イレグイ号クロニクル Ⅱ

魚釣りの記録と読書の記録を綴ります。

水軒沖釣行

2018年12月14日 | 2018釣り
場所:水軒沖
条件:小潮 4:02干潮 11:14満潮
釣果:ボウズ

1703年の今日の深夜、赤穂浪士の討ち入り事件があった。どうして釣りの日記に赤穂浪士なのかというと、この時討たれた吉良上野介の娘婿である津軽采女というひとは「何羨録」という日本で最初の釣りの指南書と言われるものを書いている。
これは前に読んだ「釣魚をめぐる博物誌」に書かれていたのだが、討ち入りのその翌日真っ先に駆け付けたひとがこの人であった。もともと閑職の旗本、まあ、義理の父親とは言え、世間的にはヒール役の元に真っ先に駆け付けたとあってはこれよりの栄達の望みもなく、もともと好きであった魚釣りにさらにのめり込んでいった果実がこの「何羨録」であったわけだ。

序文の、
「嗚呼、釣徒の楽しみは一に釣糸の外なり。
利名は軽く一に釣艇の内なり。
生涯淡括、しずかに無心、しばしば塵世を避くる。
すなわち仁者は静を、智者は水を楽しむ。
あにその他に有らんか」

という言葉にはじつは切実な思いが込められているように思う。
なにせ、タイトルが、「何羨録」。今風の言葉で言うと、「何がうらやましいねん!」なのだから・・。

そんなことを思いながら朝起きてみると思っていたよりも北風が吹いている。ええい、ままよ。僕もすでに思いは、「利名は軽く一に釣艇の内なり。」である。そして小船を駆っての4ヵ月ぶりの釣りなのだ。

エンジンの調子はそれでもイマイチだ。修理してくれたお兄ちゃん曰く、キャブレターがかなり痛んでいるので暖機運転をできるだけ長くやってね。のとおり、最初のうちはスロットルを回してもすぐにエンストを起こす。エンジンが温もってきた頃だろうか、やっと安定して回り出した。なんだか不安だ。しかし、これがスタンダードの状態だと思ってうまく付き合っていくしかない。



沖に出てみると風はそれほどでもない。30号のオモリでなんとか底を取れる。しかし波はかなり高くて小船ではそれ以上の移動は厳しく一文字の切れ目の沖でスタート。いつものよく釣れるポイントではケーソンを入れる工事が始まっている。
聞くところによるとクルーズ船を港内に入れるために沖の一文字の端っこを短くしてその分を波よけのために新々波止を伸ばしてポイント前の回廊を狭くするらしい。

 

しかし、これだけの大規模な工事をしてクルーズ船って年に何回入港してどれだけの経済効果があるのだろうか?そんなに海をいじめなくてもいいではないか。

と、まったく釣りのことに触れないのは、完璧なボウズであったからだ。午前8時頃には風が強くなり底が取りづらくなってきたのであっさり終了。
まったくアタリがなかったと思っていたが港に帰って仕掛けを整理していると、スッテの鉤先にイカの皮膚らしきものが付いていた。イカはいないことはなかったのだ。次につながったと思って今日はあきらめよう。




家に帰って眼科へ。



前に目の中に現れた黒いシミが気になっていたのでとりあえず受診してみた。
結果は特に問題なし。あのシミは小さい血管が切れて出血したのが原因だったのではないかとのこと。やはり、後部硝子体剥離というものでこれも老化現象だそうだ。剥離した拍子にそこにあった血管が切れたということだ。3日ほどでシミが消えたのは硝子体の中に吸収されてしまったらしい。
最悪は網膜剥離になるが、また症状が出てきたときに来ればいいと無罪放免になった。
眼底検査というやつをやってもらったのだが、瞳孔が開いているので外に出てみると世の中がやたらと明るい。僕はこんな薬を使わなければ世の中を明るく見ることができないのだ・・・。

目が見えなくなるのはやはり怖いし困る。まあ、少しだけそれが伸びたか・・・。

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