まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第5回中国四十九薬師めぐり~懐かし気動車で秋の津山城へ

2021年12月09日 | 中国四十九薬師

これまでの記事との兼ね合いでずいぶん後になってからのことだが、11月中旬に中国四十九薬師めぐりもちょっと進めていた。

今回対象となるのは第5番・長雲寺、第6番・普光寺、第7番・佛教寺の3ヶ所。もちろんいずれも初見の寺で、津山から国道53号線、また津山線沿いに位置する。これらを回ることで「国道53号線シリーズ」、「津山線シリーズ」とでもいうところか。今回は日帰りで行くことにしよう。

で、「国道53号線」と「津山線」のどちらで回るかである。津山線の最寄り駅ということでいえば、地図で見る限り長雲寺は津山または津山口、普光寺は亀甲、佛教寺は弓削になるようだが、いずれも駅から遠い。1ヶ所だけなら駅から歩いてもいいかなと思うが、さすがに1日で3つともとなるとしんどい。今回で岡山まで駒を進めるつもりなので、クルマで回る「国道53号線シリーズ」とする。

とはいうものの、津山線にも乗ってみたい。津山駅に隣接する「津山まなびの鉄道館」を訪ねるのもいいだろう。

この2つを満たそうとすれば、レンタカー利用となる。岡山、津山のどちらから利用するかと考えて、朝から乗り継ぎで時間が計算できる津山まで津山線で行き、レンタカーで岡山まで南下することにした。

11月14日、この日も「新幹線直前割きっぷ」を使い、広島6時14分発の「ひかり500号」の指定席に乗る。青春18きっぷの時季でないからということもあるが、このところ岡山までこの「直前割きっぷ」の利用が増えてきた。

7時20分、岡山着。次に乗るのは8時07分発の津山行きである(写真は、向かいのホームに停まっていた、今や希少価値の115系湘南色)。列車は2両編成だが停車位置が中途半端なところ。前にこの列車に乗った時、津山からは4両でやって来て、岡山で2両を切り離した後2両で折り返しており、その運用である。ただその時と違い、乗車口に長い列ができる。見たところ学生や若い人が多い感じだ。

津山からやって来たのは、キハ47を旧国鉄急行色に塗り直した「ノスタルジー号」。この日はそういう運用のようだ。しかし、岡山で切り離されるのはこちらの編成である。乗れないのは残念だが、津山行きのキハ40の2両編成のうち、先頭車は旧国鉄の赤と白のツートンカラーに塗られた車両である。

2両編成の列車は通路まで多くの立ち客が出たが、次の法界院で一斉に下車していった。駅の近くには(それなりに歩くが)岡山大学、岡山理科大学があり、そちらに行くのだろう。日曜日だし、学園祭があるわけでもなさそうだが、受験票らしきものを手にする人がちらほら見えた。何かの資格試験が大学の教室を借りて行われるようだ。

若者たちが降りた後は1ボックスに1~2人、ロングシートに適当に散らばるという空間となり、旭川沿いに北上する。

金川に到着。行き違い停車のために外に出る。旧国鉄塗装は絵になるようでカメラも向けられる。ボックス席に空きがあるのを見つけ、こちらに引っ越す。窓枠のテーブルに栓抜き、「JNR」のロゴが入った扇風機など、元祖「ノスタルジー号」として運用された車両である。

そういえば津山線には、2022年夏、これもキハ40を改造した新たな観光列車が走るという。「SAKU美SAKU楽(さくびさくら)」という名前で、桜をイメージした淡いピンクの塗装になるという。また乗車ツアーなど組まれるのだろう。

のんびりした車窓を眺めつつ、9時42分、津山に到着。レンタカーの利用は11時からとしているので、1時間あまり時間がある。ちょうど、「津山まなびの鉄道館」を見るには手ごろな時間である。改札内には鉄道館の入館料が割引になるチラシも置かれている。

ただふと、「津山城もみじまつり」という幟も目に入る。前日の13日、ローカルニュースでこのまつりが取り上げられていて、11月13日から21日まで開催とある。津山城も駅から徒歩10分くらいということもあり、今回はそちらに行くのが面白いかなと思う。

吉井川を渡り、津山城に到着。津山城は鶴山城とも呼ばれ、室町時代に山名氏の拠点の一つとして建てられたが、関ヶ原の戦いの後に森忠政が津山藩主として入り、現在の津山城を築いた。美作に新たに城を築くにあたり、当初は(前回の中国四十九薬師めぐりで宿泊した)院庄の館を大改修するつもりだったが、家臣間のいざこざもあり、現在の津山に落ち着いたという経緯がある。結果的には吉井川にも面したところで、城下町を広げるにも適した場所として良い選択だったといえる。

