで行く。しんどいと言いながら月に1回は「雑魚釣り隊」の活動として泊まり込みで宴会セットの釣行にも出る。これで十分以上じゃないか。
僕が72歳になったころにはそんな体力も財力も両方とも無くなってしまっているだろう。生きていられるのかも怪しいのだ。
連休の出勤の合間に読むには軽くてちょうどよいのだ。

著者もすでに孫がいる年齢だ。ひとつの夢として、親子三代で釣りをするというものを実現する。
僕も子供ができたとき同じようなことを思った。父親と子供三人でランニングシャツを着て、麦わら帽子をかぶり、防波堤に並んで釣りをしている後姿を写真に撮って年賀状にしたいとずっと考えていた。
僕の父は孫が幼稚園の頃に他界し、もともと、仕事もできないのに釣りにばかり行っている自分をいくらか恥じていたのか、「釣りなんてやらなくていい。」としか言わなかった。子供は子供でそういうことが嫌いでせっかく買ってきた釣竿にも何の興味も示さなかった。
だからそういう写真を撮ることがなかったわけだけれども、僕は父親が多分思っていた、「仕事もできないのに釣りにばかり行っている自分をいくらか恥じている。」というところだけは引き継いでしまったと思うのである。息子は釣りをしないのでそれを引き継ぐことはないだろう。
それはそれでよかったのかもしれない・・。

タイトルの、「われは歌えどもやぶれかぶれ」というのは、室生犀星の著作のタイトルだそうだ。(正確なタイトルは「われはうたえどもやぶれかぶれ」だった。)
著者が高校生の頃、授業中に隠れて読んだ文藝春秋に掲載されていたエッセイのタイトルらしい。当時犀星は72歳。内容は、歳を取っておしっこが出にくいというような内容だ。
高校生の著者には、その“おしっこが出にくい”ということ理解できず、一体何を書いているのか皆目わからなかったそうだが、この年(2016年)同じ72歳になり、犀星の気持ちがよくわかるようになったというのでタイトルを借用した。
ということらしい。
青空文庫に著作アップされていたので僕も読んでみたがおしっこが出にくいというのはほんのさわりのところだけで、大部分は犀星の闘病記のようなものだった。
肺の病で入院をするのだが、犀星はその入院に際してこんなことを思う。「私は私自身を放棄する立場を感じたのは物臭さからであった。此処ではにわかにどうなったっていいや、此処は患者という名の意志のない奴の寝ころがっている一つの断崖なのだ。」
患者同士の意地の張り合いや看護師への八つ当たり、うら淋しさなど、自分の我儘な部分を赤裸々に描いているわけだけれども、ああ、僕も入院すると老いてからはもちろん今からでもこんな患者になってしまうのではないかと自分が恐ろしくなるのである。

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