goo blog サービス終了のお知らせ 

まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

西国三十三所先達研修会に参加

2019年10月28日 | 西国三十三所

10月27日、西国三十三所の先達研修会が梅田の新阪急ホテルで開かれた。毎年秋に開かれていて、今回で15回目である。先達としての意識を高めるとか、西国三十三所に関する情報交換、情報共有の場という位置付けで、また別の面ではファン感謝デーのようなものでもある。私は2016年初めにヒラの先達になってから今回2回目の参加である。隔年で平日開催と日曜開催が入れ替わるので、一昨年以来のことである。まあ、平日でも有給休暇が取れれば参加できるのだが。

会場は新阪急ホテルの紫の間。11時開始の30分ほど前に会場入りすると、すでにテーブル席の多くが埋まっている。前回と同じく、まだ席に余裕があった一番奥のテーブル席に陣取る。後方にはテーブルなしの椅子席もあるのだが、開始時刻となるとこちらもほぼ満席となった。周りを見ると皆さん共通のオレンジ色の輪袈裟をかけているが、「特任先達」のワッペンが縫い付けられたり、金色の名札をする姿が目立つ。私は今3巡目にようやく入ったところだが、こうした人生の先輩方に比べればまだまだガキである。

この日は446名の先達が出席とのことで、まずは開会挨拶で圓教寺の副住職が上がる。私の中では元プロ棋士の神吉宏充七段と勝手に呼んでいる方で、話がうまい。

続いては播州清水寺の僧侶による御法楽。ここで西国三十三所の勤行次第に沿ってのお勤めで般若心経を唱えるのだが、関係者も含めて500人近くが一斉に読経するというのもなかなかない光景である。外から見たらやはり異様に感じるのかな。

続いては『西国三十三所観音霊場記図会』と勉強会の案内。『図会』の勉強会は2年前から行われている。私も『図会』の書籍は購入して、勉強会に参加する機会はなかなかないということもあり、自分で読んでいるのだが、ただ第33番にはまだまだたどり着けない。この勉強会は1回の講座で一つの寺の章を読み、それについての歴史的解説がメインとなるが、講座に参加している人を対象に他にも読経やご詠歌を学んだり、フィールドワークということで外に出ることもあるそうである。教養の会やライフワークとしては面白そうだ。11月2日には「比較文化」ということつぁ四国八十八所の歩き遍路も日帰りで体験するそうだが、そうすると第1番から第6番、第7番辺りまでを歩くのかな。

そして特別講演。今回講師を務めるのは松尾寺の名誉住職である松尾心空猊下である。西国三十三所を徒歩で巡礼すること5回、かつては徒歩巡礼の「アリの会」というのを主宰されていた。松尾寺を訪ねた時にその記念碑があったのを覚えている。その他にも著作や講演活動もたくさんあり、現代における西国三十三所めぐりの「レジェンド」とも言える(レジェンドはさすがに言い過ぎかな)。1928年(昭和3年)生まれで数えで御年92歳というのも驚きで、さすがに登壇する時は付添いの手を借りていたが、講演はずっと立ったままでも平気だし、説明でホワイトボードを使う時にマイクから離れるのだが、声もしっかりとしている。これも徒歩巡礼の賜物だろう。

この日の記念に、松尾猊下の「人生往来手形」をいただいている。「松尾寺では1枚100円でお分けしているのを今回特別に無料ということで・・・・私がいただけるはずの45000円は世の中に『寄付』したと思って」として笑いを誘う。

演題は「巡礼の復活と終活」というもの。最近の事件や災害を引き合いに「四苦八苦」を取り上げ、これを乗り越える、解放させるのが巡礼であるとする。

笈摺の解説もあった。今西国や四国を回る時に着用するのは全部白色の白衣や笈摺だと思うが、長らくはこれに赤が入って区別がなされていたそうである。両親が健在なら両側が赤、片方の親が亡くなったなら真ん中が赤、そして両親とも亡くなったなら全て白という分け方。巡礼とは再び胎内に戻り、また生まれ変わる儀式ともとらえられていたそうで、第33番の華厳寺で満願となれば笈摺を納め、精進落としをしてまた世間に生まれ変わるということにつながるという。

他に松尾猊下の言葉として、四国八十八所の「同行二人」に対して「同行観音」とある。ただこれは「観音様といつも一緒に」ということではなく、「自分自身が観音様になる」という意味合いだという。また、浄土真宗の妙好人である浅原才市の歌の替え歌として「南無観音は観音(かみ)の息 わたしゃあなたの息にとられて 南無観世音」という歌をつくった。「観音力」という、大いなる生命の力、巡礼の智慧というのを現代の世の中でもう一度見直そうではないかというのが全体のテーマだった。

私の文章力では上手く説明できないのだが、さすがは法話や講演を数多くされていて、時折冗談や笑いも交えながらの話で聴きやすかった。またいつか松尾寺にも足を運ばなければと思う。