津山城は桜の名所として知られるが、今回は紅葉である。「津山城もみじまつり」は昨年はコロナ禍のために中止され、今年2年ぶりの開催という。夜間のライトアップも行われるとある。

入場して石段を上がり三ノ丸に着くと、屋台が軒を連ねる。「牛うまっ王選手権前哨戦」というイベントで、古くから肉食文化が広まっていた美作らしい。ちょっと腹に入れようということで、(備中だが)新見の千屋牛の串焼きやら、津山ということでホルモンうどんをいただく。これ、絶対ビールがほしくなる展開だが、この後レンタカーを運転するのでそれは断念。逆に岡山からレンタカーで北上し、津山で返却して城跡で一献にしたほうがよかったかな。

順番が逆のようだが、食事を楽しんでから天守まで上がる。天守は広々とした空間で市街地を見下ろすこともできる。

で、紅葉は・・というと、二ノ丸の一角が見ごろである。

赤や紫の番傘が並び、撮影スポットとなっている。インスタ映えがよいように工夫する人もいるし、「来年の年賀状にええな」と言いながら集合写真を撮る家族もいる。色づきもちょうどいい感じだ。私もしばしこの景色を楽しむ。

そろそろレンタカーの時間となり、駅前に戻る。これから津山市を走り、国道53号線沿いに札所をめぐることに・・・。

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「スーパーおき3号」で鳥取から新山口へ・後編

2021年12月08日 | 旅行記F・中国

「スーパーおき3号」で鳥取から新山口まで5時間乗り通すその後半。11時24分、出雲市を発車。新山口までは3時間である。

今年の8月の豪雨で地滑りが発生して不通になり、10月に運転再開した江南~田儀を通過する。このところ毎年のように発生する豪雨災害だが、今年も起こった。中でも8月11日からの豪雨は被害も多く、山陰線のこの区間もそうだし、住んでいる広島市でも河川の氾濫、土砂災害が発生した。ちょうどお盆休みの時季と重なったが、豪雨で各地の路線が不通になり結局遠出せず(緊急事態宣言の影響もあったが)、1日中広島のローカル局が流す豪雨特番をずっと見ていた。後は、ワクチン接種かな。この夏の思い出の一つである。

大田市に停車。世界遺産の石見銀山の玄関口である。せっかく中国地方に来たのだから、この銀山にも行かなければならないだろう。

江津近くの風力発電所を見て、江の川を渡る。江津は石州瓦発祥の地とされる。

しまね海洋館アクアスの最寄り駅である波子にも停車した後、12時29分、浜田到着。石見地区の中心で、ここで下車する人も出る。出雲市から広島に向かうなら、浜田で下車して高速バスに乗り換えるのも一つの手である。

浜田から益田までの区間が、山陰線の中でもっとも海岸に近く、素朴な景色を楽しむことができる。特急で飛ばすのがもったいないくらいだ。途中の折居では特急同士がすれ違う。時間からして、益田発鳥取行きの「スーパーまつかぜ10号」のようだ。

この日は多少風があったが、何よりも快晴に恵まれているのがよい。この絶景を魚に飲み鉄というのもいいものだ。

13時04分、益田に到着。ここで日本海ともお別れで、山の景色が広がる山口線に入る。もっとも、向かいのホームに停まっていた13時11分発の長門市行きに乗り換えると、長門市、小串と乗り継いで下関まで山陰線を乗り通すこともできる。空席があれば長門市から観光列車「○○のはなし」を利用することも可能だ。「スーパーおき3号」、停車駅ごとにさまざまな選択肢を与えてくれる。

浜田、益田で下車した人も多く、自由席はまた空席が目立つようになった。新山口で新幹線に乗り継ぐために利用する客もいるが、多くは鳥取、島根両県内の移動で使われているようだ。

高津川沿いにさかのぼり、津和野に入る。ちょうど「SLやまぐち号」のD51の入換作業中で、転車台の周りに見物客が集まっている。津和野で下車して2時間ほど見物した後、「SLやまぐち号」に乗り継ぐことも可能だ。この秋はD51が使われているが軒並み満席のようで何より。ただ、修理に入っているC57 1号機が復活することはあるのだろうか。

津和野から新山口方面へ特急で抜けるのは初めてで、「SLやまぐち号」が煙を精一杯吐きながら上る勾配も一気に駆け抜ける。

島根県から山口県に入り、徳佐に到着したところまでは覚えているが、この先はさすがに乗り疲れたか、あるいは飲み鉄の酔いが回って来たか、山口、湯田温泉といったところは爆睡していた。気づけば新山口が近く、駅の手前の車両区に停まる気動車たちが目に入って来た。

14時41分、新山口到着。鳥取から5時間乗り続けたが、最後に爆睡したのはともかくとして意外と飽きることなく移動できた。日本海の景色も楽しむことができたし、どっぷり鉄道の旅という感じだった。「どこでもきっぷ」のおかげである。

新山口ではすぐ連絡の15時01分発「こだま856号」に乗る。これで広島までは通過待ちの停車時間を含めても54分。16時前に広島に到着した。

この時間なら、帰宅してちょうど大相撲九州場所の千秋楽の終盤戦をテレビ観戦することができる。横綱照ノ富士はすでに14日目に優勝を決めていたが、この日の結びの一番で大関貴景勝を破って初の全勝優勝を決めた。今回、めでたくオリックス・バファローズが日本シリーズに進出し、大阪、神戸で観戦することができたのでそちらにスケジュールを合わせたが、元々は福岡まで大相撲を観に行こうと思っていたところである。果たして来年の11月には行くことになるのかな・・・?

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「スーパーおき3号」で鳥取から新山口へ・前編

2021年12月06日 | 旅行記F・中国

在来線の特急に5時間揺られる機会というのはなかなかないのかなと思う。

JR西日本「どこでもきっぷ」を持っている。人によっては、3日間あれば北陸から博多までを股にかけて移動する方もいらっしゃるだろうが、私の場合は、まあ、かわいいもんである。有効期間3日のうち2日目に広島から大阪に移動して、最終日は山陰と山口県を回ってから広島に戻るだけだから。

鳥取9時29分発の「スーパーおき3号」新山口行きである。ホーム上の電光掲示板に停車駅が次々流れる。これから鳥取、島根を横断して、最後は山口線で山陽に出て新山口まで行く。お出かけの少し前に鳥取から新山口で指定席の空席を検索したらほぼ満席だったが、全区間を通しで乗る客ばかりではないだろう。実際は米子、松江、出雲市、浜田あたりで乗客が入れ替わると思うが、その区間ごとで指定席が先に売れていると、通しで乗ろうとすると満席となってしまう。

2両編成の列車が入線。自由席の乗車列に早くから並んでいたために楽勝で海側の席を確保する。この先どっかりと腰かけるため、一番後ろの席に陣取る。すぐ後ろは運転台で出口はないぶん、気兼ねすることがないだろう。これで新山口まで行くことにしたので、「どこでもきっぷ」で引き換えていた指定席は車掌に申し出て取り消す。別にキャンセル料はかからない。

自由席も空席のほうが多い中、鳥取を出発する。みるみる加速するが、その分揺れも大きい。先ほどの「スーパーいなば」にも使われているキハ187系は、キハ181系の置き換えと高速バスへの対抗策として導入された車両で、カーブの多い区間もスムーズに走り抜けられる振り子式が採用されている。

山陰線はこれまで鈍行、快速で通ることがほとんどで、長い時間特急に乗るのは初めてと思う。こんなに飛ばすものかと思う。

そんな走りを楽しみつつ、早速「飲み鉄」である。

米子までに停車するのは鳥取大学前、倉吉のみである。早速倉吉で乗客が入れ替わる。車掌が自由席を含めて車内改札を行い、それぞれの行き先を確認している。指定席を取り消したのもこの時だ。倉吉を出ても自由席はまだガラガラだが、「この先多くのご利用が見込まれますので、座席のお荷物は網棚、足元に置いていただきますようお願いします」のアナウンスが入る。

浦安で運転停車。

米子までの区間、日本海を間近に見るところは少ないが、その海からの風を受ける風力発電のタワー群、そして反対側には大山を見ることができる。もっともこの日は雲がかかっていて頂上は見えなかった。大山の頂上は今年は早くも10月20日に初冠雪を記録したという。例年より2週間ほど早いとか。この冬はラニーニャ現象の影響で厳しい寒さになるとの予報が出ているが・・。

10時36分、米子に到着。ここで乗客が入れ替わる。乗って来た客が座席に座ったのを見計らって、少し早いが昼食とする。今回購入したのは、定番の「山陰鳥取かにめし」に加えて(「元祖かに寿し」は・・というよりちらし寿しじたいが好きではないので)、初めて「蟹蟹丼」というもの。車内飲み鉄で行くなら「とっとりの居酒屋」がふさわしいが、さすがに午前中は販売していないとのこと。まあそうやろうな。

このうち、「蟹蟹丼」をいただく。1500円と結構な値段だが、紐を引いて発熱させて温めるタイプの弁当だ。当然、香りが生じるので他の客には気を遣うところで、空席のうちにいただくということで。「かにめし」のご飯に、蟹の脂身を取り出して丁寧につぶして作った「かにトロ」を混ぜ込むのが特徴で、「かにめし」の味わいが深くなる。もう一品の「山陰鳥取かにめし」は結局自宅まで持ち帰り、夕食の一品となった。