講演の後は、今年度の特任大先達の補任。今年は14名の方が該当し、欠席の1名を除いて壇上で栄えある称号を表彰された。

2年前の研修会の時にも先達の人数構成のことを書いたが、その時は全体で約8800名だった。それが現在の有効先達は11482名と、1万人を悠に超えている。2年で2600名以上が新たに先達に補任されたことになる。現在行われている西国三十三所開創1300年に関するさまざまな行事やPRが功を奏しているのではないかとしている。

記事が長くなるが、その構成について書いておく。

・先達     9107名

・徒歩巡礼先達   45名

・中先達     669名(先達で2巡=通算3巡)→私が今やっている3巡目が満願となればこれになる。

・徒歩巡礼中先達   4名

・大先達     911名(中先達で3巡=通算6巡)

・徒歩巡礼大先達   3名

・特任先達    370名(大先達で5巡=通算11巡)

・特任権中先達  121名(特任先達で6巡=通算17巡)

・特任中先達    78名(特任権中先達で6巡=通算23巡)

・特任権大先達   99名(特任中先達で6巡=通算29巡)

・特任大先達    75名(特任権大先達で5巡=通算34巡)

今回この場で補任された特任大先達の方々は、西国三十三所を通算34巡されたということだ。中には私よりも若い年格好の人もいて、西国三十三所に真摯に向き合っているのだなと感心するばかりである。私のように次に行く札所をサイコロで決めたり、他の札所めぐりとのついでで行ってみようかというのとはそもそもの姿勢が違う。

記念品の贈呈。今回は壇上に箱を設けて文字通りここでの抽選である。残念ながら私はハズレ。また記念品には新たな「商品」も含まれていた。西国巡礼の「奉納札」というもので、名刺サイズの納め札である。あらかじめ各札所の寺院名、本尊名などが書かれた33枚の札と、汎用で名刺代わりにもなるという札7枚がセットになったもの。札所でお勤めする際に、この札を両手に挟んで合掌し、本尊の真言を唱えた後に納札箱に奉納するという。今の3巡目では西国観音曼荼羅の八角形の台紙に朱印をいただくのをミッションとしているが、うーん、こういうのが出ると、「4巡目ではこの奉納札を各札所に納めてくること」という新たなミッションになりそうだ。憎いねえ。

次は一口法話。一乗寺の僧侶が登壇し、納経所を預かる立場の者として参詣者に「慈悲の心」を持ち、笑顔で接することが大切だという話があった。

最後に事務局がある紀三井寺の僧侶から、今後の取り組みについて案内された。その中に、「特任大先達のその先」というのがあった。上に書いたように通算34巡で特任大先達に補任されるわけだが、その先新たな目標があるのかという問い合わせはかねてから寄せられているとのことである。そこでこのたびさらに上位の称号を設けることにしたという。

今回は口頭での紹介だけで、詳細は2020年になってから発表されるそうだが、通算34巡プラス33巡=通算67巡で「喜達」、「喜達」プラス33巡=通算100巡で「真達」という先達の称号を設けるそうだ。それよりもっと驚いたのは、さらにプラス33巡=通算133巡で「ふみょう(普明?)」、さらにプラス33巡=通算166巡で「みょうじゅ(妙寿?)」という称号を出すという。ここに書いたのはあくまで耳にしただけのことで、ここに書いた文字すら合っているかどうかである。

予定では上位に補任されるために11巡分の日付が入る専用の納経軸を進呈されるそうで、特任大先達の先の称号を得るにはこれを3本コンプリートしなければならないことになる。これまで34巡と聞いただけでも気の遠くなるようなずっと向うの話しかと思っていたが、それが一気に5倍近くの166巡まで跳ね上がる。さすがに現時点で166巡という人はいないだろうし、札所会も思い切ったことをしたと思うが(逆ギレして、やれるもんならやってみろ?)、ただ特任大先達75名の中にはすでにガチで100巡以上回っているという人もいるはずで、その場合はこれまでの納経帳、納経軸を資料として個別に判定するという。

一連の行事が終わり、同じ部屋内で昼食である。参加者の年代に合わせてか和風の盛り付けだが、さすがは阪急の弁当である。般若湯の1本でもつけてくれればという内容で、美味しくいただくことができた。

さて時刻は終了予定の14時。せっかく西国先達の研修会に来たのだからということで、前回は阪急電車に乗って総持寺に向かった。今回はどうしようか。一応、どこでも行けるよう西国観音曼荼羅の八角形の台紙は全札所分持参している。

この時間からだと行けるところは限られるが、とりあえず阪急の大阪梅田からの特急に乗ることにした。目指すのは京都市内方面である・・・。

コメント    この記事についてブログを書く
« 東京オリンピックのマラソン... | トップ | 第18番「頂法寺六角堂」~... »

コメントを投稿