安来では反対側のホームで安来節、とじょうすくいの歓迎を受け、松江に到着。

松江からは宍道湖の眺めを楽しむ。ちなみに、松江もしくは次の玉造温泉で下車して後続の鈍行に乗り換えると、宍道発11時27分発の木次線備後落合行きに乗り継ぐことができる。もっとも、広島に着くのは「スーパーおき3号」で新山口までぐるりと回るよりも遅くなる。木次線~芸備線は鉄道での最短ルートであるが、現実は最遅ルートである。

斐伊川を渡り、11時23分に出雲市に到着。ここでは下車よりも乗車が多く、だいぶ前に車掌がアナウンスしていた「多くのご利用」の状態となった。鳥取~米子~松江~出雲市の区間はそれなりに列車の本数もあり、特急以外にも快速や鈍行も走るから乗客も分散するだろう。ただ、出雲市から西は列車本数が極端に少なくなる。特急も「スーパーおき」「スーパーまつかぜ」を合わせても2時間に1本に減る。限られた列車に集中することになる。

とはいっても、立ち客がデッキにまであふれることはなく、座席がほぼすべて埋まるというくらいの数だ。私が陣取っている自由席の最後尾も相客が来た。

この出雲市から先が、山陰線の中でも景色が素晴らしい区間だ。いいところに陣取ったこともあり、その景色を楽しむとしよう・・・。

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JR西日本「どこでもきっぷ」で乗り鉄を楽しもう

2021年12月05日 | 旅行記F・中国

11月27日、日本シリーズ第6戦観戦と西国三十三所・西国四十九薬師めぐりの両方を楽しむとして、広島を早朝に出発し、午前から午後にかけて京都南部を回り、山科から神戸に移動して第6戦の5時間に及ぶ熱戦に感動して、その夜、日付をまたいだ後に西明石に宿泊した。

そして迎えた11月28日の朝6時すぎ、まだ夜明け前の西明石駅新幹線ホームに立つ。この駅の外から列車に乗るのは初めてで、ましてやこの駅で新幹線を待つというのも珍しいことだ。

前日遅くまで日本シリーズを観たのだから翌朝はゆっくりしてもいいと思うし、もう一度大阪に出て池田に行き、西国四十九薬師めぐりで残っている久安寺を訪ねることもできるのだが、この日は「どこでもきっぷ」があるのをいいことに早くから出立した。

話は変わるが、11月28日は大相撲九州場所の千秋楽である。もともと、11月の週末には大相撲九州場所に行くつもりで前売りチケットを購入していた。それがバファローズ優勝、日本シリーズ進出となって局面ががらりと変わった。その中で、もし神戸で第6戦が行われたなら、神戸(結局は西明石になったが)で泊まり、翌朝の新幹線で博多に移動、午後から大相撲を観戦して夜に広島に戻るプランを立てた。「どこでもきっぷ」なら新幹線で博多まで行くことも可能だ。

ただ、日本シリーズが進むうちに「少し待てよ」となった。もし、28日の第7戦までもつれ込んだ場合、第7戦のナイターは自宅のテレビ桟敷でしっかり観戦したいところだ。ただ時間的に福岡から広島に戻る最中に試合が進んでしまう。結局、第5戦でバファローズが勝利して第6戦、第7戦まで期待がつながったことを受けて福岡行きは取りやめることにした。大相撲のチケットは公式サイトでリセールに出した(当日までに無事に購入者が出て、手数料は差し引かれたがチケット代は回収した)。まあ、九州場所は来年の楽しみとしよう。

ならば「どこでもきっぷ」はどうするか。第7戦が始まる夕方までに広島に戻ればいいのだが、普通に新幹線一本で戻るのも面白くない。せっかくなので、札所めぐりとは関係なく「乗り鉄」を楽しむことにするか。時刻表を見るうち、山陰に顔を出すのもいいかなと思った。そこで目についたのが、鳥取発新山口行きの「スーパーおき3号」。山陰線、山口線を営業キロ380キロほどを5時間あまりかけて走る長距離特急である。鳥取発9時29分、新山口14時41分着である。新山口から新幹線で広島に戻れば、第7戦の開始にも十分間に合う計算だ。「どこでもきっぷ」ならではの行程だ。

そう決めて「スーパーおき3号」の指定席を照会するが、もともと2両編成で1両が指定席のところ、ほぼ満席で山側の通路側の席をかろうじて確保した。せっかくの山陰線、日本海の景色もじっくり眺めたいのだが、1両とはいえ指定席にはそれだけの需要があるのだなと思う。

鳥取へは8時38分着の「スーパーいなば1号」がある。関西からなら上郡7時25分発で、逆算すると西明石6時27分発の「ひかり591号」に乗ることになる。実はこの列車、もともと西明石から福岡博多に向かうのに乗ることにしていた列車である。つまりは、西明石から博多に向かうところが、途中の相生で下車して鳥取に向かい、山陰から山口を回って広島に戻る・・・というコースに変更したというわけだ。

それだけのことをダラダラと書いているのだが・・・。

さて「ひかり」に乗るのも久しぶりである。特に山陽新幹線、岡山より西の区間だと九州新幹線直通の「みずほ」「さくら」が走っていることもあり、「ひかり」が運転されるのは朝晩に限られる。なお、この「ひかり591号」だが、新倉敷、新尾道、そして厚狭を除く各駅に停まる。逆にいえばこの3駅は実に影が薄く、特に厚狭は1日通して「こだま」しか停まらない駅である。

そろそろ外が明るくなり、相生に到着。6時55分発の在来線岡山行きに乗り換える。

7時07分、上郡着。旅行姿の人も含めて結構下車がある。「スーパーいなば1号」は7時25分発で、新幹線から同じように乗り継ぐ客も多いようだ。関西から鳥取に向かうのにもっとも早い時間での乗り継ぎである。

指定席は取れたが車内は満席。上郡を向けて、高架橋を走る。天気はいいのだが千種川の流域には山霧が広がる。

姫新線と合流する佐用を過ぎて、一気に岡山県に入る。

岡山県では大原に停車するだけで、ほとんどがトンネルである。鳥取自動車道も並走しており、同じように鳥取と山陽を結ぶ最短ルートを通るのがわかる。

ピンクとハートの駅舎で知られる恋山形もあっという間に通過し、智頭に到着。ホームの向かいには8時16分発の因美線津山行きが停まっていて、そちらに乗り継ぐ人もいる。もともと山陽と鳥取を結んでいたのは姫新線・津山線~因美線ルートだったが、今や因美線の津山~智頭は1日数本のローカル線である。8時16分の次は12時54分まで列車はない。同じように「どこでもきっぷ」を使ってこの区間を乗ろうという向きだろう。

ふと、このまま津山まで行き、そこから新見、備後落合、三次、広島と中国山地を細々とたどるのも面白いかと思った。また青春18きっぷの時にでもやってみようか(混雑必至だろうけど)。

「スーパーいなば1号」はそのまま千代川に沿って下る。中国観音霊場の満願後にクルマで通った国道53号線にも近い。

8時38分、鳥取に到着。前夜の日本シリーズの興奮が収まらない中、翌朝には山陰の県庁所在地にいるというのも妙な心持ちである。

次は9時29分発の「スーパーおき3号」に乗るが、鳥取での待ち時間でどこかに出かけるわけでもなく、早めに自由席の列に並んでおけば海側の席を確保することができるだろう。5時間の長丁場だから駅弁やら「飲み鉄」やらを仕入れた後、再びホームに上がる。

ホームに停まっていたのは、9時ちょうど発の観光列車「あめつち」。そこそこの乗車があり、駅員も横断幕を持ってお見送りである。この列車でのんびり西に向かうのもいいかなと思っていたが、今回は出雲市の先の区間もぶっ飛ばすことに・・・。

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第11番「醍醐寺」~西国三十三所めぐり3巡目・33(3巡目満願、西国四十九薬師もあと2ヶ所)

2021年12月03日 | 西国三十三所

石田から京阪バスで北上して、醍醐寺前に到着。醍醐寺はもともと有名な寺だが、こちらも紅葉の時季ということで多くの観光客、参詣者が訪ねているようである。醍醐寺は境内が広いのである程度時間を見ておく必要がある。時刻はちょうど昼前だが、醍醐寺を後にして山科まで出て、そこから神戸まで移動するとなると、この日は昼食パスの行程になりそうだ。

午前中は薄曇りだったが、醍醐寺の境内に入るとちょうどにわか雨となった。拝観料は伽藍と三宝院のセットで1000円だが、今回三宝院はパスすることにする。確かに庭園として立派なのだが、時間的なものもあるし、以前に鑑賞したから別にいいかなと。

その代わり、雨宿りを兼ねて別料金(500円)の霊宝館に向かう。こちらは拝観料というよりは、文化財保護のための浄財ということを強調している。

今年2021年は、空海に「弘法大師」の諡号が贈られて1100年ということで、醍醐寺では各種の行事が行われているそうだ。その割には他の寺院では弘法大師1100年と言ってなかったなと思うのだが。

その「弘法大師」号を贈ったのは醍醐天皇だという。弘法とは「弘法利生」という言葉から来ており、空海の孫弟子で醍醐寺の初代座主である観賢の願いにより、醍醐天皇がつけた。「衆生に利があるように、弘く仏法を伝えること」という意味だという。

霊宝館では12月5日まで特別展が行われていて、さまざまな仏画、曼荼羅や、弘法大師直筆とされる経典などが展示されている。天皇自身が醍醐寺を篤く信仰し、自らの諡号にもなったくらいだから、ご縁があるということだろう。醍醐寺ではいつの頃からか、50年ごとに行事が行われるという。

五大明王と薬師如来がメインの展示室の両側で向かい合っている。いずれもかつては上醍醐の五大堂、薬師堂に祀られていたものである。上醍醐には他にも西国三十三所の本尊である准胝観音が祀られていたが、こちらも下醍醐の観音堂に下りている。観音堂が落雷で焼失したこともあるが、上醍醐の山の中では仏像の保存が難しいこともあり、環境の整った霊宝館に安置している形だ(まあ、そのこともあって本来なら上醍醐まで上らなければならないところ、下醍醐にて札所めぐりは済ませているが)。

外に出ると雨が止み、青空も広がっていた。ただ方角によっては雲も垂れていて、冬ならではの変わりやすい天気を予感させる。その中で仁王門をくぐり、紅葉の広がりを楽しむ。いい時季に京都に来たものである。

醍醐寺は2018年の台風で倒木被害に遭い、現在もその痕跡が残っているのだが、その一角にスクリーンが何枚か立てられ、プロジェクションマッピングというのか、グラフィック画像が次々と流れている。メディアアーティストの落合陽一さんの作品で、タイトルは「物化するいのちの森-計算機と自然-」という。「計算機と自然」というのは落合さんのテーマだそうだが・・・まあ、そういうことですか。こちらも12月5日までの期間限定の公開だが、夜間特別拝観時だとより美しく見えることだろう。

金堂に着く。西国四十九薬師としてはこちらに祀られている薬師如来が本尊である。建物は豊臣秀吉の命で紀州の湯浅から移築されたものである。まずはここでお勤めとする。

その向かいが五重塔。こちらは平安中期から唯一残る建物である。京都でも最古の木造建築物で、幾多の兵火からも護られてきた。

五重塔の周りには幕が張られ、1層目の四方の扉が開いて人の姿が見える。弘法大師の諡号から1100年になるのを記念して、この11月27日~29日の3日間限定で、一般の人が五重塔の中に入ることができる特別公開が行われているという。五重塔の扉じたいは毎月29日、醍醐天皇の命日に合わせた法要のために開かれるそうだが、中に入れるのは初めてのことという。特別拝観は1000円。すでにここまでで醍醐寺に2500円かかっている・・・というのはおいといて、せっかくなのでのぞかせていただこう。一面からちょっと塔の中に入り、周囲を見渡すものだ。もちろん内部の撮影は禁止。

中の柱を覆う板には曼荼羅などが描かれているが、「お大師様は右側です」とPRされているのは、内側の壁板に描かれた弘法大師像。五重塔の完成と同時に描かれたものでほとんどかすれているが、現存最古に属する大師像だという。これも貴重なものだ。

紅葉を見つつ、奥の観音堂に向かう。西国三十三所めぐりの3巡目の満願は、多くの仏像がおわず醍醐寺ということになった。記事が西国四十九薬師とごっちゃになっているのはともかくとして。

その観音堂で手を合わせ、改めて日本シリーズの勝利を祈願する。そして朱印なのだが、長い行列である。お堂の中の一角に納経所があるのだが、行列がお堂の外に出て回廊まで続いている。その行列に加わる前に会計を済ませるシステムで、いただきたい朱印の欄に印をつけてレジに持っていく。紅葉の時季や特別拝観で訪ねる人が多いことに加えて、さまざまな兼ねている札所を束ねる納経所がこの1ヶ所ということで、どうしても集中してしまう。

私も西国三十三所の先達用納経軸、八角形の西国曼荼羅、そして西国四十九薬師のバインダー式朱印用紙で合計1100円。拝観料と合わせて3600円・・・・(なぜ、醍醐寺に来ると金の話になってしまうのか)。

回廊で紅葉を見ながら待つうち、また雨が落ちて来た。池の水を見てもはっきりわかるくらいだ。

30分ほど待ったか、ようやく順番になった。そして3種の朱印に対応していただいたのだが、その様子を見て行列の理由もわかるような気がした。もう少しスピードアップしてもいいのではないかと思うくらい対応が丁寧なのだ。また私の場合、先達用納経軸は重ね印だし、八角形の西国曼荼羅は書置きのものと引き換え、バインダー式の西国四十九薬師は書置きで日付だけ記入だからそれほど時間はかからないはずだ。

しかし、今回の醍醐寺では西国曼荼羅、そして西国四十九薬師とも墨書は白紙に手書きだった。それも書きなぐるのではなく丁寧な筆さばき。

ともかく、これで西国三十三所の3巡目は満願となった。そして、先達として2巡を終えたことで、「中先達」昇補の資格を得たことになる。また、西国曼荼羅の八角形の用紙もこれですべて揃った。八角形の用紙が揃ったことで納経軸の上ではもう1巡したことになる。「中先達」の手続きは、どうせなら実家・地元である葛井寺でお願いしたい。ボーナスのもう1巡の確認については、対応可能な札所が限られているのでそこでお願いすることにしようか。

2巡目の満願は姫路の圓教寺で、その後は節分の豆まきに参加した。そして3巡目の後は日本シリーズである。

また、西国四十九薬師も47ヶ所目となり、残すのは池田の久安寺、そして満願となる比叡山延暦寺となった。

これで境内を突っ切ってバス停まで戻り、山科駅行きのバスに乗る。そのまま新快速に乗り、新大阪でいったん下車して宿泊用の荷物をコインロッカーから取り戻して三ノ宮に向かう・・・。

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第38番「法界寺」~西国四十九薬師めぐり・46(親鸞聖人生誕の地)

2021年12月02日 | 西国四十九薬師

日本シリーズを前にした西国めぐり、2ヶ所目は法界寺。西国四十九薬師めぐりの第38番である。

京阪の六地蔵からバスに乗る。法界寺には門前に日野薬師というバス停があるのだが、そこに行くのは40分に1本ほど。ただその他に、醍醐寺方面に向かうバスが走っていて、石田バス停から歩いても10分くらい。着いたタイミングでやって来たのが醍醐寺方面のバスだったのでとりあえず乗り込み、石田で下車する。場所は宇治市から京都市伏見区に移る。

バス停の角に、「乳薬師日野法界寺」と「親鸞聖人日野誕生院」の石碑が建つ。薬師の文字があるのはわかるとして、親鸞聖人の文字があるとは。

住宅が並ぶ中を歩く。周囲には各政党のポスターが目立つ。写真は撮らなかったがその中で目立つのは「泉ケンタ」。正面に向かい、右手を差し出すポーズである。先日立憲民主党の新代表に選出された泉健太議員である。こちらの選出だったのね。

日野薬師のバス停を過ぎて山門に立ち、境内に入る。

この辺りは藤原北家の流れを汲む日野家の領地で、法界寺はその菩提寺として平安中期に建てられた。日野資業という人が薬師如来を祀り、その胎内に伝教大師作と伝えられる薬師如来の小さな仏像を納めた。そのことから子授り、安産、授乳のご利益があるとして「乳薬師」の信仰を集めた。

また、当時は末法思想の影響で浄土教が流行したこともあり、合わせて阿弥陀堂も建てられた。法界寺の本堂はこちらの阿弥陀堂である。

さてまずは本堂にお参りしようと思うと、拝観料が必要である。納経所も兼ねていて、先に西国四十九薬師のバインダー式の朱印をいただく。

「本堂を案内しますので」と扉を開けていただき、通される。中は撮影禁止なので画像はないが、中央に国宝の阿弥陀如来が祀られている。平等院鳳凰堂の本尊に近い定朝様式の仏像である。さらに内陣には天人を描いた壁画が残されている。ありがたく拝む。

本堂の前に薬師堂が建つ。「乳薬師」の薬師如来立像は東京国立博物館で11月21日まで開かれていた特別展「最澄と天台宗のすべて」に出展されていて、帰りを待つところだった。外陣にてお勤めとするが、多くのよだれかけが奉納されている。住所を見ると京都市内はおろか、関西、さらには東京からの祈願もあった。私には経験がないのでわからないのだが、母親たちの子どもに対する思いの強さというのを感じる。私の母も、どこかでこうした祈願をしてくれたのかな?

さて、法界寺を建てたのは日野氏だが、そこから出たのが親鸞である。生誕の地には日野誕生院という別の寺が建てられたが、親鸞が幼い頃に初めて仏との縁を結んだのがここの阿弥陀如来だという。もっとも、法界寺じたいは現在は真言宗の別格本山なのだが・・(パンフレットを見て初めて気づいた)。

ちなみに日野氏といえば、時代が下るがもう一人有名なのが、室町8代将軍義政の正室・日野富子である。

この次は醍醐寺である。先ほど下車した石田バス停まで戻り、そこから乗り換えなしで行ける。醍醐寺は西国四十九薬師の札所でもあるが、西国三十三所めぐりの札所である。そして、西国三十三所の3巡目は醍醐寺で満願を迎えることに・・・。

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第10番「三室戸寺」~西国三十三所めぐり3巡目・32(宝勝牛に日本シリーズ必勝の願いを・・)

2021年12月01日 | 西国三十三所

日本シリーズ第6戦の当日となった11月27日、球場に行く前に京都の札所めぐりである。順番として、西国三十三所第10番の三室戸寺から始め、西国四十九薬師第38番の法界寺、そして西国三十三所第11番・西国四十九薬師第39番の醍醐寺とたどることにする。ちょうど三室戸から北に向かうルートだ。

広島6時26分発の「のぞみ90号」で出発。JR西日本の「どこでもきっぷ」の効力発動ということで、「のぞみ」で一気に東に向かう。指定席の中でも新大阪寄りの端の車両だが、始発の広島から、さらに駅ごとに乗客があり、窓側の座席がほぼ埋まるくらいの乗車率である。一時のことを思えば乗客も戻りつつある。

7時55分、新大阪に到着。ここで宿泊用の荷物を在来線コンコースのコインロッカーに入れる。京都を回った後に神戸に向かうわけだが、どのみち新大阪を通ることになる。

三室戸寺の最寄り駅は京阪宇治線の三室戸。これまでの感覚で、新大阪から淀屋橋に出て京阪に乗り、中書島乗り換えが最速かなと思っていた。ただ改めてスマホで検索すると、JR京都線で京都まで行き、奈良線で黄檗まで南下、そこで京阪宇治線に乗り換えと出た。やはり新快速のスピードは大きい。また、新大阪から黄檗までJRに乗ることで「どこでもきっぷ」を有効に使える。

京都で205系の4両編成に乗り換える。車内は満員で発車したが、次の東福寺で下車する客が多い。京阪に乗り換える客もいるだろうが、それよりも紅葉が目当ての客が多い様子だった。東福寺は例年11月下旬から12月上旬が紅葉の見ごろだという。次の稲荷でも伏見稲荷に向かう客が下車する。

20分ほどで黄檗に着く。JR側で下車するのは初めてだ。正面に京都芸術高校があり、こちらに向かう生徒で出口はあふれている。

京阪の黄檗駅のホームはすぐ向こうにあるのだが、連絡通路があるわけでなくいったん外の歩道を歩いて回り込む。黄檗から1駅乗って三室戸に到着。宇治線は日中おおむね15分に1本の運行で、結果的に淀屋橋経由で行くより1本早い便で着いたようだ。

駅から一本道で寺の入口に到着。三室戸寺は花で知られるところで、特に春から夏にかけてのしゃくなげ、つつじ、あじさい、蓮の名所である。この時季、紅葉はどうなのかな・・と来てみると、紅葉も立派である。

その昔、西行法師は「暮はつる秋のかたみにしばし見ん 紅葉ちらす三室戸の山」という歌を詠んだそうだ。また「三室戸の紅楓」として宇治十二景の一つにも数えられていたという。それにしては三室戸寺にあまり紅葉のイメージはなかったのだが、周囲に紅葉の名所はいくらでもあるし、寺としてはあくまであじさいをはじめとした花を売りにしているのだと思われる。

それでも隠れたスポットというのか、カメラを手にした参詣者もそこそこ見かける。

石段を上がったところで出迎えるのは宇賀神。体は蛇で頭が翁という造りで、耳を触れば福が来て、ひげをなでると健康長寿、蛇のしっぽをさすると金運がつくという。特に耳たぶのところが、多くの人が触れたことで黒ずんで見える。

そして本堂の前には、「福徳の兎」に並んでその名も「宝勝牛」・・・またの名を「勝運の牛」が祀られている。勝ち運の牛・・・この夜バファローズの日本シリーズを観戦するのを前に、縁起のいいスポットである。大きく開いた口の中に石の玉があり、これをなでると勝ち運がつくという。別にこの日を狙ったわけではなく偶然だが、これはしっかりと勝利を祈らなければ・・・。

改めて、なぜ三室戸寺で牛なのか。

その昔、宇治の地に農夫の夫婦が住んでいた。やっとのことで子牛を手に入れたが弱々しく、三室戸寺の毎月の観音講に連れて行っては境内の草を食べさせていた。そんなある時、牛が何やら丸いものを吐き出した。それは牛の腹の中にできた「牛玉(ごおう)」で、牛は玉を吐いたあとはすくすくと大きくなり、立派に育った。その牛が闘牛に勝ったことで富を得た富右衛門はこれを観音様のご利益として、牛の木像を作らせて三室戸寺に奉納したという。

この後で本堂にてお勤めだが、最後には改めて牛への願いである。果たしてその結果は??

改めて境内を一回りして紅葉を楽しみ、寺を後にする。ここからは京阪の三室戸から六地蔵まで移動し、京阪バスに乗り換える。この先、法界寺、醍醐寺はそれぞれこのバスの沿線である・・・。

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